フラメンコの中心地、セビージャ。二年に一度のフェスティバル、ビエナルは無事終了。まさに24日間、24時間フラメンコ漬けという日々で、会場のはしごに、毎日一万歩以上歩くと言うフラメンコ・ウォーカー冥利に尽きる生活。期間中に足を運ぶことができたのは50公演でした。今回のビエナルは、67公演のうち60公演がチケット売り切れになるという好調ぶりで、入場券収入は 864,000 euros、日本円で約1億2000万円(2014年10月レート)と見込まれています。出演したアーティストは500人以上。観客動員数は10万人以上ということです。

guitarra.jpg例年より一週間ほど短いビエナルでしたが、できるだけ多くの公演を観られるように、前回とは公演開始時間の変更があったり、劇場公演のチケットを入手できなかった人や知らずに訪れた観光客も、フラメンコの中心地セビージャでフラメンコに触れることができるよう「オフ・ビエナル」のイベントがほぼ毎日開催され、盛りだくさんの三週間。その全てを楽しむには、1、2体クローンが必要なくらい!(左写真はパコ追悼のギタリスト集会)

「オフ・ビエナル」のイベントは無料。セビージャの美しい歴史的建造物の中での展示会や野外でのパフォーマンスは、パコ・デ・ルシア追悼のギタリスト大集合に始まり、週末には、青空フラメンコレッスンや若手アーティスト達、と言っても既に名前の知られているレベルのアーティスト達のフラメンコを観ることができました。(赤字をクリックすると映像がごらんいただけます。)
IMG_3273.JPG最終日には、スペインならでは、フラメンコのフラッシュモブ。(右写真)前回はラファエラ・カラスコ(Rafaela Carrasco)指導のもと、鉄道駅サンタ・フスタ(Estacion Santa Justa)で行われました。今年は、前日マエストランサ劇場での公演を済ませたばかりのパストーラ・ガルバン(Pastora Galvan)が登場。ビエナル開催前から振付ビデオを公開して、世界中どこにいても練習できるようになっていました。そしていよいよ、セビージャの街のど真ん中、ヌエバ広場(Plaza Nueva)で決行の時を迎えました。開催時間の13時を前に、集まる、集まる!あっという間に広場は人で埋め尽くされ、パストーラの入る場所や撮影のカメラの設置場所の確保でやや緊迫気味。パストーラの父、ホセ・ガルバン(Jose Galvan)や幼い娘さんの姿もありました。しかしそこに、にこやかにパストーラが登場すると、すっかり気分はブレリア!(Buleria;フラメンコの曲種)ホセ・バレンシア(Jose Valencia)の歌う録音で大ブレリア大会となりました。その様子はこちらから。

IMG_2578.JPGそのパストーラ・ガルバンのマエストランサ劇場(Teatro Maestranza)での公演「&dentidades」。「&=and」は、スペイン語で「Y」。その発音は「イ=i」。ということで、このタイトルは「Identidades(イデンティダデス)」=アイデンティティーと読み取れます。パストーラのアーティスト人生に大きく影響した7人の舞踊手たち、マティルデ・コラル(Matilde Coral)、ロリ・フローレス(Loli Flores)、ミラグロス・メンヒバル(Milagros Menjibar)、エウヘニア・デ・ロス・レジェス(Eugenia de los Reyes,パストーラの母)、ホセ・ガルバン(パストーラの父)、カルメン・レディスマ(Carmen Ledesma)、マヌエラ・カラスコ(Manuela Carrasco)。彼らのエッセンスを掘り下げて構成された各場面をパストーラがエネルギッシュに踊っていきます。ゲスト歌手には、ヘレスからフアナ・ラ・デル・ピパ(Juana la del Pipa)、そしてセビージャのバイレの名門ファミリー、ファミリア・ファルーコ(Familia Farruco)のファルー(Farru,ファルキート兄弟の次男)と、自らのファミリアのアイデンティティーを色濃く感じさせるアーティストが加わりました。特にファルーは、ファミリアの元祖家長、故ファルーコ(Farruco)を彷彿させる出で立ちでのソレア (Solea:フラメンコの曲種名)。カルロス・サウラの映画「フラメンコ」でファルーコと兄のファルキートが踊っていたのと同じ曲種です。客席からは、マティルデ・コラルが感激の声。それもそのはず。マティルデとファルーコはとても縁深く、60年代後半から70年代初頭にかけて、既にフラメンコ界で名をなしていたマティルデ・コラル、彼女の夫であるラファエル・エル・ネグロ(Rafael el Negro)とファルーコの三人が、ロス・ボレコス(Los Bolecos)というトリオを組み、一大センセーションを巻き起こす活躍をしていたのです。

マエストランサ劇場ではこの他に、2人のカンタオールが主役の公演がありました。フラメンコ=踊りと思われがちですが、本場スペインでは、カンテ(歌)が踊り同様、いや、それ以上に重んじられているということがお分かりいただけるかと思います。
IMG_3644.JPGひとつはエル・ペレ(El Pele)。コルドバ出身のヒターノで今年60歳。前回のビエナルで渾身のソレアを聴かせてくれましたが、その当時は、腸の手術をして15日しか経っておらず、40度の熱で出演すら危ぶまれていました。病気のため約2年間歌うことができなかったエル・ペレですが、治療が功を奏し、今年は大劇場での公演を務めるほどの回復ぶりです。タイトルの「Peleando y punto(ペレアンド イ プント)」のpeleandoは、スペイン語で"闘う"と言う意味。「病気と闘っていたんだよ」とは記者会見でのご本人談。さらに、andoと言う言葉がandar(=walk)という動詞に繋がることから、「ペレ」と「歩く」と言う意味ともかけているんだよ、と共演者のドランテス(Dorantes)が追加してくれました。公演の最後には、同郷で病気を最初に打ち明けたギタリストのビセンテ・アミーゴ(Vicente Amigo)や治療にあたった医師への感謝の言葉もありました。フラメンコを楽もう!と何度も口にしていたエル・ペレ。観客の私たちを十分に楽しませてくれる素晴らしいゲストを公演に集めてくれました。(右上写真:左からドランテス、エンカルナ、ペレ、モネタ)

IMG_3945.JPGドランテスの他に、踊りにファルキート(Farruquito)とフエンサンタ・"ラ・モネタ"*Fuensanta La Moneta)、歌に一週間前に結婚式を挙げたばかりのエンカルナ・アニージョ(Encarna Anilllo)が参加。自らカンテの詩を書くほどのファルキートらしく、エル・ペレの歌うソレア・ポル・ブレリア(Solea por buleria;フラメンコの曲種で通常のソレアよりも少しアップテンポ)を全身で感じてレスペクトしているのが伝わる、深みのあるバイレをこの公演に捧げました。ラ・モネタも、いつにも増して迫力あるバイレ。やはりバイレはカンテありき。素晴らしいカンテに反応して、踊りが湧き出しているようでした。音楽構成も担当したドランテスは、カンテ・ソロの伴奏からバックのコーラスが入ってくる場面も見事に繋ぎ、フラメンコという音楽の中で、ピアノを見事に調和させます。さすが、レブリハ(Lebrija:地名)の名門フラメンコファミリーの出身。現在、そのファミリーの筆頭と言えるのが、ドランテスの叔父、カンタオールのフアン・ペーニャ・"エル・レブリハーノ"(Juan Pena El Lebrijano)です。

IMG_3414.JPG今回のビエナルの最後を飾るマエストランサ劇場での公演は、このエル・レブリハーノが主役のコンサート「EL CANTE SE ESCRIBE CON L(エル カンテ セ エスクリベ コン エレ=レブリハーノの頭文字のL)」。2008年に出したアルバムと同じタイトルです。レブリハーノは、現在までに43枚ものアルバムを発表しています。近年、エンリケ・モレンテ(Enrique Morente)やパコ・デ・ルシア(Paco de Lucia)など、フラメンコ音楽に大きな影響を与えたアーティストが相次いで亡くなりました。そして、本人不在のオマージュ公演。そこでビエナルでは、フラメンコ音楽の革命児の一人、エル・レブリハーノ本人の歌声を堪能できるオマージュ公演を今回のプログラムに組み込みました。今年73歳のエル・レブリハーノ。 1972年に"La palabra de Dios a un gitano(ヒターノ=ジプシーへの神の言葉)"というアルバムで、フラメンコで初めてオーケストラとの共演。そして、1976年の"Persecucion(迫害)"では、詩人フェリックス・グランデ(Felix Grande)がヒターノの歴史を綴った詩に曲をつけて歌い上げ、大きな反響を得ました。1979年にはフラメンコ歌手として初めて王立劇場(Teatro Real)で歌いました。ちなみに、初めてフラメンコが王立劇場で演奏されたのは、1975年。パコ・デ・ルシアの伝説のコンサートです。)1983年にはフラメンコとアラブ音楽の関連性に着目し、アルバム"Encuentros(邂逅)" を発表するなど、フラメンコ音楽にさらなる広がりをもたせる先駆者として活躍してきました。ノーベル賞作家ガルシア・マルケス(Garcia Marquez)が残した言葉「レブリハーノの歌声に 水さえ濡れる(Cuando Lebrijano canta se moja el agua)」を冠したアルバムからの曲でスタート。レブリハーノのヒット曲の数々が歌われ、会場が一緒に口ずさむ場面も。甥ペドロ・マリア・ペーニャ(Pedro Maria Pena)のギターで聴かせたソレアとシギリージャは、カンテ・フラメンコのルーツを感じさせるもの。改めて、レブリハーノのこれまでのアルバムを聴き返したくなりました。
IMG_3570.JPGレブリハーノのカンテの合間には、ゲストが登場。親族であるピアニストのドランテス、歌手のトマス・デ・ペラテ(Tomas de Perrate)、イネス・バカン(Ines Bacan)、同郷レブリハの歌手ホセ・バレンシア(Jose Valencia)、セビージャからは歌手のフアン・ホセ・アマドール(Juan Jose Amador)、バイレにカルメン・レディスマ(Carmen Ledesma)、さらには1998年生まれのエル・カルペタ(El Carpeta,映像はパコ・デ・ルシアのコンサートに前述の兄ファルーと出演した時のものです。)が颯爽と登場し、自分が生まれる20年以上前に発表された曲「Libres como el aire(風のように自由)」で踊りました。最後の一場面には、レブリハと地理的にもゆかりの深いヘレス(Jerez de la frontera)出身のディエゴ・カラスコ(Diego Carrasco)がちらりと登場。しっかりしたプログラム構成はありながら作り込み過ぎを感じさせない、素朴ながら実のあるコンサートでした。

2公演とも、ボス的存在のアーティストを中心とした世代を超えたアーティスト同士の共演によるもの。これからも彼らの力で、この楽譜のない音楽、老若男女が楽しめるフラメンコの過去・現在・未来を繋いでいってくれることに期待したいものです。

さて、ビエナルに来るようになって14年目でしたが、一時期減った日本人の観客が少し戻って来たように思いました。現地で体験された皆様、ご自分の時間とお金を使ってのスペイン滞在。限られた時間の中で存分にフラメンコを吸収できましたか?レッスンはもちろん、観ることによって、本場スペインで、この大舞台に立てるアーティストの魅力をキャッチして、自分の栄養にしていただきたいと思います。アーティスト達も、今後の自分の将来をかけて、それぞれの考えや事情を抱えながら公演に挑んでいます。もしもあなたがフラメンコの演者であるならば、個人としての好みは別にして、批評ましてや批判することに時間を費やすよりも、そういうことはその専門の方々に任せて、良いところを吸収して自分のフラメンコに活かす、そして、公演を思い切り楽しんだ方が得策かと思います。批評をするには、相当の知識と経験が必要になります。私自身、スペイン現地の批評家や報道関係の皆さんの中にいればいるほど、スペインに常にいてフラメンコの流れを全て感じていない限り、うかつにできないことだなと痛感しています。日本とスペインを行き来する私としては、クリティカ(critica、スペイン語で批評)するのではなく、クロニカ(cronica=報道)する姿勢で取り組み、スペインの公演の様子やアーティストについての知識を皆様と分かち合っていきたいと思っています。ビエナル公演も引き続きご紹介していきます。

Fotos: de escenario(舞台写真) y de Flashmov : Copyright Antonio Acedo/ La Bienal Oficial
Otra(その他) Makiko Sakakura / FLAMENCOLABO

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