サラ・カレーロに訊く。スペイン国立バレエ団ソリスタを経て現在に至るキャリア/ Entrevista con Sara Calero

取材/文 坂倉まきこ

SIA_4112B.jpg スペインでは、親が小学校の送り迎えをするのが普通です。そして、学校が終わると、次は習い事へと連れて行きます。学校の成績が悪く、終業後に補習が入ってしまうと習い事には通えなくなってしまうのですが、大抵の子供は芸術、音楽、スポーツなどを課外授業的に受けています。セビージャ滞在中によく通る場所には音楽学校があり、夕方になると子供を迎えに来た親たちで道が占拠されている状況をよく目にします。多くの子供が通うだけに、特に才能のある子を見つけやすい環境かもしれません。

昨年秋に来日公演を行ったスペイン国立バレエ団。スペインでダンスを習う子供達にとっては、目標となる憧れの存在でしょう。そこに舞踊団員として入団し、プリンシパルとして活躍していたサラ・カレーロにお話を伺いました。現在、ソロダンサーとして自分のスタジオを持ち、レベルの高い作品を発表している踊り手。小柄ながら、美しく力強い踊り、そして難易度の高いスペイン古典舞踊のあらゆるスタイルをも見事に踊りこなすサラ。一体、どんなキャリアを経て、この実力を身につけたのか興味津々。そして、契約期間が残っていたにもかかわらず、惜しげもなく国立バレエ団のソリスタの座を捨て、ソロアーティストとしてのキャリアを歩み出したのか…いろいろとお話を伺ってみました。

saracalero.jpgサラ・カレーロは、マドリードに生まれ、6歳の時に母親にバレエスクールに連れて行かれました。そこはプロ養成のためというより、課外授業的な習い事としてたしなむ子供達が集まるようなところ。しかし、そこで教えていた先生はコンセルバトリオと呼ばれる本格的な舞踊学校出身で、サラの母親に娘をコンセルバトリオに入学させるように薦めました。サラの母は、コンセルバトリオがどんなところかもよく知らなかったそうですが、取り合えず薦めに応じて、サラに入学試験を受けさせました。結果は合格。特にコンセルバトリオに入ることを目標に訓練していたわけではなかったので、バレエスクールの先生の見込んだ通り、何か才能の片鱗が見えたということでしょう。

コンセルバトリオでの授業は11年(現在は制度が変わり10年)。旧制では7歳から18歳の子が学んでいました。そして、ここに通うということは、同時に二つの学校、通常の小中高校と舞踊学校、に通うことになるのです。
サラの場合は、最初9時から16時までが学校、そして17時からコンセルバトリオ。高学年になって学校の授業が午後の部だけになると、朝9時から14時半まではコンセルバトリオで踊り、16時半から21時半までが学校。この生活を11年間続けたそうです。通常の学校とほぼ同じの比重のコンセルバトリオ。そこでは、クラシックバレエ、スペイン独特のエスクエラ・ボレーラ、スペイン古典舞踊であるバレエ・エスティリサーダ、民族舞踊のフォルクローレ、そしてフラメンコも学ぶ、舞踊のプロを目指す学校と言えるのです。(但し、フラメンコは他の舞踊と比べてクラスの時間が少なく、それに特化するならもっと時間を割かなくては難しいとのこと。)しかし、修了後に全員がダンサーを目指すかというと、必ずしもそうではないそうです。コンセルバトリオの終わる年と大学入学の年は同じ。そこで、踊りのキャリアはこれでひとまず終了と考え、新たなキャリアとして大学進学を選ぶ人も多いのです。
_ANA1441B.jpgこの岐路に立つまで、落ち着いて修了後の進路を考える余裕すらなかったサラ。「毎日、目の前のこと、今やるべきことに一生懸命だったから」と言う。そして、決断を後押ししてくれたのは父だったという。両親は娘の姿を見ていて、時間つぶしや遊びのつもりでやっているのではないなと感じていたようです。サラ自身が気づかないうちから、父親はサラが踊りに夢中になっていたことに気づいていてくれたのです。

「ダンスがお前を選んだんだよ」という父の一言。そして、プロとしてやりたいのなら、全力で、全ての時間を注ぎ込んで取り組みなさいと、全面的に応援してくれたそうです。

コンセルバトリオ卒業後は、アントニオ・マルケス舞踊団やセビージャのカンパニーなどで仕事をしながら、プロとしてのキャリアを積み、ホセ・グラネーロ、ローラ・グレコ、マリア・パヘスらと共演するチャンスもありました。当時、仕事は順調だったのですが、スペイン舞踊をプロとして踊るなら、しっかりと統制がとれていて、面白い演目を持っているスペイン国立バレエ団で踊るという経験をしたいと思ったそうです。スペイン国立バレエの団員募集は不定期で、基準もその時の監督や上演する演目が必要とするテクニックがあるかどうかも影響してくるそうです。採用人数も男女合わせて10人前後。そこへスペインでプロダンサーを目指す人材がたくさん応募してくるのです。

「自分に能力があって、選考基準をクリアしていたとしても、オーディションの選考は”人”が判断するもの。そこには計りきれない基準や思惑もある。だから、落ちたからと言って才能がないわけではない。どうしてなの?と思い悩むよりも、学び続けること。あなたがより力をつけることができれば、それだけ将来、何かを得る可能性が広がっていくんだから。」一度目のオーディションでは選ばれなかったものの、23歳の時の二度目の挑戦で合格。一舞踊団メンバーとしてスタートを切りました。

_EVA0217BM.jpg2006年にスペイン国立バレエ団に入団。1日6時間の練習やリハーサルをこなしていきました。やがて、持ち前の実力で頭角を表し、舞踊団メンバーからソリスタへと格上げされ、重要な役回りを任されるようになりました。スペインのバレエ少年少女の夢であるスペイン国立バレエ団のトップダンサー。しかしその地位にありながら、在団4年で突然、自ら退団を決意します。
「みんなは、私がしばらくソリスタを続けるものと思っていたから、私の決断に驚いたわ。だけど、クリエイティブな道をもっと進んでいきたかったから。」バレエ団では、過去の監督が作った作品をレパートリーとして再現して公演することが多いのです。つまり、決まった振付を忠実に踊っていくということ。もちろん、それには高い技術と表現力が求められ、誰にでもできるものではありません。しかし、サラは踊りのキャリアを積み重ねるうちに自分独自の「言語」を身につけ、それを使って自由に表現したいと思うようになったと言います。そして、それを始めるのは”今”なのだと。「スペイン国立バレエ団に入ることが、私の最終目標ではなかったの。そこでの経験で自分がさらに豊かになることを期待して、望んで入ったところだったわ。そのフェーズが終わったと感じたから、次は別の場所で自分のキャリアを続けていこうと決心したのよ。」当時の監督のホセ・アントニオも、自分が選んだダンサーであるサラが自分の在任期間に去っていくことをとても残念だと言いながらも、今後の活躍を願って送り出してくれたそうです。

スペイン国立バレエ団退団後はマドリードにスタジオを構え、初の作品「ZONA ZERO」の制作にとりかかり、2011年に初演。2012年のセビージャのビエナルでも公演しました。そして、2013年には「El mirar de la Maja(エル・ミラール・デ・ラ・マハ)」。映像はこちらをクリック。この作品は2014年のヘレス・フラメンコフェスティバルで新人賞を受賞、続いて新作「Cosmogonia(コスモゴニア)」を発表しました。映像はこちらをクリックまた同年、小島章司氏とハビエル・ラトーレの作品「Fatum!」では、主役のレオノール役も務めました。(こちらの前回のフラメンコ・ウォーカーに舞台写真あり

_EVA0468BM.jpg彼女自身は自らを、バイラオーラ(=フラメンコ舞踊手)というより、バイラリーナ(=ダンサー全般)だと言います。しかし、彼女の踊るフラメンコには、バレエダンサーが踊るときのような独特の癖はなく、むしろ彼女のパーソナリティをしっかりと表現できていると思います。というのも、フラメンコはコンセルバトリオ時代から興味を持ち、学校とコンセルバトリオの両立で忙しい時間の合間を縫って、フラメンコ専門学校であるアモール・デ・ディオスにも通って学んでいたのです。

新作のタイトル、”Cosmogonia(コスモゴニア)”は、直訳すると宇宙進化論。それを”何かが作られていく過程”ととらえ、宇宙、ダンス、音楽という三つの進化を表現しました。制作にあたっては、スペインの舞踊史をたどる研究にも取り組み、エスクエラ・ボレーラとフラメンコの密接な関係性なども考慮し、スペイン舞踊オールマイティーのサラだからこそ作れる作品となりました。衣装が非常にシンプルなのは、身体の動きによる表現により注目してほしいからとのこと。インタビューで自分の作品について語る時のサラは、自由に創作できることに、非常にやりがいと歓びを感じているように見受けられました。

実際にサラの踊りを間近で観ると、その形の美しさに驚きました。スペイン古典舞踊を踊る時の絶妙な身体の使い方といい、パリージョ(カスタネット)の技術もさすがスペイントップレベルとため息がでるほどの完成度。小柄なサラが、舞台では一回りも二回りも大きく見えるのは、やはり舞台に立つべき人として生まれて来たのだなと感じました。これからの活躍、期待しています。

注:掲載記事及び写真の無断転用はご遠慮くださいますようお願いいたします。