スイスの地でフラメンコを求めて       特別寄稿 林結花|シティオの眼

スイスの地でフラメンコを求めて       特別寄稿 林結花~エンカルナ・アニージョ日本公演実現に奔走する日々~    

〔リード〕
2月にカディスの歌姫エンカルナ・アニージョの公演&講習会が東京と大阪(講習会は名古屋も)で開催される。

エンカルナは、フラメンコ最大のサイトであった「フラメンコ・ワールド」が立ち上げたレーベルの第一弾をCD「バルカス・デ・プラタ」で飾った歌い手。昨年末来日した同じく歌い手ホセ・アニージョの妹。独特の泣き節とカディスの明るさとを備えた今注目の実力派だ。

このエンカルナ来日公演の立役者は、今はスイスに住んでいる林結花さんだ。
スイスへ渡ったばかりの頃、彼女から届く声は苦しいものだった。
生活からフラメンコが消えてしまった空しさに悶々とする日々......。
昨年秋のとある日、そんな結花さんから、
「日本にエンカルナを呼ぶことにしました」との報が届く。

以前から、結花さんのスイスでの生活ぶりを寄稿してほしいと、シティオ編集部は依頼していた
そして先週、公演を控え日本に帰国する直前の結花さんから、原稿が届いた。(編集部)


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混沌――。
スイスへの転居で、これまで25年かけて日本で築いたものをすっかりなくしてしまった。

活動の場もなく、毎週16年間、必ず顔を合わせていた生徒さんもいなくなり(この場合私がいなくなってしまったのだが)、練習したくとも場所もない。
ようやく探し当てたスタジオも床が固く練習するたびに頭痛に悩まされ......、書き出すと止まらなくなる。
友人もいない。ドイツ語もわからない。
好きなフラメンコも、それを語り合ってエソエ〜と一杯酌み交わす相手もいない。
外国に行くならスペイン、のはずなのに、なんでここにいるのだろう。
チューリッヒで一番「イケてる先生」という評判のクラスへ行けども「イケてる」フラメンコにはもともと興味が無いのだ。

そんな時、リサイタルでお世話になったアントニオ・モジャから、イネス・バカンと公演でスイスに行くから、泣いてないでおいでと招待してもらった。
それはフランス語圏のジュネーブであったことから、ドイツ語圏の自分のいる周辺にイネスを呼ぶ、それを目標に頑張ろうと決めた。その思いは今も心に燃え続けている

1512454_10205146216271683_4173455659316735803_n.jpgしかし、どうあがいてもスイスにはスイスの縄張りがしっかりあって、入り込む隙はなかった。
仕事を求めてスペインからアーティストも大勢やってくるし、
アンダルシア移民だっていっぱいいるスイス、白人社会。

そんなある日、夫の母から言われた、
「もう思い残すことないでしょう? 引退したら?」
この一言に呪縛にかかってしまった。

そうか、もう終わったのだ、私のあの熱い日々は。
無理に自分を納得させよう、なんとか折り合いをつけようとして走り続けていたのに、急ブレーキをかけた。
そしてついに。私は変になってしまった。

毎日涙が止まらない。
胸が苦しくなる。
住む家も思い願ったようには決まらず、引っ越してイケアの家具を夫と運んだことでヘルニアが悪化しMRIにかかるはめになり、
精神状態、健康状態ともに最悪になってしまった。

自分の嫌な部分、弱さを思いっきり見てしまった感のあるこの時期に気づいたことは、
自分がこれほどこだわるフラメンコの活動について言えば、
今まで自分で持っていたと感じていたものは、
砂の城のように消えるものであったということ。
その気にさせてもらえる環境にいただけだったのだ。

だが、何もかもなくなった時こそ、
本当に自分が何者であるか、
何者でありたいのかに気づくチャンスだった。

そしてスイスに渡って1年が過ぎた、2013年。
スイスのチューリッヒに公演と講習会に来た
エンカルナと再会したのだ。

再会と言っても最初の出会いは一方的。
もう10年以上前、
小島章司先生の公演で16才の彼女が2階席のバルコニーでサエタを歌うのを見た日以来だ。
今でも鮮烈に覚えている。
なんて素敵なのだろうと思った。

enkaruna2.jpg

チューリッヒでの彼女の公演はVuelo del Canteと銘打って、
夫君のギタリスト、ピトゥケテとフラメンコの部分が主だったが、他にピアノを交えて歌ったアルフォンシーナ・イ・マルといったラテンの名曲も彼女らしく素敵だった。
最後にはブレリアを歌い踊り、そうそう、やはりこうでなきゃ! 
まだ若いのに、昔良き往年のフラメンコの匂いがしてそこがとても良かった。
因みに日本公演はMar de Coplas, 全部フラメンコだ。

公演前に、講習も受けたのだが、それは衝撃的だった。
私は長年カンテも勉強しており、踊る時には歌を聞いているつもりだったのだが、それがいかに表面的だったか、思い知らされたのだ。深く聞いているつもりが、ただ単に深く自分の殻に潜っていただけであったと言う事に気が付かされたのだ。

講習会には色々なレベルの踊り手、ギタリスト、歌い手が来ており、三者合同のレッスンだった。そこでいきなり出合ったばかりの三者が一緒にフラメンコするのだが、なかなか上手くいかない。その様を見ることにより、本来どうあるべきかがより明確に確認できる、という内容だった。
指揮者としての自分が、どのように指示を出せば経験の浅いバックにも分かってもらえるのかなど、気づきが多くあった講習会であった。

強く思ったのは自分を「いい気持ち」にさせてくれるバックがいない事により、逆に自分の姿が直視できたということ。
これは昔習ったアンヘル・トーレスというアントニオ・ガデスの師匠だった方の個人レッスンで、「踊るな!」と言われ続けたことに似ていて、「その気」になって制御が効かなくなる自分をまず押さえる、といった意識の持ち方と通じるのではないだろうか。

踊りのクラスも、先生が盛り上げ、その気にさせて満足感を得るなどというクラスはたしかに楽しい。
キャッチ力の優れた人には勿論その繰り返しで修得するものは大きいだろう。
しかし、楽しかったね、だけで終わる危険性もあるのではないか。
まさにその楽しさだけを求めている人もいると思うので、それはそれでいい。
ただ、自分が何かを起こしたいなら、今を直視することは必要だと思うので、そこに行きつくための、エンカルナの講習会であったと思う。

結局私は、きっとこの先もフラメンコから離れることはないのだ。
そして、砂の城のようには消えてはしまわないものも確かに自分の中には存在するのも知った。

この講習会の時に「いつか一緒に日本で」、とエンカルナに言われた。
だが、一介の無職の主婦である自分にできるわけもなく断った。
だが、それからもずっと、機会あるごとに彼女と話をして遂に今回このように奔走するに至った。

日本を旅立つ前に行ったリサイタルの時には、アントニオ・モジャ、マリ・ペーニャをスペインから招聘した。
ヒターノのアルテ。
間違いなく私の内臓を動かすのは彼らだ。

今回のメンバーが前回とあまりにも違うと、
だから見に行かないと言う人もいた。

でも、私は私。もっと自然にありのままでいたい。
ご縁が有り、エンカルナ、ピトゥケテの真摯な人柄に心が動いたから、だからそうするだけのこと。
しかも、なにより彼女のカンテはすばらしいのだ。

思えば以前は、間違ったことを言いたくない、と思っていた。
当たり障りなく居たくないのに、誰からも認めて貰えるように当たり障りなく居ないといけない、というふうに思いこんでいたのだろう。
それはフラメンコにおいても、しかりだった。
自分の「そうある姿」を添削、採点されるような、そんなところに自分の価値観や基準を置いていたのかもしれない。
だからといってタガが外れたような事をしたいわけではないが、
せめて、自分が考えて思っていることは自分の言葉ではっきりそう言いたい。

yukayennkaruna.jpgスイスでの苦しい生活の中で、出会ったエンカルナとその歌。彼女の歌と私が体験した講習会を2月に日本で行う。ぜひ日本でフラメンコを追求されている皆さんに、お届けしたいと思っている。彼女の歌とクルシージョは、きっとあなたに、フラメンコと向き合うときの大きなヒントを与えてくれると思う。

最後に講習会について、少し説明させていただきたい。
「Códigos de improvisación〜インプロへの鍵」という題の講習会をエンカルナは夫君のチリ人のギタリスト、ピトゥケテとともに、南米のブラジル、チリ、ヨーロッパ各地でもう何年も開催してる。
ピトゥケテ自身が外国人でありながらニーニョ・リカルド国際ギターコンクール(沖仁氏も同コンクールで優勝)で優勝するほど研鑽を積んだ経験を持つ。
二人共情熱を持って振りやテクニック教えるだけではない、歌、ギター,踊りが三位一体となれる事を目指した一歩踏み込んだことを教えようとしている。

具体的には各90分、計3時間の二時限構成になっており、一時限目に歌い手、踊り手はエンカルナに歌を学ぶ。ギタリストはアンドレスと時間を共にする。今回はソレア。踊りの人が歌を習うのは決して歌うためではなく「より深く歌を知る事」が目的だ。

歌を習った後の二時限目の展開としては、3人一組になり歌い手は歌って、踊る人は踊る、ギターはギターを弾くという流れになる。自分が奏者になることもあれば、また人を見ているだけのことも有る。見ていて学ぶことが多い。

確かに初心者向けの内容ではなく、それを三日間行うので忙しい東京人には無理だと信頼する筋に言われたが、悩んだ末、彼らがいつも行う分量、形を尊重することにした。
それは私自身の経験から、フラメンコに手軽に早く学べる道はないと知っているからだ。

このようなとても正直なお声を頂いた。
「クルシージョ、とっても興味があるのですが、内容が高度すぎで躊躇しています。躊躇の理由は、 出来ないけどやってみよう!という勇気を持つのが難しいこと。できななかったら恥ずかしいし、理解が追いつかなくては受ける意味がないという心配です。でも、がーん!となるかも知れないけど、とうとう立ち直れないようなフラメンコ体験をする時が来るのか?!と大げさにドキドキしつつ、参加を決めました」。

案ずるより産むが易し、自分の「今」を直視するいい機会だと思う。
今回は通訳で入る私もまた気づくチャンスだと楽しみにしている。

さぁ、本番まで2週間あまりとなった。
私は、最後の準備に全力を尽くしたい。

末筆ではあるが、こんなへそまがりの私を受け止めて下さって沢山の助言、忌憚のない意見を下さった諸先輩方に、この企画の実現に受けて実際に手を貸して下さる方々に心からの感謝を捧げたい。

雪のスイスBaarにて 林結花


※公演日程
エンカルナ・アニージョ公演 Mar de Coplas 
大阪 2月7日(日) 詳細情報はこちら
東京 2月14日(日) 詳細情報はこちら

※エンカルナ・アニージョ講習会
大阪・名古屋・東京で開催 詳細情報はこちら

※エンカルナ・アニージョを聴いてみよう!
CD「バルカス・デ・プラタ」はこちら

エンカルナ・アニージョ について

フラメンコの香りが色濃いカディスに生まれ、幼少の頃からその非凡な才能を現す。その頃よりフラメンコ界の大御所達、チャノ・ロバト、ファン・ビジャール、マリアーナ・コルネホ、テレモート、ドゥケンデ、ニーニャ・デ・プエブラ達とすでに同じ舞台に立っていた。また、第一線で活躍中の舞踊手の伴唄者としても愛されており、ラファエラ・カラスコ、アンドレス・マリン、ベレン・マジャ、ラファエル・カンパージョ、ファルキート達とスペイン国内だけでなく、世界中で共演している。特に最近のファルキートの公演には必ず彼女の姿がある。数多くの賞も受賞し、2007年に初アルバム、"Barcas de Plata"を発表後はソリストとしても精力的に活躍をしている。

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林結花 プロフィール

2013年よりスイスBaarにてフラメンコ教室を主催。1987年、大阪でフラメンコを始める。 松下幸恵氏、AMI氏、入交恒子氏に師事する。その後、何度もスペインに留学し、シロー、マノロ・マリン、コンチャ・バルガス、カルメン・レデスマ、ペパ・モンテス、アナ・マリア・ロペス、イサベル・ロペス、マリア・デル・マル・モレーノ他、数多くのアーティストに師事する。プロとしての舞台活動を1995年より、教授活動(恵比寿・代官山)を1998年より始める。1998年 TVフランス ドキュメンタリーDVD『Ciudad Flamenca』に出演。12年からはスイスに移り住み、フラメンコの活動を模索し続けている。
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  5. スイスの地でフラメンコを求めて       特別寄稿 林結花
    フラメンコの香りが色濃いカディスに生まれ、幼少の頃からその非凡な才能を現す。その頃よりフラメンコ界の大御所達、チャノ・ロバト、ファン・ビジャール、マリアーナ・コルネホ、テレモート、ドゥケンデ、ニーニャ・デ・プエブラ達とすでに同じ舞台に立っていた。また、第一線で活躍中の舞踊手の伴唄者としても愛されており、ラファエラ・カラスコ、アンドレス・マリン、ベレン・マジャ、ラファエル・カンパージョ、ファルキート達とスペイン国内だけでなく、世界中で共演している。特に最近のファルキートの公演には必ず彼女の姿がある。数多くの賞も受賞し、2007年に初アルバム、"Barcas de Plata"を発表後はソリストとしても精力的に活躍をしている。