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文 マルティン・千恵
写真 ペーター・マルティン

ドイツのフラメンコ

はじめまして。私が暮らすドイツもフラメンコは盛んですよ~。

えっ、ドイツ!? と驚かれる方へ、ドイツのフラメンコについて。
現在、フラメンコ雑誌¡anda!に登録されているだけでも、フラメンコを学べる場所は全国で130もあります。
ドイツ人を魅了したのは1960年後半、バルセロナ出身のヒターナ、ラ・シングラ。パコ・デ・ルシアやカマロン、レブリハノ、セペロ、マリア・バルガスで結成された豪華メンバーの公演です。
外国人労働者の存在も忘れてはいけません。アンダルシア出身者もいました。今でも各地にスペイン・コミュニティーがあります。

当サイトを運営しているフラメンコ音楽ショップのアクースティカが、
9月4日、中野に引っ越しました。
これに伴い、アク―スティカ新スタジオとして
「中野スペースリンク」が9月15日にオープンしました。

中野駅北口から歩いて3分の便利な場所。

ライブ開催、スクール事業、レンタルスペース、などを通して  
フラメンコと文化の発信スポットとして展開していきます。


【リード】
フラメンコロコにしてカンテ唄いのアフィシオナード。我らが大画伯堀越千秋氏より、特別なメッセージがシティオ編集部に届けられました。
内容はフラメンコではありません。「戦争は嫌だ! 7月10日の選挙に行こう!」です。
でもこれは、本当にフラメンコと関係ないことがらなのでしょうか? 
フラメンコが単なる音曲舞踊ではなく生き方だというのなら、
私たちは日々生き方を問われています、フラメンコに。
そう、来たる7月10日の生き方も例外ではないでしょう。

政治的思想やスタンスというものには、様々なものがあります。たとえ個々の考え方は違っても、異なる意見があるのは当然のことで、それらをむやみに否定する立場にはありません。
芸術文化が安易に政治と結びつくことの愚かさ、恐ろしさは、戦前の日本がすでに実証しています。
この原稿を書かれた堀越氏も、また掲載を決めた編集部も特定の思想や政党に組みするものではありませんので、ご承知おきください。

そうした意味において、プロパガンダを超えた堀越氏の切なる憂いに、フラメンコたちはどう耳を傾けるのでしょう? 

ここに全文を掲載します。

下の写真は、堀越氏より提供された「「飛行機画報」(1938年刊・講談社)からの一ぺージです。

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「フラメンコたちよ、目を覚ませ!」    堀越千秋

日本のフラメンコの皆さん!
いま日本及び日本のフラメンコは前代未聞の憂うべき時にあります。戦争法が制定され、選挙により、さらに安部による憲法蹂躙がすすめられようとしています。

フラメンコは平和のアートです。スペインはすでに徴兵制をやめています。マドリード・アトーチャ駅でのアルカイダによる爆弾テロ以来、百万人デモにより政権はひっくり返り、中東イラクからも兵を引き揚げました。
そして、ヒターノたちはもとより平和的、絶対的非暴力の人々です。
フラメンコは、その上に成立しています。

悠久のときをその身に宿すイネス・バカンがやって来る。今回は、東京・大阪・福岡の3ヶ所で公演。東京と大阪ではクルシージョも予定されている。

今回の見所は、なんといってもギター伴奏がアントニオ・モジャであること。
今は亡きイネスの兄、ペドロ・バカンを継承するカンテ伴奏の名手モジャは、レブーハ&ウトレーラの歌い手にとっては欠かせない存在。イネスにも例外ではない。モジャは、イネスが最も信頼を置き、共演を重ねてきたたギタリストなのだ。イネスの魅力をさいだいげんいひきだしてくれるにちがいない。

さて、ここ数年、カンテファンの数も、カンテ・ソロのコンサートも確実に増えている。
ドローレス、フェルナンド・デ・ラ・モレーナ、ダビ・パロマール、ホセ・バレンシ ア......。ここ1年あまりのあいだに来日し、カンテ・ソロ公演を行った歌い手たちを思いつくままにあげてみてもそうそうたるアルティスタたちだ。

しかし、その公演の多くは、踊り伴唱での来日に便乗したものだったり、アフィシオナードの尽力により実現するものがほとんどだ。つまりスポンサーはおろか、プロの制作会社や招聘元を介さずに行われているものだ。

理由は簡単だ。ビジネスとしてなかなか成立しないから、プロの興業主は手を出さないのである。裏返せば、プロのノウハウを持ってしても興業的には成功しないことを、アフシオナードたちが、アフィシオンを支えに行っているということだ。

まだ記憶に新しい、1月に来日したエンカルナ・アニージョの場合は、スイス在住のバイラオーラ林結花さんが招聘の労を担ったもので、彼女のアフィシオンあふれるその取り組みは、多くのフラメンコ関係者やファンの心を突き動かして、エンカルナ旋風を巻き起こした。日本では、一部のコアなカンテファンを除いてはまだ認知の低かったエンカルナだったが、結花さんはその魅力を広く浸透させ、公演を成功させたのだ。公演実現までの経緯と公演プロデュースにかける思いを綴った結花さんの原稿をここ「シティオの眼」でも掲載した。

さて、此度のイネス・バカンの公演がじつげんしたのも歌い手の近藤裕美子さんの尽力によるものだ。公演準備に、彼女は今日も奔走していることだろう。

定石を積み上げたプロの仕事よりも、情熱が先走るアマチュアのほうが、結果的によい仕事をすることがある。情熱は無敵だ。フラメンコの場合は特にそうだ。なぜなら、その情熱こそが、アフィオンこそが、カンテの名人たちを突き動かす原動力に他ならないのだから。

お金のためでも、名誉のためでもなく、アフィシオナードたちは、
いい歌が聞きたい、その歌を多くの人に聞かせた、心臓をわしづかみされるようなフラメンコの時間を得たい、ただその一心で、まい進する。それが、至福のカンテを、奇跡の時間を呼び起こす。

そしてそういう人々の情熱の連鎖が、きっとカンテをこの日本の地に根付かせていくにちがいない。

イネス公演の仕掛け人、近藤裕美子さんの情熱を、ここにお届けしたい。   

(編集部 西脇美絵子)

〔リード〕
2月にカディスの歌姫エンカルナ・アニージョの公演&講習会が東京と大阪(講習会は名古屋も)で開催される。

エンカルナは、フラメンコ最大のサイトであった「フラメンコ・ワールド」が立ち上げたレーベルの第一弾をCD「バルカス・デ・プラタ」で飾った歌い手。昨年末来日した同じく歌い手ホセ・アニージョの妹。独特の泣き節とカディスの明るさとを備えた今注目の実力派だ。

このエンカルナ来日公演の立役者は、今はスイスに住んでいる林結花さんだ。
スイスへ渡ったばかりの頃、彼女から届く声は苦しいものだった。
生活からフラメンコが消えてしまった空しさに悶々とする日々......。
昨年秋のとある日、そんな結花さんから、
「日本にエンカルナを呼ぶことにしました」との報が届く。

以前から、結花さんのスイスでの生活ぶりを寄稿してほしいと、シティオ編集部は依頼していた
そして先週、公演を控え日本に帰国する直前の結花さんから、原稿が届いた。(編集部)


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12月25日、最後の野性"の異名を持つ偉大なカンタオール、
マヌエル・アグヘータが亡くなった。
享年76歳、ただし正確な生年月日は不明。
まだカンタオールの来日公演などほとんど行われなかった時代から、
たびたび来日を果たしていた。

度肝を抜かれるカンテ・ヒターノの叫びと凄みを伝えるとともに、
最後の野性"たる多くのの逸話を残してくれたマヌエルは、
日本のアフシィシオナードたちが
もっとも愛した唄い手といっても過言ではないだろう。
彼を失った悲しみはスペインからはるか離れた東方の国この日本で、
年をまたいで今なお渦巻いている。
そんな中、アグヘータ一族と義兄弟の契りを結び、
マヌエルとも長く深い親交をもち、
カンテ・ヒターノの魅力とその生き様を伝え続けてきたフラメンコ狂画家、
堀越千秋氏に、今の思いを寄稿していただいた。
(編集部・左上舞台写真:高瀬友孝)

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スペイン国立バレエ団(以下バレエ団)の全国ツアーが、各地で感動の渦を巻き起こしている。アントニオ・ナハーロ芸術監督の下、21世紀の舞踊団へと変貌を遂げたバレエ団は、今年の公演でも如何なくその真価を発揮している。
ツアーの幕開けとなった東京・上野文化会館での公演のさなか、初日から3日目の開演前に、ナハーロ芸術監督にインタビューすることができた。
指定された時間に楽屋を訪ねると、彼はまだ舞台の上で入念にリハを行っている。予定の時間をかなりすぎて、汗だくになったナハーロが楽屋に戻ってきた。「ごめんなさい。すぐに準備しますから」との言葉と笑顔を残してシャワールームへ。数分度、手際よく準備を整えた彼は、精悍なたたずまいで再び私たちの前に現れた。

〔リード〕
「本場スペインの舞台に立ちたい」それは多くのフラメンコ・アルティスタたちの夢であり、目標だろうと思う。実際、スペインに住んでチャレンジをしている人もいるし、スペイン公演を行っている舞踊団もある。

スペインで活動するというチャレンジは様々な形で続けられており、少しづつ重い扉は開かれつつあるようにも感じるが、
その道は今なお険しい。

留学し学ぶ立場でスペインへ行くことは難しいことではなくったが、アルティスタとしてスペインで舞台に立つことには、さまざまな壁があるのだ。

フラメンコがアンダルシアの歴史と文化に根ざしたものであることを考えれば、それは当たり前とも言える閉鎖性のようにも思う。
しかし一方で、日本人(外国人)でありながら真摯にフラメンコと向き合い、人生をかけて自身のアルテを磨着続けている人も大勢いる。

そんな中、本場スペインで舞台に立つというバイラオーラたちの夢を実現させるための道筋を自身が日本とスペインの架け橋となって作ろうと活動しているアルティスタがいる。
今や日本のフラメンコの宝とも言うべき存在のギタリスト、エミリオ・マジャだ。彼がプロデュースする「SAKURAプロジェクト」は、中堅・若手の実力ある日本人バイラオーラたちを率いて、本国スペインで発表の場をつくって行こうとするものでだ。

昨年に続き今夏、エミリオ率いるSAKURAフラメンカたちはグラナダでの大ステージに立った。参加した踊り手は、浅見純子、荻野リサ、大塚香代、吉田久美子の4人。9月にはその凱旋公演が日本でも行われ、大きな注目を集めた。

このプロジェクトがすばらしいのは、これが一過性の取り組みではなく、継続的に取り組んでいこうとしていることだ。
しかも、固定されたメンバーではなく、志を共有する仲間を増やしていきながら、やっていくという。
大舞踊団や大御所アルティスタではない、今日本のタブラオの第1線で活躍するピチピチのバイラオーラたちの明日の可能性をその手につかむために。

日本人フラメンコの可能性を広げるこの取り組みに、シティオ編集部は熱いエールを贈りたい!

そこで、このプロジェクトの踊り手リーダーであり、エミリオの右腕となってプロデューサー補佐を務める浅見純子さんに、グラナダ公演のレポートと、SAKURAプロジェクトの歩みを寄稿していただいた。純子さん、エミリオからのメッセージも届いているので、ここにあわせて、紹介したい。

(文責・西脇美絵子)

ベルリン・フィルとの共演で、一躍世界が注目するスーパー・ギタリストへと躍り出たカニサレス。フラメンコの世界のみならず、今やクラシック界からも熱い注目を集めている。ジャンルの壁を軽々と超え、新たな挑戦を続けている彼が、昨年に続き今年も来日する。
公演を間近にひかえ、スペイン音楽及びフラメンコの研究家として、この間のカニサレスの取り組みを注視し続け、プライベートでの親交も深い濱田吾愛氏に、カニサレスのこれまでの功績と今回の公演の見どころについて執筆いただいた。

この秋、新作「ボセス」を持って十年振りに来日するサラ・バラス。新作について彼女が家族とともに住む海の町、カディス県エル・プエルト・デ・サンタ・マリアで話を聞いた。

先品を導くのは彼らの声そのもの

―なぜ「ボセス」、声たち、なのでしょうか。
サラ 声ということで、歌についての作品なのではないかなどともいわれますが、そうではありません。私や私の世代に影響を与えた"声たち"に感謝したいという気持ちからこの作品は生まれました。"声"は喉から出るものばかりでなくその人の表現手段のことでもあるんです。たとえば私の声は踊りなんです。ただ、私がこれまでに直接個人的に話をした、彼らの語る"声"は今も私の耳に刻み付けられています。作品を導いていくのは、彼らの"声"そのものなんです。
 「サボール」という作品は私の母や先生たちに捧げました。そんなこともあってマエストロたちに一曲ずつ捧げるというアイデアが出てきたのです。パコ(・デ・ルシア)にはシギリージャ、カマロンにはタランタ、(アントニオ・)ガデスにはファルーカ、モレンテはソレア、モライートにはソレア・ポル・ブレリア、そしてカルメン・アマジャはブレリアです。カルメンだけは直接会うことはなかったのですが、そのほかの人たちとは一緒に仕事をしたり、直接知っている人たち、直接声を聞いた人ばかりです。
―カルメンはあなたが生まれる前に亡くなっていますものね。
サラ ええ。残念ながら知り合うことはできませんでしたが、私の踊りは彼女と関係が深いと思うのです。彼女の踊りに多くを学びましたし、憧れです。