二つの訃報〜手渡されたアフィシオンのバトン〜

tashiro.jpg3月17日、日本フラメンコ協会事務局長であり、カサ・デ・エスペランサのオーナーである田代淳さんが亡くなられました。あまりに突然の訃報にしばらく言葉も出てこないほど驚きました。


実は、私は今入院中で、ほんの1週間前まで、別の病院に入院していた田代さんと連絡を取り合っていました。同じ糖尿病仲間ということで、日ごろから情報交換していたのです。なので、昨年末に体調を崩され、年が明けてかなり進行した癌であると告げられていたことも知っていました。でも、田代さんは元気だったし、何より治るんだと言う意欲に溢れていました。お互い早く元気になって退院したら久しぶりに会いたいねと、話したりしてもいたのです。
ただ、容体が悪くなった様子で、亡くなる1週間ちょっと前から返事が届かなくなったので心配はしていましたが、田代さんは必ず元気になると言っていたし、私もそう信じていました。
それがこんなに早く逝ってしまわれるなんて……。
これから、日本のフラメンコ界全体が大きな喪失感を体験することになるでしょう。そのくらい、田代さんの日本のフラメンコを牽引してきた力は大きく、そして皆から愛され、感謝されていたと思います。
協会事務局長としての立場とエスベランサオーナーとしての立場を有機的に結びつけ、日本のフラメンコの未来図を右手に、フラメンコたちへのエールを左手に、その情熱が失われる事はありませんでした。
協会のあり方については、様々な意見があることも承知していますが、少なくとも、一匹狼で孤軍奮闘するしかなかった日本のフラメンコたちを結集させ、今日まで協会の活動を推進してきたその一番の功労者は、事務局長として裏方を一手に担い、ときには清濁合わせのみ大きな懐でフラメンコたちを抱きしめ続けてきた、田代さんに他なりません。
協会の発足に向けた準備の頃から、取材者として立ち会わせていただいてきた私は、フラメンコに携わる後輩としても、1人の人間としても多くのことを学ばせていただきました。
訃報はあまりに急なことだったから、まだやり残したことがある、そんな思いも田代さんの中にはきっとあったと思います。でも、フラメンコに生きて悔いなし、そんな田代さんの笑顔が、何度も何度も瞼の裏に立ち上がってきます。
ご自分の事務局長としての引き際も、あるべき形での協会の世代交代への図面も、田代さんの中にはあったことでしょう。それをコロナと言う時代の波が、押しつぶしてしまったと言う見方もできます。
でもね、田代さん! 田代さんがまいた種は、若い世代の多くのフラメンコたちの胸の中で、きっと受け継がれていくと思うよ!
家族を愛し、フラメンコを愛し、ますます厳しくなる日本のフラメンコ界にあって、常にフラメンコの明日を指し示し、それを実践し実現させてきた田代さんに、大きな声で、心からのオレ!を送らせてください。
田代さん!
昼も夜も活動しっぱなしだったんだから、そっちの世界で少し休んだら、また私たちの事、見ていて下さいね。そうそう、堀越さんや高場さんやべべたちと、久しぶりのフラメンコ談義も楽しんでね!
本当にありがとうございました。
合掌
濱田滋郎先生と田代淳さん
追記
濱田滋郎先生なんと言うことでしょう。この原稿を書いている最中、日本フラメンコ協会会長であり、フラメンコ及びスペイン音楽研究家として長きにわたって活躍されてきた濱田滋郎先生が、突然逝去されたとの訃報が入りました。
濱田先生と田代さんは、30年間にわたり協会の活動を共に牽引してこららたいわば同志です。何故に、お二人の訃報がこんなに立て続けでなければならなかったのか。
今は言葉もありません。
ただただ、お二人の訃報に際して、日本のフラメンコのひとつの時代に終止符が打たれたのだという思いが強烈に立ち上ってきます。
そのくらい、お二人が日本のフラメンコ界に残した功績と影響力は大きかった。
日本のフラメンコ界は、しばらくの間悲しみの時間を過ごすことになるでしょう。しかし、1つの時代の終わりは、新たな時代の始まりでもあります。
お二人が人生をかけて、発信し続けたアフィシオンは、次代を生きるフラメンコたち一人ひとりの胸に深く刻まれているはずです。
まだしばらく、フラメンコも厳しい時代が続くと思います。しかし、アフィシオンのバトンは、手渡されたのです。
一緒に、新たな時代を作っていきましょう!
変わらないフラメンコの本質と、新たなフラメンコの可能性を両手に握り締めて。
再び、合掌
フラメンコの歴史
写真提供 大森有起(最初の2枚)
写真提供 濱田吾愛(後半の2枚)