飯塚真紀のスローライフ・フラメンコ

25年前、留学を決意した理由は

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(前回からの続き)

セミナーに関する話は他にもたくさんあるんだけど、
キリがないので、
それはおいおい話していくことにする。

今回は
留学を決意するに至ったことを書く。

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母が2回目の胃潰瘍の手術のために入院した。
私が美大を卒業した直後だった。

そして、実は潰瘍ではなく癌だった。

父は初めの手術から知らされていたが
その間3年、私と妹、もちろん母にも隠し通していた。
(今から20年以上前の当時は、本人に告知しない時代)

今回は私も先生に呼ばれ余命を告げられる。
突然のニュースに大大、大ショック!

即、大泣きしたくなったが、
その後すぐに母のいる病室に戻らないといけないので
我慢して彼女の前では笑顔を作った。

「先生、なんて言ってた?」
と聞く母に平気を装い嘘をつく。
「手術したらまたよくなるってさ」

母、2回目の手術を受ける。
何も手がつけられない状態で
開いたもののそのまま閉じた。

ここからが
いろんな意味で辛かった。

母は当然、手術したんだから良くなるものと思っている。
「退院したらどこどこに旅行に行くわ。
おいしいものもたくさん食べるの!」
小さなやりたいことを毎日毎日希望持って語る。

私は、病院では笑い。
家に帰っては泣いていた。

父に
「本当のことを言って、癌センターに移そうよ」と相談したけれど、
3年も前から現状を知っていた父の判断は
このまま告知しないことだった。

良くなるはずが
来る日も来る日も食べることはおろか
唾液さえも通過できない食道のせいで
日に何度もはき、しかも大概は血が混じっていた。

点滴のみで生きた数ヶ月の間、
彼女は呪文のように
「退院したら・・・」を繰り返した。

がりがりにやせ細り、
しかもあれだけ吐血し続けたのだから
もしかして・・・と思わないはずはないと思うのだが、
彼女は一度も自分の『死』を口にしなかった。

今考えると、
真実を知ることを拒否していたに違いない。

やがて、
来るべく日がやってきた。

ベッドに横たわる彼女の呼吸の回数がだんだんと減っていった。
そして、ついに息を吸わなくなり、そのままかたまった。

母47歳。
私22歳。

死人の手は固く、ものすごく冷たかった。
母は別の世界に旅立った。

大した苦労もしないで育った当時の私にとっては
あれは人生最大の悲しい出来事だった。

私はガツンと思い知らされた。

もう自分は立派な大人なんだと勘違いしていた。
自立できる、自立していると思っていた。

それは大間違いだった。

母を失って初めて
自分の足では立っていなかっったことに気付かされた。

自分で立っていたつもりになっていただけで、
実は母が全力で支えくれていただけだった。

大きな支えを失って倒れた私は
いったいどうやっらた一人で起き上がれるのか
全くもって見当がつかなかった。

過保護に育ったひ弱なその若い女は
自分の無力さを思い知らされ
完全に道を見失った。

自力で起き上がれないなんて
22歳までいったい何を学んできたのだろう?

自分を見失った絶望的なこのときに
唯一何かを訴えてきたのが
CDから流れてきたカンテフラメンコ(フラメンコの歌)だった。

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カンテフラメンコから
踏まれても踏まれても生え続けてくる
雑草のような強い生命力を感じたのだ。

草刈り2014草.jpg

這いつくばっていた私。
「この力強さが欲しい!」

なんなんだかよく分からないまま
これがなんなのか『知る必要がある』と感じた。

実際には『悲しい』という感情は
告知されてから毎日感じていたので
あのときの『死』という出来事自体が
私に提示してきた強いメッセージは、

「いつかはやりたいことをやろうと思っていても、
やれなくなる環境がいつ来るかはわからないんだよ」

というものだった。

私は、
カンテから感じたこの強い力を自分の中に感じたい!
今ほしいものはこれだ!
今やりたいことはこれだ!

フラメンコを本気でやろう!
スペインに学びに行こう!
と決心した。

当時はセビジャーナスしか踊れない私で、
フラメンコがなんなのかよく分かっていなかったが、
これを学ばねばと強く思い込んでしまった。

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実は、
あと2ヶ月で私はあのときの母の年齢47歳になる。

そのせいか、
当時の気持ちをはっきりと思い出す。

そして、
これもはっきりと言える。

あれから25年が経って
あの日に心底欲しかったものはすでに見つけた。

今、それをしっかりと手に入れるために
日々生きている。

スペインまで見つけに来たよ。
マドリッド、セビージャ、ヘレスまで来た。

だいぶ遠くまで来た。
だいぶ時間がかかったな。

『フラメンコ』は
欲しいものまで導いてくれる手段だった。

私が見つけたそれは、
私が欲しかったそれは、
『私自身』だった。

大きく大きく大きく遠回りして
実はこんなに近かった。

ゼロ地点にいる『私』にたどり着いたのだ。

ゼロ。。。。
今からがやっとスタートかあ。
ハハハハハ(笑)。

まさしく
スローフラメンコでござるな。

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飯塚真紀 プロフィール

スペイン在住20年(内へレスに17年)のスローライフ・フラメンカ。スペイン政府給付留学生、文化庁芸術在外研修生としてフラメンコを学びプロの踊り手 として活動を続けていたが、2005年「スローイズビューティフル」という本に出会い、踊り手としてのステージ活動を休止。その後は「スローフラメンコ」 と題してありのままの自己を尊重し受け入れるフラメンコをワークショップを通して紹介している。2007年ヘレスにて地域通貨グループ『Red de moneda local Zoquito』を立ち上げ、運営に携わる。予約制の自宅レストランでは、季節の有機野菜で和洋折衷なヘルシー料理を提供している。
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