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この秋、新作「ボセス」を持って十年振りに来日するサラ・バラス。新作について彼女が家族とともに住む海の町、カディス県エル・プエルト・デ・サンタ・マリアで話を聞いた。

先品を導くのは彼らの声そのもの

―なぜ「ボセス」、声たち、なのでしょうか。
サラ 声ということで、歌についての作品なのではないかなどともいわれますが、そうではありません。私や私の世代に影響を与えた"声たち"に感謝したいという気持ちからこの作品は生まれました。"声"は喉から出るものばかりでなくその人の表現手段のことでもあるんです。たとえば私の声は踊りなんです。ただ、私がこれまでに直接個人的に話をした、彼らの語る"声"は今も私の耳に刻み付けられています。作品を導いていくのは、彼らの"声"そのものなんです。
 「サボール」という作品は私の母や先生たちに捧げました。そんなこともあってマエストロたちに一曲ずつ捧げるというアイデアが出てきたのです。パコ(・デ・ルシア)にはシギリージャ、カマロンにはタランタ、(アントニオ・)ガデスにはファルーカ、モレンテはソレア、モライートにはソレア・ポル・ブレリア、そしてカルメン・アマジャはブレリアです。カルメンだけは直接会うことはなかったのですが、そのほかの人たちとは一緒に仕事をしたり、直接知っている人たち、直接声を聞いた人ばかりです。
―カルメンはあなたが生まれる前に亡くなっていますものね。
サラ ええ。残念ながら知り合うことはできませんでしたが、私の踊りは彼女と関係が深いと思うのです。彼女の踊りに多くを学びましたし、憧れです。

昨年に続き、今年もロシオ・モリーナが来日する。

ロシオを知った初期の頃、2004年のニューヨーク、シティーセンターや翌年の日本でのフラメンコ・フェスティバル(「ガラ・フラメンカ」でエル・グイト、メルチェ・エスメラルダ、ヘラルド・ヌニェス、カルメン・コルテス、ラファエラ・カラスコらと共演)では、ボランテ(スカートのフリル)のついた"いわゆる"フラメンコ衣装やバタ・デ・コーラで、素晴らしく完成度の高い正統派フラメンコを踊っていた。当時、弱冠20歳だったが、そのベビーフェイスと年齢に似合わない老練さ、パストーラ・インペリオやカルメン・アマジャの姿を思い起こさせるような瞬間があったのが印象的だった。

■円熟の境地を迎えたラファエル、4年ぶりの公演。
全身を楽器のようにして、心地よいコンパスを奏でるラファエル・カンパージョ。無類のコンパス感、俊敏な動き、溢れるパワーと絶妙の緩急。そのテクニックの確かさは、急速に進化し変貌を遂げた90年代以降のバイレを象徴するかのごとき存在感を放つ。そんな彼が4年ぶりに来日し、東京と大阪で公演を行う。

今回上演されるのは「TRES TIEMPOS」。今彼と最も息の合う仲間を引き連れ、フラメンコの原点にして永遠のテーマ、バイレ、ギター、カンテの三位一体を表現するという。

少し時間がたってしまったが、「シティオの眼」で、どうしてもお伝えしたい発表会がある。
11月1日にエル・フラメンコで行われた「Fin de Cruso」だ。
これは、メロンシートこと松村哲志率いるフラメンコロイド(阿部真、高橋愛夜)が指導する全国各地の生徒が参加して行われたもの。

スペインに居を構え、バルセロナを拠点に活動しながら、日本でも意欲的に舞台公演を行ってきた中田佳代子。生命力にあふれ、コンパスを全身で表現するそのバイレは、タブラオでのステージでもひときわ魅力を放つが、中田のアルティスタ魂は、彼女をテアトロの作品へ、新たな挑戦へと突き動かしていくようだ。

去る2月26日、突然の訃報によって、とてつもない喪失感に襲われた。 あのパコ・デ・ルシアが逝ってしまったのだから‥‥。

 パコを失った今、改めてパコが我々に提示してきた音楽について簡単に考えてみたい。
ただし、ここで論じることは、あくまでも個人的な見解であり、また"フラメンコの世界の外側にいる人間"としての立ち位置・立場を踏まえながらのお話しになることを、予めお断りしておきたい。なぜなら、音楽に国境は、ある意味、歴然と存在しているのだから‥‥。

パコ・デ・ルシアの存在がなければ、きっと、ぼくはフラメンコギターを弾いていなかっただろう。


当サイトの運営母体であり、日本で唯一のフラメンコ音楽ショップとして展開してきた「アクースティカ」が、設立から30周年を迎えました。これに際して、30周年記念イベント「アルティスタが道案内する"フラメンコのもう一歩奥へ"」を毎月1回、1年間にわたって開催することになりました。

日本のフラメンコをリードする11人のアルティスタが、11のテーマについて語ります。

スペインにフラメンコ留学することは、今ではそう難しいことではない。だが、踊り手としての活動の場を外国人である日本人がスペインでつかむのは、並大抵のことではない。

バイラオーラ萩原淳子は、その堅く閉ざされた道を、一歩ずつ着実に突き進んできた。その間、果敢にコンクールにも出場し、これまでに優勝を含め何度も入賞を果たしてきた。

スペインの劇場で、ペーニャで、フィエスタで、コンクールという場で、踊り手としての経験を重ね、自身のフラメンコを追求してきた彼女が、来る4月に在西10年記念公演「ハモンは皿にのせるだけでよい」を開催する。

その公演を前に、彼女にとってのこの10年間の意味と公演に向けての想いをインタビューした。

今年も残すところ1カ月余り。
夏以降、素晴らしいアルティスタたちの来日が相次いできたが、
これからも見逃せないアルティスタが立てつづけに来日する。

シティオが特に注目しているのは、カンテのヘスス・メンデス、ギターのアントニオ・モジャ、
そしてカンシオン歌手でフェステーロのフェルナンド・ソトだ。

ところで、日本のフラメンコは踊りが主体なので、公演もまた舞踊公演が多い。
だから珠玉のカンタオールやギタリストたちも、その多くは踊りのバックを務める伴唱者、伴奏者として来日を果たす。
ギターソロ、カンテソロを主体にした来日公演は本当にわずかなのだ。

そうした状況の中で、いつも残念に思うことがある。