飯塚真紀のスローライフ・フラメンコ

「なぜフラメンコなの?」(前編)

約4年振りに帰国しました!!

う~ん、日本のお米はおいしい!!!

へレスからマドリッドまでバスで8時間。
マドリッドの安宿ドミトリーに1泊し、
翌日マドリッドから北京まで飛行機で11時間。
乗り継ぎ待ち時間が3時間で、
その後4時間かかった北京―成田間。
成田空港からは3時間ほどバスに揺られ、
そして、やっと実家の宇都宮に到着!

ふ~っ、やっぱり遠いね~。

久しぶりだった長時間の飛行機の旅。
スペインに来る日本人練習生はみんなは
こんなに遠くからはるばる来るのね~っなんて改めて実感。

それにしても、
私たちがフラメンコにかけるこの情熱っていったいなんなんでしょう?
いったいどこから来るのだろうか?

私からあなたへの質問。
「なぜフラメンコなの?」


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

その答えを聞く前に
まずは私からお先に、、、、、。

フラメンコに出合ったのは21歳のとき。
当時、美大生だった私は友達とバックパックを背負ってヨーロッパの美術館めぐりの旅をした。
もちろんマドリッドのプラド美術館も訪問。
そして、夜のタブラオで初めてフラメンコを見て血が踊ったのをよく覚えている。

帰国後、さっそく趣味として踊りを始めることに。

1年くらいしてから母が胃がんで入院。
数か月の闘病生活後に他界してしまった。

このときに、いやでも命について考えさせられたのだった。
母の死への悲しみはもちろんのこと
自分の死さえも身近に感じて
大きなショックのために起き上がれないでいた。
そんなときに私に力を与えてくれたのものがあった。
カンテフラメンコだった。

カンテの奥に
人間のたくましい生命力を感じたのだ。
苦しくたって、そのどん底を蹴飛ばして這い上がってくるような生命力を。

それから私は夢中になった。
その力を自分のものにしたくって。

会社をやめて
タブラオのウエイトレスになった。
雑誌「パセオフラメンコ」でバイトを始めた。
お教室を掛け持ちし、クルシージョにもどんどん参加。
公演を見まくり、CDもたくさん聞いた。
ついにはお金を貯めて、スペイン留学。
マドリッド、セビージャ、へレス、と
あの力を求めてスペイン南部に下っていくことになる。
当時の私は、時間もお金も情熱も全てフラメンコに使っていた。

そして、盲目的な数年間のフラメンコ漬け生活後に
一時は私の夢はかなったかのように思われた。

新人公演で特別奨励賞をとった。
留学支援金をスペイン政府と日本政府からもらった。
プロとして認められだした。
スペインではリサイタルをする機会がもらえ、
日本では小規模ながらもスペイン人ゲストとツアーをし、
クラスを開けば多くの生徒さんが集まってくれた。

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でも、私は満たされていなかった。

「なぜフラメンコなの?」

そうだった!
私の理由はフラメンコが持つあの「生命力」を手に入れたいからだった。

スペインで毎日忙しくレッスンに通っている間に
忘れてきてしまっていた。
お教室で教わった振付を宿題のようにこなしている間に
置き去りにしてしまっていた。

私は、まだあの力を持ち合わせていないじゃないか!

(次回につづく)

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飯塚真紀 プロフィール

スペイン在住20年(内へレスに17年)のスローライフ・フラメンカ。スペイン政府給付留学生、文化庁芸術在外研修生としてフラメンコを学びプロの踊り手 として活動を続けていたが、2005年「スローイズビューティフル」という本に出会い、踊り手としてのステージ活動を休止。その後は「スローフラメンコ」 と題してありのままの自己を尊重し受け入れるフラメンコをワークショップを通して紹介している。2007年ヘレスにて地域通貨グループ『Red de moneda local Zoquito』を立ち上げ、運営に携わる。予約制の自宅レストランでは、季節の有機野菜で和洋折衷なヘルシー料理を提供している。
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