記事一覧

東京タワー近くの増上寺で、
昨年の公演「FABULAE-フラメンコへのオマージュ」に出演して下さった
長屋和哉さんがライブをすると言うので、友人と出掛けて来た。

カンテを聞け、と踊り手はよく言われるが、それはいったいどういう意味なのだろう? 単に「カンテをちゃんと聞いて踊る」、あるいは「踊るための勉強としてカンテを聞く」、ということではないような気がする。カンテを聞けとは、何よりも、まずは常日頃カンテを聞け、だと思う。カンテを聞くことで、フラメンコの美学、こだわりなどが、自然に身体に入ってくるのだと思う。カンテを好きでよく聞いている人と、そうでない人の踊りは、やっぱりどこか違う。

10月12、13日。恵比寿のサラ・アンダルーサ。ヘレスのコンパスが舞台上のアルティスタとお客様の間で絶え間なく呼応した。タイトル通り、まさに『eco』。2日間4回の公演は、彼らが持ってきた「生きた」フラメンコと、たくさんのお客様との交感によって幕を閉じた。

 7月末の蒸し暑い日の午後、アルバロ(アギラール・デ・へレス)とマヌエル・デ・ラ・マレナとロシオ、そしてチャノ・デ・ヘレスが、私のスタジオのある中野までやって来た。
「ライブを企画して欲しい!」「楽しいことがしたいんだ!」「ユキ、一緒にやろうよ!」
ヘレサノ4人が集まり、機関銃のように繰り出す言葉はコンパスそのもの。一方の私は、足もまだ完治していないし、ライブ開催に伴う煩雑さも頭をよぎり、8月中にやりたいと言う彼らを前に、「そんな急に言われてもね、、、場所も難しいよ」とか言いながら、グズグズ。

先月6月15日(日)、豊島区立舞台芸術交流センター「あうるすぽっと」にて、初めての創作作品を発表しました。
ご来場いただきましたお客様、本当にありがとうございました。キャンセル待ちをしてくださったお客様、ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。

5月2日、新宿文化センターでの(株)イベリア主催フラメンコフェスティバル。
Jairo Barrullがソレアのコンパスを従えて舞台下手から登場したとたん、空気はぐぐっと重みを増し、フラメンコにしかない、あの気配が充満した。

昨年11月に、渋谷のアップリンクファクトリーという小さな箱で、「杢」と名付けたライブをした。ジャズフルート、サックス、ピアノの即興演奏、ホルンやアナログシンセのシーンなど、フラメンコのスタイルを借りずに、ただただ聞こえたものを踊り、踊りが音を誘う、ということをした。

音から踊りへ

| コメント(0)

フラメンコ舞踊を習い始めたのが27歳と遅いスタートの私は、子供の頃からバレエをやっていた人が羨ましかった。単純にまず、あの方達は軸が安定していてブエルタがうまい。私なぞ、ブエルタ=目が回る、そんなレベルのスタートだった。31歳の時、アントニオ・ガデスの映画にも出て来る、あの古いアモール・デ・ディオスに半年通ったが、出るクラス出るクラスどこでもひどい劣等生だった。

フラメンコに興味を持ち、27歳で佐藤佑子先生の門を叩いた。31歳で渡西。最初は、フラメンコという未知のものへの期待感、出来なかったことが出来るようになるというシンプルな達成感、踊りへの憧れなどが楽しさを増幅し、文字通り夢中になった。しかし、渡西してから先は、フラメンコを自分が踊るということに対してずっと格闘し続けてきたように思う。