「ラス・ベガス」記念公演が意味するもの

昨日(12月1日)、草月ホールで行われたラス・バガス記念公演。
新人公演世代の4人のバイラオーラ達による初のテアトロ公演だった。
松島かすみ、篠田三枝、土井まさり、吉田久美子の4人が、
それぞれ個性豊かにソロを踊り、
群舞では、劇場公演ならではの趣向を凝らした構成・演出で魅せた。


主にタブラオで活動してきたラス・ベガスの集大成と銘打たれた公演だったが、
何を表現したいのかが明確で、
終始4人の心意気が感じられ、充実した舞台となった。
私自身は、今回の公演がラス・ベガス初体験だったのだが、
彼女たちがこれまで積み上げてきたことの確かさを難なく感じ取ることができた。
ソロでは、それぞれのドフラメンコを真正面から踊り、
群舞では、遊び心たっぷりのエンターテインメント。
渾身のバイレ・ソロと、
フラメンコでは稀な"笑い"を客席にもたらしたしゃれっ気たっぷりのコロンビアーナのコントラストが、
この舞台をとても奥ゆきの深いものにしたと思う。
この世代ならではの、軽やかさであり自由さの表れでもあると思うが、
それを自分たちのスタイルとして打ち出す強さが、頼もしく素晴らしい!
緩急の間合いは踊りだけに求められるものではなく、
客席の空気にも必要だということに改めて気づかせてもらった。
ところで、
この20年の間に日本のフラメンコは間違いなくレベルアップした。
彼女たちと同じ"新人公演公演世代"の快進撃がその流れの中軸を担っている。
数年前、ベテランバイラオールとぶらりタブラオに入ったときのこと。
そこここのタブラオがそうであるように、実力ある若手がその店にも出演していた。
彼が、ためいきまじりにつぶやいた。
「今の子たちは、みんなうまいね。僕の時代だったら、みんなスターだよ。でも、彼女たち、これからなにをするんだろうね? どこへ行くんだろうね?」
そうなのだ、今や(もうここ10年くらい)、石を投げればフツーに上手い踊り手たちにわんさとあたるのだ。
タブラオという枠かららあまり出ようとしないこの世代の踊り手たちに
どこかもの足りなさを感じていた私の頭の中で、
時々、彼のこのつぶやきがリフレインしていた。
「彼女たちはこれからどこへ行くのだろう?」
だが、そんな心配は無用だったのだと、
感じるこの頃なのである。
ここ2、3年、今や中堅となった"新人公演世代"踊り手たち(新人応援を通過して踊り手となった人たち)の
今までと違う活動が顕著だ。
彼女たちは彼女たちのやり方で、
じっくりと、フラメンコと向き合い、
自身の求めるフラメンンコを模索し、追い求めていたのだ。
そう実感させてくれる、自分なりのスタイルを形にした動きが、目立つようになっってきたのだ。
それは、時に劇場公演という形になったり、
時に、心酔するアルティスタの招聘という形になったりと、そのありかたは様々だが、
皆、自分のフラメンコを、自分のやり方で発信しはじめている。
なんでもお手軽になったこの時代に、
フラメンコは今なお時間のかかる厄介なしろものだ。
だが、それぞれのやりかたで、新世代の格闘が形になり始めている。
「ラス・ベガス」記念公演は、
その象徴ともいえる公演だったと思う。
満員御礼の客席は、
大いに沸いた。ラス・ベガスの心意気は熱い歓声と拍手となって会場にこだました。。
あぁ、フラメンコは、生きている。
日本のこの地においても、生きているのだ。
ラス・ベガスの新たな一歩にオレ!

アクースティカ倶楽部

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