アグヘタが死んだ   特別寄稿・堀越千秋|シティオの眼

アグヘタが死んだ   特別寄稿・堀越千秋~追悼 巨匠マヌエル・アグヘータ逝く ~   


12月25日、最後の野性"の異名を持つ偉大なカンタオール、
マヌエル・アグヘータが亡くなった。
享年76歳、ただし正確な生年月日は不明。
まだカンタオールの来日公演などほとんど行われなかった時代から、
たびたび来日を果たしていた。

度肝を抜かれるカンテ・ヒターノの叫びと凄みを伝えるとともに、
最後の野性"たる多くのの逸話を残してくれたマヌエルは、
日本のアフシィシオナードたちが
もっとも愛した唄い手といっても過言ではないだろう。
彼を失った悲しみはスペインからはるか離れた東方の国この日本で、
年をまたいで今なお渦巻いている。
そんな中、アグヘータ一族と義兄弟の契りを結び、
マヌエルとも長く深い親交をもち、
カンテ・ヒターノの魅力とその生き様を伝え続けてきたフラメンコ狂画家、
堀越千秋氏に、今の思いを寄稿していただいた。
(編集部・左上舞台写真:高瀬友孝)

    ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★    ★

参ったぜ、マヌエー。
おめえが死ぬとは思わなかった。
ミゲルもそうだろう。
しかし昨夏、ミゲルがおれを呼んだ。
「チアキ、マヌエルが病気だ。今のうちに来た方がいいぞ」

で、おらァすぐに翌日マドリードから行った。
昼すぎへレス駅に着くとミゲルの使いのヒターノが2人待っていた。その車でミゲルの家へ行き、そこからミゲルの超ボロ車でマヌエルの家、荒野の一軒家に行ったんだ。
何故そんなややこしいことをするかというと、ミゲルの車じゃヘレスへ行けないし、マヌエルは他人を一切家に入れないからだ。

「おめえが遅いから食っちまった!早く食え」
と、相不変のマヌエルだったが、やせて干からびた軍鶏みてえだった。
カナコ夫人の作ったプチェーロと、でかいスイカを庭の木蔭で食った。

IMG_2401.jpgマヌエルは、
「おれは病気だ!死ぬかもしれねえ。もしかすると5年ぐらい生きるかもしれねえが、おれは死ぬ」と言った。
ミゲルが無責任に叫んだ。
「おめえは死なねえ!」
「人は皆死ぬんだ」とおれは言った。
「そうだ。人は皆死ぬ」とマヌエルが言った。
またミゲルが無責任に叫んだ。
「おめえは死なねえ!」
「人は皆死ぬ」とおれはTシャツをめくって言った。
「見ろ!こいつを見せてやる。先頃ガンと言われて切った。それきり薬も飲まねえ。おれは元気さ!」

マヌエルとミゲルとマヌエルの客のヒターノ、計3人はイスから腰を浮かしておれの腹の20センチの傷をのぞき込んで、一斉に「おっふう!」と叫んだ。
その様がおかしくておれはゲラゲラ笑った。とんだ田舎歌舞伎だ。

マヌエルの脚やふくらはぎにさわってみると、ガリガリにやせていた。
背中も肩甲骨がはっきり手にさわった。

元々やせてはいたが、違った。
真ッ赤なスイカを食いながら、おれたちは昔話をした。
妙に、昔話をした。そうして笑った。

「またな」と言い合って、おれはマヌエルと抱擁のあいさつをして、ミゲルと、家の門を出た。
マヌエルは弱々しく笑って見送ってくれた。
物凄い音のするミゲルの超ボロ車で、のろのろとロタのミゲルの家に戻り、夜はそこで寝た。

その後、何度かマヌエルとは電話で話した。
ミゲルの悪口なども話して笑った。
マヌエルは膀胱ガンだった。
下北沢で唄った頃は、わからなかった。昨夏頃わかったらしい。
マヌエル自身も知っていたと。

昨11月22日には、カナコ夫人からメールをもらった。
「マヌエルは脚が痛いようですが、毎日元気に食べて町にお出かけしています」

その後痛みが始まったのでヘレスの病院に入院して鎮痛剤を受けていたらしい。
看護婦がその点滴をモルヒネに変えたとたん、ベッドに座っていたマヌエルは後ろにひっくりかえって絶命した、とカナコ夫人は言った。
クリスマスだった。 父(アダヘタ・ビエホ)も姉も、クリスマスに死んだらしい。
マヌエー、おめえが死ぬなんて。
おめえは実に沢山沢山、おれにくれた。
実に!全てを!沢山!ムーチョ!

30年近く、雑誌(パセオ・フラメンコ)に書いたのが、おれの「白鯨」だよ。
頭のおかしい孤高の船長エイハブが、おめえだったな。
おめえみてえな男は、見たことない。
一言じゃ言えないわい。
むかし、おめえがおれのアトリエで言ったっけ。
「おれたちゃ、永遠の友だち(アミーゴ・デ・シエンプレ)だよな、チアキ」
そうとも、マヌエル。
寂しがりだな、おめえは。
 
カナコ夫人からメールが来た。(12月27日)
「ゆうべ、ヘレスのタナトリオからマヌエルの遺灰を持ち帰りました」

不思議なことに、これを書いて、ふと後を見ると、板の間が濡れている。
おかしいな。
なめて見るとかすかに塩味がする。
猫の小便か、おめえの涙か?

あばよ、マヌエー。またな!

マヌエル・アグヘータ について

本名マヌエル・ビエホ・サントス・パストール。父はマヌエル・トーレの歌を味わい深いカンテで伝えたアグヘータ・エル・ビエホ。娘ドローレス、息子アントニオの歌い手。兄弟一族は、鍛冶屋を生業としながら、セミ・プロとしてカンテ・ヒターノの真髄を伝える歌い手たちだが、長兄マニエルは、一人70年録音の初レコード「ビエホ・カンテ・ホンド」の録音をきっかけにプロ活動を始める。その腸からの叫びは、"最後の野性"と称され、生粋のヒターノとしての生き様を貫きながら唯一無比の歌い手としてその名を馳せた。故郷のロタには、巨大な彼のモニュメントが建立されている。1984年初来日。以降、バイラオーラのカナコ夫人と共に、何度もの来日を果たしている。一昨年、下北沢タウンホールで行われた公演が最後となった。2015年12月25日、先頃ガンにより永眠。
「アグイヘータ・エン・パリ」「フラメンコの大家たちvol.5 マヌエル・アグヘータ」など多数の録音がある。最新作は息子アグヘータと共演した「アル・メホール・dr・ナシオ」。カルロス・サウラ監督の映画「フラメンコ」での熱唱は、まだ「カンテ」を知らない世界中の人々にその魅力を伝えた。

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堀越千秋 プロフィール

スペインを描き、日本を焼く画家・陶芸家・エッセイストにしてカンタオール。東京芸術大学大学院卒業。1976年スペイン政府官費留学生としてスペインに渡り、以来マドリードに住む。画業の傍ら、フラメンコ、とりわけカンテ・ヒターノの魅力に取り憑かれ、自身も唄うようになる。フラメンコの名門一族アグヘータ家の長兄フアンとは、義兄弟の契りを結んだほどの仲。そのアグヘータ一族との親交や彼らの生き様、フラメンコの魅力を綴った「フラメンコ狂日記」を専門誌「パセオ・フラメンコ」に30年近く連載した。10年以上にわたり全日空の機内誌「翼の王国」の表紙を手がけ、近年は日本とスペインを行き来しながら、陶芸や舞台美術も行っている。
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    フラメンコの香りが色濃いカディスに生まれ、幼少の頃からその非凡な才能を現す。その頃よりフラメンコ界の大御所達、チャノ・ロバト、ファン・ビジャール、マリアーナ・コルネホ、テレモート、ドゥケンデ、ニーニャ・デ・プエブラ達とすでに同じ舞台に立っていた。また、第一線で活躍中の舞踊手の伴唄者としても愛されており、ラファエラ・カラスコ、アンドレス・マリン、ベレン・マジャ、ラファエル・カンパージョ、ファルキート達とスペイン国内だけでなく、世界中で共演している。特に最近のファルキートの公演には必ず彼女の姿がある。数多くの賞も受賞し、2007年に初アルバム、"Barcas de Plata"を発表後はソリストとしても精力的に活躍をしている。