南フランスのモン・デ・マルサンでのフラメンコ・フェスティバルが始まって3日目。今まで様々なフラメンコフェスティバルに足を運んできましたが、このモン・デ・マルサンは一味違いました。「フラメンコだったらスペインに行くべきでしょう。」思われるのは当然ですが、今やスペインに行っても数日間の滞在では、フラメンコを身近に感じて過ごせる場所はなかなか見つかりません。(写真右下:川辺でのフラメンコ公演に地元に人々が集う。)DSCN0793.JPG

ところがここではこの一週間、村全体がフラメンコ村と化しているのです。並行して開催されているバイレ、カンテ、ギター、カホン、コンパスのクラスで学ぶこともできれば、野外や入場料無料の会場でのフラメンコ公演、イベントでゆったりと午後を過ごすことも」できます。スペインの第一線で活躍中のアーティストによる公演も毎晩開催され、その他にも夜はオフ・フェスティバルのイベント、ペーニャなど、街を歩いていてフラメンコを耳にすることができるのです。ちなみに今こうして記事を書いている間も、風に乗ってフラメンコ音楽が聴こえてきています。どの会場にも徒歩数分で行けるアクセスの良さも魅力のひとつ。こんなに濃いフラメンコ体験がフランスできるとは!このフェスティバルについては、バカンスや修行の場として改めてご紹介したいと思います。
アーティスト達の生活も、この"フラメンコ村"にいる間は「古き良き時代のフラメンコ」的な流れがあり、宿や食事もみんな一緒。自国スペインにいるときよりも、フラメンコ達が共生する環境があり、彼らの中からも「この状況はスペインより濃い」という声が聞かれるほどです。

Spectacle Utopia par la cie Maria Pages 01.07 (2).jpgのサムネイル画像初日のマリア・パヘス舞踊団「ユートピア」は、オープニングイベントにふさわしく2300人余りが収容できる大きな会場で公演。(この会場だけは車でないとアクセスできません。)開放的な空間にアナ・ラモンの歌声が冴えわたり、サパテアードの音もクリアに響き、群舞の場面も鮮やかに決まっていました。両サイドに巨大なプロジェクターが設けられ、数台のカメラによる映像が選ばれて大写しされ、ライブ感と同時に映画を見ているような迫力も味わえました。マリア・パヘスは満員の観客の喝采に、水を得た魚のように生き生きと踊っているように見えました。美しい開幕公演となりました。

二日目は、カフェ・カンタンテと名付けられた元市場を改装した巨大ライブ会場に場所を移し、一部ディエゴ・デル・モラオのギターコンサート、二部はバイラオーラ、ラ・モネタの舞踊公演。Spectacle En Concierto par Diego Del Morao Au Cafe Cantante.jpg
二年前に亡くなってからも、いまだにフラメンコを愛する人の心の中に生き続けている父モライート(ギタリスト)。そのアルテの継承を望む人の期待に十分に応える演奏で会場をへレスのスイングで包んでくれました。ファミリーを中心にした気心の知れた仲間を配したフォーメーションは、セカンドギター:ペペ・デル・モラオ、カンテ:マロコ、パーカッション:アネ・カラスコ、フアン・グランデ。会場からはホセ・バレンシアやファルキートの声が飛び交い、まるでスペイン、さながらへレスにいるようなひとときとなりました。公演前の記者会見で印象的だったのは「あなたの演奏の中にあるへレスらしさってなんですか?」という質問への答え。ディエゴの口からは明確な答えは出てこず、むしろ困っているくらいに見えました。つまりそれは"彼らはそんなことは意識していない"ということなのだと思います。生まれた時から自然にやっていること。だからへレスらしくとか、フラメンコらしくと意図などしていないのです。公演後にも「演奏を始める直前に、キーの高さを変えたのはどうして?」という問いかけにも「いや、別に。その時そっちのほうがいいと思ったから」と。本物のフラメンコは次の世代にも受け継がれています。

DSCN0838.JPG今回のラ・モネタは、ワイルドさに女性らしさがぐっと加わった感がありました。ハビエル・ラ・トーレをゲストに迎えてのパレハ(ペアでの踊り)、さらに後半は男性カンテ4人を従えての堂々のバイレ。中でもフアン・ホセ・アマドールのカンテとのかけ合いでのシギリージャでは、曲の意味する苦しみ、悲しみを見事に表現。素顔はとても素朴で可愛い女性。これからさらに楽しみなバイラオーラの一人です。

さて、このフェスティバル期間中にはクルシージョも開催されているとお知らせしましたが、ファルキートのマスタークラスを見学することができました。DSCN0777.JPG日本ではなかなか見つけることのできないご覧のような広いレッスン会場に、生徒は7人というなんとも贅沢な状況。生徒のレベルはかなりまちまちでしたが、一目でファルキートのだと分かるかっこいい振付を施していました。
「フラメンコは難しい。25年踊っていても、どうしていいかわからない時がある。だから鍛錬し続けている。」「体を動かして練習することはもちろん大切。とにかく練習を積むこと。しかし、その前にもっと学ばなければならないのは、フラメンコがどこから来たか。誰が作ったか。そしてその先人たちへの尊敬の念を持つことだ。教室で習っていると、まるで僕ら(の世代が)作ったものかのように勘違いしがちだけど、そうではない。往年の踊り手たちの踊りを知らずして踊ることはできないんだ。」と話してくれました。DSCN0820.JPG
つまり、フラメンコ創世記のバイレは「古い」のではありません。「オリジナル」なのです。オリジナルができないのに、アレンジはできないということです。ディエゴ・デル・モラオへのインタビューでも、技術よりもまずはアフィシオン=芸術を尊敬し愛する心、姿勢を尊んでいました。(写真左:ディエゴ・デル・モラオのコンサートの最後。ファルキートとホセ・バレンシアも舞台上に登場。)
フラメンコのど真ん中に生まれ、日々の生活の中でフラメンコを身に付け、アーティストとして活躍していても研鑽をやめない。そういう彼らの努力があってこそ、フラメンコという芸術が生き続けているのだということを実感し、これからの彼らのアルテを観るのがますます楽しみとなりました。

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アクースティカ倶楽部は、仲間とともにフラメンコの「楽しさ」を追求する、フラメンコ好きのためのコミュニティです。