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1025takase_calendar-2 (2).jpg2014年が、慌ただしくスタートを切りました
昨年後半から、なんだか仕事モード全開になり、そのまま息つく暇もなく、今年に突入しました。

忙しいながらも、シティオがスタートしてから2度目の春を無事迎えることができ、うれしい限りです。

なんせ1級身体障害透析患者の私です。こうして元気に仕事ができること、これまたうれしい限りです

もうお気づきの方も多いと思うが、フラメンコ・シティオが主催する「フラメンコ楽学広場 シティオ塾」が来年1月からスタートする。すでに、その第一弾として当サイトの人気連載「スローライフ・フラメンコ」に連動した飯塚真紀さんのクルシージョの開催が決まっている

スタートすることが決まったのはついこの間だが、なんらかの形で講座事業を行いたいという思いは、ここ1,2年ずっと心にあった。その理由は3つある。

去る10月にフラメンコフェスティバル・イン・東京のプレイベントとして東京のど真ん中、丸の内ビルで開催され大きな話題を集めた日本初の大規模フラメンコ・フラッシュモブ。あれから2カ月余りを経た11月23日、今度は会場を代々木公園に移し、フィエスタ・デ・エスパーニャの関連イベントとして、またまた全国から集まった百名近くのフラメンコたちによるフラメンコ・フラッシュモブが行われた。

昨日(12月1日)、草月ホールで行われたラス・バガス記念公演。
新人公演世代の4人のバイラオーラ達による初のテアトロ公演だった。
松島かすみ、篠田三枝、土井まさり、吉田久美子の4人が、
それぞれ個性豊かにソロを踊り、
群舞では、劇場公演ならではの趣向を凝らした構成・演出で魅せた。

11月2日、セルバンテス文化センター東京主催ギター・コンクールが行われた。
応募人数は全16名。当初は録音で一次審査が行い、8名の決勝進出者が選ばれ最終選考へと進む予定だったが、この日、応募者全員が出場、演奏しての決選となった。

さて、初開催のこのコンクール、まずはどんな方人たちが出場すのかが注目だったが、出場者の中には、日本フラメンコ協会主催新人公演出場者として見覚えのある人もかなりいて、ベテラン一人をのぞいては、プロ・アマを問わずまさしく新人たちの挑戦となった。

皆さんはフラメンコの情報を、どのような方法で入手していますか? いうまでもなく、シティオはネット上で展開していますが、今やフラメンコの情報もネットワークも、ネットなくしては成立しないと言っていいかもしれません。

そんな中でウェブ上のオンラインで本場スペインのフラメンコのレッスンが受けられるという画期的なシステムが始まりました。

10 月11日、ベニート・ガルシアの公演「標」を見た。
日本の地に根をおろして20年あまり。
日本を活動の地に選ぶスペイン人は少なからずいるが、
ベニートのその取り組みには、他のスペイン人アルティスタとは一線を画すものがある。
日本への根のおろし方、教える人としてのプロフェッショナル度、スペイン人であることに胡坐をかかないその真摯な姿勢に、私は以前から心打たれいた。

お待たせしました。
フェスの最後を飾ったのは、日本初公演ロシオ・モリーナの「ダンサオ-ラ」。
小さな体からよどみなく打ち出される弾丸サパテアード、怒涛のコンパス。
よもやアンドロイドかマトリックスかってな感じで(誰かがどこかでそんな風に表現していた)、人間技とは思えない。
そう、異次元の超絶テクだ。

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フェスティバル2日目は、待ちに待ったイスラエル・ガルバンの「黄金時代」が上演された。

大きな舞台に、踊り手(イスラエル)、カンタオール(ダビ・ラゴス)、ギタリスト(アルフレッド・ラゴス)の3人のみ。
美術も、大がかりな演出も一切なし。
シンプルな照明が、唯一無二の踊り手イスラエルを淡々と照らす中、
彼の全身からは、よどみないコンパスが、波のように繰り出される。

かつて見たことのない、かつて聴いたことのない、
さまざまなフラメンコの言語が、
イスラエルの身体からは、次から次へと溢れ、
カンタオール、ギタリストと濃密にコミュニケーションする。

フラメンコ・フェスティバル・イン・東京が、開幕した。
初日の昨日、上演されたのはベレン・マジャとマヌエル・リニャンの「トラスミン」。

オープニング、はバタ・デ・コーラで踊るカンティーニャ。バタを着ているのはベレンだけではない、マヌエルも。男性のソロでバタを着て踊ったものは何度かみたことがあるが、男女のパレハで見るのは初めてだ。マチョなバイレのイメージのマヌエルのこの登場に驚かされるが、踊りが始まると、その完成度の高さにいきなり度肝を抜かれた。

なんと精緻なパレハであることか。まるで写し絵のように一分に隙も乱れもない2人の動き。しかもその一瞬一瞬のフォルムが、どこをとっても印象派の絵画を見ているがごとく、完璧な美しさなのだ。こんなフラメンコのパレハ、私は見たことがない。いわゆる統制美は、必ずしもフラメンコ舞踊が本望とするものではないが、この神業的クオリティの高さは、美しさは、それだけで感動を呼び起こす。