スペイン-日本を往復しながら、フラメンコの世界を闊歩する坂倉まきこが発信。

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この記事はフラメンコシティオ内「MUSICOS/アーティスト・インタビュー」に掲載された記事の解説付オリジナルバージョンです。お急ぎの方や公演内容を鑑賞当日まで知りたくない方はこちらへどうぞ!)
スペイン南部アンダルシア地方。大航海時代、多くの帆船が新大陸に向かって航海に旅立つ出発点となったグアダルキビル川が流れるセビージャは、かつては港湾都市として、今はスペインを代表する観光都市として多くの人が訪れる場所。そして、セビージャはフラメンコのメッカでもあることでも有名。旧市街からグアダルキビル川を挟んだトリアナ地区は、1560年以降のスペイン国王フェリペ二世によるヒターノ定住政策で、ヒターノの永代居住地の一つとして指定されて以来、多くのヒターノが移り住み、そこでフラメンコ文化が栄えることになった。
芸術の秋!と言いますが、他にも食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋...結構いろいろありますね。四季のはっきりした日本では、季節ごとに旬の美味しい味覚があるだけに「食欲なんて一年中ある〜」という方もいらっしゃるでしょう。この時期は、気候的に過ごしやすいので、何をやるにも向いていますね。(右下写真:セビージャ、ドン・ファブリケの塔の前に作られたアナ・モラーレス公演の舞台)
世界遺産のアルカサル(Real Alcázar de Sevilla)での連夜のコンサート。会場となっている巨大な中庭の客席に座り、後ろを振り返ると、同じく世界遺産のセビージャの大聖堂(正式名称はCatedral de Santa María de la Sede de Sevilla)のヒラルダの塔が夜空に一段と映えて見えます。舞台上の出演者からちょうど正面に見える位置。その姿に舞台上から「オレ!ヒラルダ!」と声をかけるアーティストも多くいます。(下写真は舞台側から見たヒラルダ)
711年にモーロ人(ムーア人)に征服され、彼らイスラム教徒たちの文化の中心地となったセビージャには、たくさんのイスラム様式の建造物が残っています。レコンキスタ後、モーロ人は追放され、カスティージャ王国の主要都市となったセビージャは、グアダルキビル川を通じて港湾都市として商業の面でも栄え、豊かな街へと発展していきました。(左写真:グアダルキビル川とセビージャのトリアナ地区)
セビージャのフラメンコフェスティバル、通称ビエナルの姉妹フェスティバル「Septiembre es Flamenco」の公演からご紹介しています。このフェスティバル、巷では「ビエナリータ」という愛称で呼ぶ人もいます。「ータ(ita)」「ート(ito)」というのはスペイン語で使う「縮小辞」のひとつ。南米では、特によく使われます。例えば、ビールなどを「ちょっと一杯」というのを「ウナ コピータ(Una copita)」などと言いますが、ウナは数字の1、コピータはコパ(copa)の縮小辞。サッカーの大会で、コパ・アメリカというのがありますね。あの"コパ"=カップという意味です。(右写真はロペ・デ・ベガ劇場の内部)
アンダルシア州セビージャ県セビージャで2年毎に開催される最大のフラメンコ・フェスティバルのラ・ビエナル・デ・フラメンコ、通称"ビエナル"。このフラメンコ・ウォーカーでも何度かご紹介してきました。今年は"ビエナル"はお休みの年なのですが、ビエナルの延長線上のフェスティバルとして"セプティエンブレ・エス・フラメンコ(Septiembre es Flamenco=9月はフラメンコ)"が企画されました。
前回はお薦めの若手歌手をご紹介しましたが、今回は大ベテラン、いぶし銀アーティスト達の公演をご紹介します。(左写真:カレテ・デ・マラガ)
フラメンコ・フェスティバルと名のつくイベントは、スペインだけでなく各国で催されてます。1〜3日程度の短いものから、1ヶ月に渡って続くものと期間も様々。その内容もスペインからのオファーで幾つかの公演を組み合わせたものもあれば、そのフェスティバル独特のチョイスで選んだ個性のある内容を打ち出すところもあります。7月にフランスのモン・デ・マルサンで行われるフェスティバルは、その後者。スペインには地理上近いということもあり、フェスティバルの監督は、しばしばスペインを訪れ、直接現地を視察してその内容を決めているようです。アンティグオ(古いもの)からもっと学ぶべきだと言われる今日この頃。今年は、若手とベテランを同じ日の舞台に立たせるという公演が企画されました。
お伝えしておりますフランスのモン・デ・マルサンのフェスティバルは今年で27年目と言う老舗的存在ですが、昨年始まり今年2歳を迎えるスペインのフェスティバルもあります。今年のヘレスのフェスティバルで活躍の目立ったカディス勢。その中でも、伝説のカンタオール、カマロン・デ・ラ・イスラの出身地、サン・フェルナンドの「ラ・イスラ・シウダ・フラメンカ」(第61回のウォーカーでも紹介しております。詳細、プログラムはこちら)カディス県のアーティストを中心に、マイテ・マルティン、アントニオ・カナーレス、ローレ・モントージャらのゲストも迎えて開催中です。
このフェスティバルで活躍が期待されているのが、地元サン・フェルナンドに住む若手カンタオール、ホアキン・デ・ソラ(Joaquín de Sola)。今日はちょっと意外な経歴のこのカンタオールを独占インタビューをまじえてご紹介します。
フラメンコの公演では、よくタイトルやテーマに「Homenaje(オメナへ=オマージュ)」という言葉が使われます。オメナへとは「敬意や尊敬を表す」こと。以前は、亡くなったアーティストへの追悼公演的なものが多かったのですが、最近ではオメナへの対象とされるアーティストが生きている間にやってこそ、本来の意味のオメナへ公演となると見直されています。フラメンコは生きた芸術。時代と共に変化していくことは否めません。そして、教本や楽譜がない芸術だけに、オリジナルを守り伝えることが難しいけれど非常に大切だということは、今までも何度かふれたかと思います。そのためにも、この現代、舞台に立つアーティスト達がフラメンコ芸術を築いたマエストロ達へのオメナへの気持ちを持ち続け、そのアルテ(芸術)を継承し、私たち観客にも伝えて続けてほしいものです。(写真:祖父ファルーコの姿を重ね合わせて踊るファルー。パストーラ・ガルバン公演より)
連日フラメンコで賑わうここモン・デ・マルサン。今こうして村の中心のホテルの部屋で原稿を書いているときにも、外からは生演奏のフラメンコが聴こえてきています。日本では、街のど真ん中、真昼間とあれば、騒音問題にされてしまいそうですね。