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大沼由紀舞踊公演「Seno Flamenco」まで一か月を切ってしまった。今年は私同様長年フラメンコを追い求め続ける日本人の仲間と、日本に活動拠点を移したカディス出身の歌い手クーロ・デ・ラ・チクエラがメンバーだ。去年はヘレスから4人のヒターノを招聘し、彼らから必然的に湧き上がるフラメンコを受け止め、溺れそうになりながらもなんとか泳ぎ切ったという感じだったが、今年はさて、どんなことになるだろう。

1年半くらい前だったか、ある日突然眼に痛みを感じ、それから眼の中で常に光が行ったり来たりするようになった。最初は右眼だけだったが、その3か月後くらいに左眼もそうなった。本を読むことが好きだったが、紙面に光が走って集中出来ない。パソコンなどの画面を長時間見続けると、光の量が増え焦点が合わなくなる。

庭に生えている草など取って、
ガラスの瓶にほおり込む。
適当にやっても何故かさまになるから面白い。

玄関や窓際に置く。
そのうちに枯れてしまうのだけれど、
この間アイビーから小さな芽が出て来た。

11月2日、3日、大沼由紀舞踊公演"EspontáneaⅣ-フラメンコ、自然発生的な-"が無事幕を閉じた。全国各地から駆けつけてくださったフラメンコファンの皆様、ありがとうございました。5月にトマス・ルビチのCDを聞いて招聘を決意、6月に渡西して出演交渉、ビザ取得、チラシ作り、ソニア・ジョーンズさんとの衣装製作とLatido撮影、バタバタと半年が過ぎ、あっという間に4人のヒターノ達は機中の人となった。

2004、05.07年"Espontánea-フラメンコ、自然発生的な-"というタイトルの公演を打ち、早9年が過ぎた。もうこのシリーズは封印するか、もしくは私がフラメンコに関わり生きて来れた感謝のしるしに、最後にもう一度だけやるか、そんなふうに思いをめぐらすことはあったが、考えても仕方のないこととして、懐深くにしまい蓋をしていた。だが今年5月、アクースティカから購入した1枚のCDが、その蓋をポンと開けてしまった。

3年ぶりのブレーニャコンサートが、3月6日に無事終了した。生徒が出るという意味では「発表会」と言えるけれど、これは生徒と作るコンサート。前回は3年前で、その前はなんと6年前。機が熟したと思う頃、やるぞー!と告げるわけだが、仕事や家庭や親の問題など、様々なものを抱えながら通っている生徒達は大変だ。フラメンコと向き合うことを優先順位の一番に据え置ける私とは訳が違う。しかし私は、フラメンコを踊ること、お客様から貴重な時間とお金を頂戴すること、この二つを生徒達に投げかけ続ける。

無から形あるものへ。それは湧き上がるエネルギーによってこそ生み出される。既成の価値観に守られるものではないので、発表するには勇気もいる。一寸先は闇だ。そんな恐ろしい領域に漕ぎ出した舟に、まさかこの私も乗ることになろうとは。思いもよらぬ展開になった。舟の名前は、~infinito~「無限」。舵を取るのは、そう、あの佐藤浩希である。

東京タワー近くの増上寺で、
昨年の公演「FABULAE-フラメンコへのオマージュ」に出演して下さった
長屋和哉さんがライブをすると言うので、友人と出掛けて来た。

カンテを聞け、と踊り手はよく言われるが、それはいったいどういう意味なのだろう? 単に「カンテをちゃんと聞いて踊る」、あるいは「踊るための勉強としてカンテを聞く」、ということではないような気がする。カンテを聞けとは、何よりも、まずは常日頃カンテを聞け、だと思う。カンテを聞くことで、フラメンコの美学、こだわりなどが、自然に身体に入ってくるのだと思う。カンテを好きでよく聞いている人と、そうでない人の踊りは、やっぱりどこか違う。

10月12、13日。恵比寿のサラ・アンダルーサ。ヘレスのコンパスが舞台上のアルティスタとお客様の間で絶え間なく呼応した。タイトル通り、まさに『eco』。2日間4回の公演は、彼らが持ってきた「生きた」フラメンコと、たくさんのお客様との交感によって幕を閉じた。