第2回 松村哲志 ギタリスト

メロンシートこと松村哲志の活躍が目覚ましい。
松村は、2000年代にはいって以降最も活躍しているフラメンコギタリストの一人。カンテ伴奏者、バイレ伴奏者としてアルティスタたちから絶大な信頼を得ている若手ギタリストの要的存在だ。


そんな彼がここ何年かは、伴奏者としてではなく、自身の音楽活動を軸に展開している。自らプロデュースし、演奏したカンタオールとのアルバム「メロキン」(カンテは高岸勝弘)、「メロマ」(カンテは阿部まこと)を2009年、10年とたてつづけに発表。
現在は高橋愛夜とのアルバムを制作中で、同時に初の自身のソロアルバムも発表する予定だ。さらに、「コンパスの上で会話と即興性を追求する」バンド、「フラメンコロイド」のライブも精力的に展開。
フラメンコギタリストの仕事のほとんどがバイレ伴奏という日本のフラメンコにあって、自身の音楽活動にまい進する松村。彼はいったいどんなフラメンコギタリストとしての道を思い描いているのだろう? 独自の道を歩む松村のその真意に迫りたい。
自分自身を表現したい
――「メロキン」「メロマ」に続く第3作目を制作中と聞いていますが、もう録音に入っているのですか?
松村 高橋愛夜さんとのCDは、もう曲自体はできているので、これから収録に入るところです。同時に僕自身のソロアルバムも準備しています。
――「メロキン」が09年に発表されてから、わずか4年の間に4枚のCDが発表されることになるわけですね。フラメンコギタリストのアルバム制作としては、ものすごいペースです。
松村 いや、「メロマ」からもう2年たっています。本当はもっと早いペースで第3作を完成させるつもりだったのですが、今度は録音も自分でやりたいと思って、録音の勉強を始めたんです。これがものすごく難しくて、大変で、こんなに時間があいてしまいました。
――録音の技術的なことも自分でやりたいと?
松村 そうです。それができたら、自分が作りたいと思い立ったときに、すぐに収録できるじゃないですか。
――ものすごい創作意欲ですね。松村さんのこの間の取り組みは、ギタリストの仕事は踊り伴奏が中心という日本のフラメンコ界では、かなり異色ですよね。以前は伴奏活動もとても精力的にされてましたよね。その頃から、現在のような主体的な音楽活動をしたいと考えていたのですか?
松村 うーん、最初から意識していたわけではありません。でも、踊り伴奏でずっとやっていきたいとは、当時も思っていなかったですね。
――そうだったんですか。では、当時はどこに向かって活動されていたのですか?
松村 僕は94年に初めてスペインへ行っていたんですが、最初は向こうで絵を描いていて、96年ころからギターを弾き始めました。まだフラメンコは勉強していなかったので、ルンバなどスペインで普通に流れているような曲でしたが、当時から自分で作って街中で演奏していました。全部オリジナルでCDを作ったりもしましたしね。当時から、自分の思うように自分の世界を表現することが好きでした。人のまねするのが、僕は罪悪感を覚えるんです。実際には真似からすべてが始まるんですけどね。
――では、フラメンコを弾き始めたのはいつからですか?
松村 日本に帰って来てからです。最初からフラメンコをやろう!と決意していたわけじゃないんですが、いろいろな方々との出会いがあって、フラメンコの道に入ったんです。その流れの中で田中美穂さんのところでバイレ伴奏をするようになりました。最初はわからないから、とにかく伴奏できるようになりたいと思って、その一心でやっていました。
――その頃どんどん出現してきた若い世代のアルティスタの中で、その中心的存在という感じで踊り伴奏に取り組まれていましたよね? また、随分早くからカンテ伴奏にもアプローチされていた。 今若手で活躍している歌い手の新人公演出場の時なんて、ほとんど松村さんが伴奏していたような記憶があります。踊り伴奏とは違う魅力をカンテ伴奏に感じていたのですか?
松村 というか、人数が多くなるとある意味自由度が下がるんですね。カンテ伴奏は2人ですから...。
――それだけ自由で楽しい?
松村 自由だけど制約もある。その感覚は好きなんですね。僕は、トマティートの演奏に衝撃を受けてフラメンコを始めました。その後、トマティートがカマロンの演奏をずっとやっていたことを知り、その録音初めて聴いた時に、ソロを聴いた時の何倍もの衝撃を受けたんです。それで、ソロよりも踊り伴奏よりもカンテ伴奏に魅力を感じるようになりました。だから僕は、まず、カンテ伴奏からはいっているんです。その後ですね、踊りの伴奏をするようになったのは。
――では、アルバム作りをはじめた契機はなんだったのでしょうか??
松村 創作活動はずっとやりたかったのですが、僕はギターを弾き始めたのが遅かったですからその前にやらなくちゃいけないこと、技術的にクリアしなくてはならないことが、まだまだいっぱいあったんです。当時は、とにかく上手くなりたい、フラメンコの音を出したい、そういうことで一生懸命でしたね。.そういう段階をひとまずやり終えたというか、自分のフラメンコギターを弾きたい、自分の世界を表現したいという方向に、少しづつ気持ちが変化していったように思います。
matsumura1.jpgCD制作を通して変化した音作りへの意識
――2枚のCDを発表し、創作活動を集中的に行うようになって、松村さんの中で何か変化はありましたか?
松村 それはものすごくありますね。たとえば、こういうイメージでやりたい、と思って弾いていることが、実際にはこんなに違っているんだということにまず気づかされました。
最初はその違いにびっくりしたんですが、それは何だったのかということが、今はだいたいわかるようになりました。
――それは、録音という作業を通して、自分の音を客観的に聴くことができたから、ということですか?
松村 そうなんですよ。たとえば、微妙なリズムのニュアンスの違いとかが録音だとはっきり認識できるんです。録音したものを聴くと、ギターが鳴ってない部分のリズムまで、聞こえてきます。ライブでの演奏というのは、自分が弾くことばかりに気を取られて、演奏の細かいところまでは自分の音を確認できないんです。録音だとそれがはっきりわかりますから。
――なるほど。
松村 演奏する時の意識も変わりましたね。昔はこんなことをやったらどう思われるかな?とか、失敗したときのことを考えながら弾くこともありましたが、録音を通して丁寧な音作りをするようになって、自分自身のギターを弾こうとか、聞く人にとって心地いい時間であってほしいと思うようになりました。アルバム作りを通して、気付いたこと、変化したことはたくさんありますね。
――最初に話されていた、録音の技術をマスターして自分で録音できるようになりたい、と思うようになったのもそうした変化の一つなんでしょうか?
松村 そうですね。自分のイメージに最高に近づけた音を伝えたいと思うようになったんです。以前は、そこまで思いが及んでいなかったと思います。
創作活動を軸にした展開
――もうひとつ、最近の活動で際立っているのがフラメンコロイドでの活動です。フラメンコロイドは、どういう位置づけで活動しているのですか?
松村 もともと阿部君とか愛夜ちゃんと仕事をする機会が多かったのですが、そこに春ちゃん(踊り手の奥濱春彦)が加わって仕事をすることが何度かあり、その時にこのメンバーでスタジオライブでもやってみようか、という話になったのが始まりですね。自然な流れの中で始まりました。
――フラメンコ・バンドで活動したいと考えていたわけではなかった?
松村 ええ、最初は。ただ、やっていくうちに僕もどんどん曲作りをするようになって、いわゆる踊り中心のグループではなくて音楽中心のバンドになっていきました。
――クロコダイルとか、いわゆるタブラオではないライブハウスでライブをやられたりしていますが、フラメンコロイドの活動は、フラメンコのファンに向かってやっているのですか? それとももっと広い意味での音楽リスナーに向かってやっているのですか?
松村 外の世界に向かってやっています。
――フラメンコファン以外のリスナーが聞いても楽しめるようなものを、ということですか?
松村 はい、そうです。
――だからといってポップス的なことやったり、他ジャンルとのコラボに向かった音楽ではありませんね?
松村 はい、やっていることはフラメンコそのものです。フラメンコの中で自分の好きな音を集めて表現したいと思っているんです。たとえば、ミネーラやマラゲーニャのような美しいメロディの曲をアレンジしてで演奏してみるというようなこともやっています。
――今、松村さんの中ではどういう仕事がメインになっているのですか?
松村 やっぱり自分たちのグループの活動です

――フラメンコロイド?
松村 そうです。それがほとんどです。
――フラメンコロイドのための曲作りとか?
松村 はい、曲作りはほぼ毎日やっています。
――ライブもそれが中心ですか?
松村 そうですね。
――では踊り伴奏とかはやっていないのですか?
松村 ほとんどやってないです。別に踊り伴奏をやりたくないとかではなくて、自分の音楽活動をやっていると、そちらに時間を取られるので、そうなってしまうんです。踊り伴奏も創造的に関わっていくのは好きですよ。ただ言えるのは、同じことの繰り返しは苦痛ですね。
――タブラオでのライブや発表会の仕事が中心になると、やはり同じことの繰り返しになってしまうということですか?
松村 全てがそうとは思いませんが、そういう傾向はあると思います。発表会は、その時どきで共演する人が違うから逆に面白かったりするんです、通常の踊りのライブで変化を求めていくというのは、かなり難しいように思います。
――松村さんが自身の音楽活動を軸にして展開するようになってから、3年あまりがたちましたが、今の状態というのは、最初に自分がイメージしたものに近づいているのでしょうか?
松村 そうですね。毎日いろいろなことがありますけど、少しずつ理想に向かって近づいていると思います。
matsumura4.jpg目標は一生フラメンコを続けていくこと
――ところで、演奏したり曲を作る上で、影響を受けたアーティストは誰ですか?
松村 トマティートですね。
――もっと若い世代のアルティスタはではどうですか?
松村 若いギタリストたちのCDももちろん聞きますが、そこからストレートに影響をうけるということはあまりないです。新しいことをやりたいし、やらなあかんと思うんだけど、自分が好きだったり影響を受けるのはもっと古い時代の人です。
今は録音の技術が進んでいるから、結構いろんなことができちゃうんです。すると結果的に、皆均質になっちゃうんですね。そこへいくと、高度な録音技術のない中で弾いている昔のアルティスタたちのパワーというのはすごいですよ。一人ひとりが際立っています。
――ヒターノの音を求める、という感覚はありますか?
松村 全然ありません。ヒターノの誰が弾いてもヒターノの音は絶対なんです。それ以外は誰が弾いてもあまり変わらないと思います。これはもうどうしようもないことです。歌は特にそうですね。あこがれはあるし、彼らの素晴らしさもよくわかる。でもヒターノたちのアルテは僕たちとは別物。真似なんかできない神聖なものだと思います。彼らには不純なものが何もないんです。彼らが彼らのまま何かやればそれがフラメンコなんです。僕たちが、純粋な音をだそうとか、彼らに近づきたいとか思いますよね。でもそんなことを思った時点で純粋しゃなくなっちゃうじゃないですか。
――それは、日本人がフラメンコに向き合った時に、感じざるおえない悲哀、孤独かもしれませんね。
松村 だからね、そこに目を向けているだけではいけないと僕の場合は思います。ヒターノからフラメンコだっていわれたら、それはもちろんうれしいけど、60歳、70歳までフラメンコを続けていきたいと思う時に求めるものではないと思うんです。そこにばかり目を向けると、今度は逆に自分の中身が空っぽになっちゃうんです。自分の音とか感受性とか、そこを掘り起こしていかないとね。
――ヒターノへのあこがれというようなのものは一線を画したところで、自分の創作活動に向かっていくということですか?
松村 他から与えられたものだけではなくて、自分の感受性、自分の中から出てくることを出していきたいです。誰かの借り物ではなくて、自分自身しっくりくるギターを弾きたいのです。僕の目標は、一生フラメンコを続けていくことなんです。だから、創作活動で新しいものを作りたいということ以上に、自分が美しいと感じること、心地よいと感じること、それをギターで表現していきたい、今はそう思っています。
――そういう心境に至る前は、フラメンコに近づきたいとひたすら格闘していた時期もありましたよね?
 
松村 近づきたいというか、フラメンコをもっと知りたいとね。そこには随分時間を費やしました。1日中練習していた時期もずいぶんありました。フラメンコは難しいから、何か一つのことを理解したいと思うだけでも、ものすごく時間がかかります。ほとんど実践で学ぶことが多いですしね。
アルバム2枚、年内完成を目指して
――現在の創作活動の話に戻りましょう。今制作中の2枚のCDは、いつごろ完成する予定ですか?
松村 今年中には仕上げたいと思っています。
――2枚とも?
松村 はい。1枚は来年になるかもしれないけれど、できるだけ早く完成させたいと思っています。
――ソロとカンテとのアルバムになるわけですが、松村さんにとってソロを演奏するのとカンテ伴奏とではどういう違いがありますか?
松村 それはまったく違いますね。ソロというのは、それなりに自分で勉強して時間をかけてやっていけばできると思うんです。カンテは、相手を支えなくてはいけません。最低限のコンパス感一つとっても、さらに強いもの、確かなものが必要になってくると思いますね。
――カンテ伴奏は、一人で気持ちよくなってはいられないですもんね。
松村 そうです。一拍の中でどれだけ懐深く待てるか、とかね。ただ、カンテ伴奏が上手い人のソロというのは、また違うんですソロでも、メロディの羅列ではなくて歌があるというか、一つ一つの受け答え、自分の中での会話があるんです。
――日本ではなかなかカンテ伴奏というジャンル自体が成立しないから、スペインとは一概に比べられませんが、スペインではカンテ伴奏を中心に弾く人、踊り伴奏を中心に弾く人、ソロ中心の人、ギタリストのスタンスがそれぞれ違うと思うんですが、松村さんは何を軸にしたいと思っているのですか?
松村 何が軸というような考え方はしていないです。自分がいいと思ったギターを弾ければ、それがバイレ伴奏であっても、カンテ伴奏であっても、ソロであってもいいと思います。ただ、伴奏は相手がありますから、自分が心地よいと思える感覚を共有できる相手であることが重要かもしれません。
――それができるのが、これまでのカンタオールたちとのCD作りであり、東京フラメンコロイドをはじめとする自身のライブ活動というわけですね。
松村 はい、その通りです。今度の高橋愛夜さんもがんばっていますよ。愛夜さんとは、これまでもずいぶん一緒に仕事をしてきましたけど、彼女は、とても研究熱心でどんどんよくなってるんですよね。CDの完成、楽しみにしていてください。
――はい、もちろん。今日はありがとうございました。

インタビュー撮影 高瀬友孝

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