フラメンコで使う楽器は本来ギター。また、テーブルを指で打ち鳴らしたり(ヌディージョ:Nudillo)、手拍子(パルマ:Palma)を入れていたのが原点。箱状の打楽器のカホン(Cajon)は、今ではフラメンコの定番になっていますが、実はペルーの楽器で、1973年頃にパコ・デ・ルシア(Paco de Lucia)がフラメンコに取り入れました。その後、ベース、フルート、カホン以外のドラムなどのパーカッションと広がりを見せました。ピアノの歴史はもっと古く、アルトゥーロ・パボン(Arturo Pavon)が1949年から弾き始めました。彼はヒターノ。父はカンタオール、母はバイラオーラというフラメンコな環境で生まれ育った、フラメンコが母国語のアーティストです。

Diego Villegas `Bajo de Guia´ 03b.jpgフラメンコは楽譜のない音楽。生活の中で発生し形となったものを、習うというより自分で見聞きして覚えて自己研鑽しながら次の世代がまたそれを引き継ぎながら発展させてきたものです。それが、外国人によって楽譜化され、今ではフラメンコピアノやギターなどを習得するための教材として普通に入手できるようになりました。そのおかげで、音楽のベースがあって、楽譜が読めれば、フラメンコの"曲"を弾くことはできますが、"フラメンコ"を弾けているかどうかは、フラメンコをよく知っている人が聴けばわかります。踊りも、ある程度他のダンスの経験があれば、振り付けを覚えることは可能で、フラメンコの曲に合わせて正確に上手に踊ることは短期間でも可能でしょう。しかし、"ダンス"ではなく、"フラメンコ"を踊れているかというと、これは別の話となります。以前に書いたマエストロたちは、子供の頃からフラメンコの中で生きているので、その動きは自然にフラメンコの形になっています。カンタオールたちも、歌う歌詞の言語、閑居の中で生きています。言語は記号ではなく、風土、習慣、文化から生まれたもの。それの言語の生まれた土地や文化をレクペクトし、時間にかけて続けていれば、たとえ母国語は違っても限りなくネイティブに近づくことはできるはずです。

楽器から話がそれてしまいましたが、今回、ビエナル公演の中からご紹介するのは、吹奏楽器、具体的には木管楽器系のサックス、フルート、ハーモニカ、クラリネット奏者であるディエゴ・ビジェガス(Diego Villegas)。列挙した楽器はフラメンコでは元来使われていなかった楽器です。ディエゴが生まれたのは、アンダルシア州カディス県のサンルーカル・デ・バラメダ(Sanlucar de Barrameda)。シェリー酒の種類で"マンサニージャ(Manzanilla)"というのがありますが、それはこのサンルーカル・デ・バラメダで獲れた葡萄から造られたものです。カディスとへレスの間にあって、フラメンコも土地に根付いています。ギタリストのマノロ・サンルーカル(Manolo Sanlucar)をはじめとして、フラメンコアーティストも多く輩出されており、ディエゴの姉のラケル(Raquel Villegas)もバイラオーラです。

Diego Villegas `Bajo de Guia´ 01b.jpg子供の頃からフラメンコは常に身近にある環境に育ち、8歳からギターを10歳からクラリネットとパーカッションを始め、地元の音楽グループに参加して、12歳で既にソリストとして活躍するようになりました。その後、音楽大学に進学し、テナーサックスとソプラノサックスを学び、ハーモニカとフルートは独学で身につけたそうです。母国語がフラメンコという強みもあり、ジャズやクラシック、ラテン音楽だけでなくフラメンコの中でこれらの楽器を活かしたいという思いで、フラメンコ歌手、バイラオール、既にパコ・デ・ルシアのグループでフルートを演奏してたホルヘ・パルド(Jorge Pardo)らとも共演し、実力をつけてきました。これらの楽器はジャズでよく使われますが、「ジャズとフラメンコのスイング感には共通性がある」という説もあるように、学術的な部分ではなく、往年の曲やアーティストへのレスペクトの風潮や暗黙のルールがありながらも自由な遊びの部分があるところなども共通点があるように思います。ジャスに関しては私はよちよち歩きどころか、首も据わらない赤子の状態ですが、昨年生パット・メセニー(Patt Metheny)を見て、舞台に登場した時の感じや、他のミュージシャンとの絡み方、客席に送る笑顔や仕草など、以前に一緒にお仕事させていただいたフラメンコギタリストのトマティート(Tomatito)を彷彿させる場面が多く、ぐっと身近に感じるようになり、興味を持ち始め、次の来日もコンサートに足を運びました。やはり良いものとの出会いが興味を持つきっかけになるというのを改めて確認。

初めてディエゴ・ビジェガスの演奏を聴いたのは2014年のへレスのフェスティバルでのバイラオール、アンヘル・ムニョス(Angel Munoz)公演。

Angel Muñoz -Ángel del Blanco al Negro from ARTENAUTAS.INFO on Vimeo.

その時もソプラノサックス、フルート、ハーモニカと出るたびに違う楽器を演奏するので、なんて器用なんだと驚き、そして、違和感なくフラメンコに溶け込んでいるので好印象を持っていました。そのディエゴが今回のビエナルでソロコンサートをするというので、行ってきました。場所は、サン・ルイス・デ・ロス・フランセセス教会でチケットは完売。
舞台上にはギター、ベース、パーカッション。そこにディエゴがフルートで登場。美しいバロック教会に挨拶するかのようにゆっくりと美しい音色でスタート。そして、リズムは軽快なブレリア(曲種名)に切り替わり、フラメンコ、そして故郷のカディス色へと染めていきます。続いてサンルーカルと音楽への想いを綴った詩の朗読が入り、ファーストアルバム、そして今回のコンサートのタイトルにもなっている曲「BAJO DE GUIA(バホ・デ・ギア:導かれて)」。曲が終わると「今日は朝からがっつり練習してたから、なんかもう夜みたいな気がするよ」とまずは挨拶。次の曲はソプラノサックスに変えて、軽快な曲、タンギージョス(Tanguillos:曲種名でカディスのものが有名)。体でフラメンコのコンパス(フラメンコ独特のリズム)を刻みながら演奏していました。
Diego Villegas `Bajo de Guia´ 04b.jpg
一曲終わるごとに得意(?)のジョークと曲の説明を入れてきます。しかし「このアルバムは、自分を育ててくれたサンルーカルという土地への感謝を込めたもの。ソロアルバム、ソロコンサートと言っても、本当に「ソロ」ではなくて、周りの仲間たちがいてくれるからこそできるもの。」と真面目なコメントも。
ハーモニカを吹くときは、片手に収まるくらいの小さなハーモニカよりも大きいマイクを持っての演奏。歌っているようなメロディーラインです。
続くソレア(Solea:フラメンコの中でも最も原点とされる曲)はアルバム中でも最も大切な曲。すべての女性に捧げる想いで作曲したもの。特に、60年代70年代を生きてきた祖母。スペインの中でも最も暗く厳しい時代の中で、幸せを求めて闘った女性たちへのオマージュだそうです。テナーサックスでの演奏で、シリアスな曲の後は、ガラリと雰囲気を変えて「じゃあ、楽しくやろう!」とブレリアに。ブレリアはフィエスタでよく使われるアップテンポの曲です。パルマ(手拍子)から始めて。楽器はソプラノサックスにチェンジ。次々とブレリアが繋げられて、コプラ(スペイン歌謡)の名曲、"ラ・ビエン・パガ(La Bien Paga)"も聞こえてきました。
楽しいフィエスタな曲が終わると、マイクを持ち「人生、嫌なこと、辛いこと、苦しいことがたくさんあるよね。もちろん、すばらしいこともある。3年前まで、僕は不幸だったんだ。こんなすばらしい人に出会えてなかったから。」とちょっとコミカルに紹介したのが、サンルーカルの隣町、プエルト・デ・サンタマリア出身の有名なシンガーソングライターのハビエル・ルイバル(Javier Ruibal)。ディエゴのことを"素晴らしく明確な音楽的センスを持っている"と評し、ゲストとして登場し、アルバムにも提供している歌を歌いました。

Diego Villegas `Bajo de Guia´ 02b.jpg次のタンゴ(Tango:フラメンコのタンゴで4拍子。アルゼンチンタンゴとは違います)とビダリタ(Vidalita:アルゼンチン起源の曲)は、今度は「幸せのために闘うセニョール(男性)たちに贈ります!」まずは、フルートでタンゴ。すごい速弾き、というか、この場合、速吹き。ビダリタになるとハーモニカに持ち替え、そしてまた最後はフルート。ここまでであっという間に1時間!いい音楽は聴いていると時間を忘れますね。フラメンコを感じながらも、どこか新鮮で心地よく聴ける音楽でした。
残念ながらここでハシゴ族の宿命で、次のコンサートに行かねばならず、会場を後にしましたが、帰りにアルバムは買って帰りました。日本に帰ってからのお楽しみです。

FullSizeRender 2.jpg次に向かったのはロペ・デ・ベガ劇場。前述のトマティートのコンサートです。プログラムには、曲名ではなく曲種名がずらり。一曲だけ「Two much」とありますが、これはピアニストのミシェル・カミロ(Michel Camilo)とのアルバム「スペイン(Spain)」に収録されている「Two much Love theme」そして、カマロン・デ・ラ・イスラ(Camaron de la Isla)のヒット曲「Leyenda del Tiempo(時の伝説)」。トマティートのアルバムにはそれぞれの曲にタイトルが付けられているのですが、フラメンコでは通常、曲をタイトル名で呼ぶことはありません。誰々(それを作った人や歌った人)のブレリア、とか、何処何処(地名)のアレグリアスとか。フラメンコは、何を弾く、歌うより、誰を聴きにく、観に行くの方が重要ということかもしれませんね。

Tomatito 02.jpgまずトマティート一人で登場し、二曲演奏。あくまでも個人的感想とお断りしておきますが、フラメンコギターには、いろいろな魅力があるので、それぞれに好きなギタリストがいますが、フラメンコギターのワイルドさと色気を一番感じさせてくれるのがトマティート。合間に見せる穏やかな笑顔も11年前に日本で初仕事でご一緒させてもらった時と変わっていませんでした。トマティートの定番のアレグリアス、ブレリアを新しいファルセタを加えながら存分に披露。セカンドギターには、すっかり成長した息子さんのホセ・デル・トマテ(Jose del Tomate)、カンテには娘さんのマリ・アンへレス(Mari Angeles Fernandez)。そして、以前、トマティートのグループで歌っていて10年以上ぶりに再参加したエル・ポティート(El Potito)。やはりこの人が歌うとトマティートのギターとしっくりきて、他のカンテ陣とは一際違う巧さで聴かせてくれました。この"しっくり感"というのも個人の感覚なので、決めつけることはできないのですが、バイレと歌、歌とギターにしても、この人にこの声というのが"しっくり"くると、バイレが主役のパートではバイレに、ギターが主役のファルセタの時などにはギター演奏に、カンテが聴かせる場面ではカンテに集中して聴くことができるのです。このバランス感もプロの仕事なのかもしれません。
Tomatito 04.jpgゲストには奇しくもその前のコンサートと同じく、サックス&フルート奏者のホルヘ・パルド。前述のように、パコ・デ・ルシアがフラメンコ世界に誘い、パコ・デ・ルシア・セクステットのメンバーとして長年活躍しました。元は、というか今でもですが、ジャズアーティストであり、これまた前述のパット・メセニーやチック・コレアとも共演。フラメンコ・ジャズと言われる、フラメンコとジャズのフュージョンの草分けです。個人的には、田村正和を細顔にした感じに似てるなと思っていますが、ご覧になった方、いかがでしょう?2年前のパコ・デ・ルシアが亡くなった日の翌日、へレスで予定されていたトマティートのコンサートは中止になりました。そしていまだに、多くのアーティストが公演の中にパコへのオマージュを入れています。パコ・デ・ルシアはかつてカマロン・デ・ラ・イスラと長年コンビを組んでおり、その後をトマティートが引き継ぎ、カマロンが亡くなるまで彼のギタリストであり続けました。そして今、パコと長年ツアーを共にしたホルヘがトマティートのギターに共演し、さらには、カマロンの歌った「Leyenda del Tiempo」。パコ、カマロンという二人の偉大なアーティストの存在を再び思い出さずにはいられない夜でした。

写真(FOTOS):無クレジットのものは cBienal de Sevilla Oficial / Makiko Sakakura
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