フラメンコと酒のコアな味わいをこよなく愛するルポライター中谷伸一が、独自の視点で描くCDコラム。

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【後編】山田あかりインタビュー!「アカリ・シアンド・エル・カンテ」【II】Entrevista a Akari Yamada de "Akari-Ciando el Cante"

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※前編からの続きです。
左写真は2020年5月24日(日)、東京・浅草橋「ラ・バリーカ」で開催予定のカンテライヴのチラシ。ギターは俊英・徳永健太郎
※※上記ライヴは中止となりました※※


"ダメだ、何か探すんだ!!"



――アルバムの曲順に録音したのですか?


「曲順ではないですね。アレグリアスの次はたぶん、ティエント......15日間の中でアルフレッド※1が来られる日が三回しかなかったので、ダビの中でアルフレッドとパスクアル※2の担当を決めていたようで、ちょっとモデルノの雰囲気な音が必要なときはアルフレッド、トラディショナルはパスクアルという風に」
※1アルフレッド・ラゴス、ギタリスト。1971年ヘレス出身、ダビの兄。
※2パスクアル・デ・ロルカ、ギタリスト。1961年ロルカ出身。


――それは全部ダビの差配ですか。


「アレンジもすべてダビのプロデュースです。今回の楽曲を決めるのも高知とヘレスでやり取りはしましたけれど。本録りでは、ギターが出来上がっている所に、私が歌を入れていきますが、さっきのゴルペ・デ・ボスとか、全部細かく直されます。ゴルペ・デ・ボスがダメだと言われるから力を抜いて、優しく歌おうとすると『ノウ!ブスカアルゴ(ダメだ、何か探すんだ!)』って言われるんです」


――ゴルペ・デ・ボス以外には?


「プロヌンサシオン(発音)がもちろん、めちゃくちゃ直されます『あかりはいい時とダメな時が自分でわかってないのが一番問題だ』と言われました。各パートを録音するとき、音の波形がパンタージャ(モニター画面)に出てきますよね。その失敗した所にかぶせて『ここから録るよ』とやっていくんです」


――そこまで細かいとは...。


「『アオラ(今だ)とか言えないよ、僕の声が入っちゃうから』という感じで重ね録りますが、時にはパンタージャを見るなと言われたり、音だけ聞いてとか」


――どのくらいのレベルで録り直すんですか? 歌詞一行とか?


「ウナフラセ(1フレーズ)、ウナパラアブラ(1単語)」(笑)



――それを一つ一つ当てはめていく?


「全部ダビが一人で(録音機器を)操作出来るからです。15日間すべてホセが来なければいけなかったら、すごく大変だったかもしれない。結局、一番費やしたのは、ダビと二人でスタジオこもっていた時間でしょうね」


――例えば、マラゲーニャの「マドリード」の単語の歌い方がまずかったら、そこだけやり直すということですか?


「そうです。その前の"ビバ"から。いや、"コルテ"から直されてました。"コ~"の上がり方が強すぎるから。そこを滑らかに。そのデモンストレーションで、もう半分顔が怒っているんですよ(笑)。二人でカスコ(ヘッドフォン)をして、同じパスクアルの音を聴いているんですが、ダビがカスコを外して『ここはこういう風に歌え』って。もう少し練習させて、と思うんですけど、次の数秒後にそこを録らなきゃいけないから」


――では"コ~ルテ"と歌い直して、「じゃあはい次」と細かくやり直していったわけですか?


「そうです。もう気の遠くなるような作業です」


――他にはどんなことを指摘されたんでしょう? 日本のカンテ志望者に参考になりそうな話があれば教えて下さい。


「我流なエスカラ(音程)か、ビブラシオン(ビブラート)ですね。そんなに飾るな、"フロリトゥーラ(floritura=音楽上の装飾)"と言われました。"No canta floritura"と。とにかく基本中の基本です。スペイン人の歌い手で、例えばエストレージャ・モレンテやアルカンヘルみたいに、すごく特徴があってうまい歌い方をする人が一杯いるでしょう? ああいう人を真似したい日本人は結構いると思うんですけど、あれをいきなり真似すると、私みたいにヘンなところへ行っちゃいそうになるから、その軌道修正をダビはしてくれたと思いますね。最後のカイーダ(音程が下がっていく部分)の音でも、適当じゃ絶対ダメなんです。落ちていく一音一音を、すごく全部大切に直されて、それがトータル的に聴いて、ちゃんとしたフラメンコになるのだとわかりました」


――自分では気付けないんですね。


「合ってるつもり、でした。レコーディング行く前と大きく変わったのは、音感が緻密になったこと。外れてないと思っていたけれど、外れていた。その時は一生懸命でわからなかったですけど、時間が経って聴くと、気付きがありますよね。
 実は今回のレコーディングに行く前から、心がけて絶対やっていることがあるんです。私はこれをいつも持ち歩いていますけど、調子笛です(と、円形13音型の私物を見せてくれる)。
 例えばポルメディオの5カポだったら、(と吹く)――。つまり、ギターの音に助けてもらわない。そうしないと自分の音感はいくら練習しても良くならないので、トナーとマルティネーテの練習や、タランタみたいに半音の旋律が一杯出てくるものは外れそうになるので、これを使います。タランタは必ず一番最後に最初の音へ戻りますよね。空き地に行って車の中で練習するんですが、最初に吹いて歌い始め、最後ちゃんとその音で終わってるか、また吹いてチェックする。だから音感は悪くないと思っていたんですが、今回のトナーも『外れてる外れてる!』と怒られて。シギリージャの"アイ"だけでも、ものすごく直されました。難しすぎて外れてるのがわからないんです。収録に関しても、"アイ"だけで3時間、『ボルベール』は30分、と冗談で言われたくらいですから」


日本語詞をカンテへ変える挑戦


――亡きお父様に捧げたブレリア「Recuerdo de mi pare(父の思い出)」の詞は、いったん日本語の歌詞を作り、それをスペイン語に転換したという話ですが、その制作過程を教えて下さい。


「まず自分で作った日本語詞を、私ひとりでスペイン語の文章にしたんですよ。それを、年に何回もセビージャへ習いに行き、すごくスペイン語に長けている踊り手の内藤由紀子さんに、私のスペイン語を直してもらったんですね。
 そのレトラへブレリアのメロディを付けて歌って録音し、ワッツアップでダビに送ったんです。そしたらその二日後には『デモ』という形で、パルマ入りで、ほとんど完成ヴァージョンが送られて来たんですよ。もうこれは彼の才能ですね。
 結局、すごく大好きな父が人間としていなくなってしまう哀しみを、書きたかったんです(お父様の栄さんは2015年に逝去)。人間はやっぱりいつかは死ぬ。その別れのときに、私のような悲しい思いをみんなすると思うんですけど、あなただけじゃないんですよ、みんなそうなんですよ、というメッセージを入れたい、思いを入れたかったというのがありますね。
 ガンを宣告されたとき病院の一室で、ウソだって言ってほしいとか、もっと込み入ったレトラだったんです」


――それを抽象化したということですね。


「そうです。あとダビに注意されたのは、私が"コスモ(宇宙)"という単語を歌詞に入れていたのですが、それはフラメンコでは使わないんだ、と。そんな知識も私は無いから、ただフラメンコに聴こえるように、自分の作ったメロディに乗せて送っただけなので、それを全部すっきり手直ししてくれ感謝しています」


――本場のカンテ・ホンドを感じさせる熱く深い歌いぶりが衝撃でしたが、メッセージ性は日頃から強く意識している?


「今もダビが"あかりはもっとスペイン語をやらなきゃダメだ"と言われ、私もそれを痛感していて、それでもカンテが好きだからここまで来ちゃったんですね。私の場合、結構後付けなんですよ。先にメロディとレトラの響きを、"あ、これ好きだな"と直感で歌いたいと思って、歌う。後から(歌詞を)見てみたら、こんなことを歌ってたんだと。当然頭の中は、最初は歌ってる脳と、意味を理解する脳がセパラーダ(別々)な状態で。
 例えばグアヒーラの"me gusta por la mañana"だったら、簡単に言えるしゃべり言葉"私は朝が好きなんだよ"なので、つなげて一緒に考られます。トラディショナルなレトラは歌っているとき、例えば"porque me dieron tanto golpe(なぜそんなに私を殴ったのか)"は、今はだんだんつながってきたんですけれど。
 最初は歌とメロディとしてとりあえず、言葉のわからない歌を歌っている感じで、意味はそのとき一緒には考えられていないです。でも歌っている時のイメージは持たないと、絶対気持ちは入れられない。私の場合、何かを伝えようと思って歌ってるわけじゃないと思うんですよ。本当にカンテにほれ込んでしまった、スペイン語の響きとカンテのリズムに、フラメンコのリズムに引き込まれてしまったから、歌いたいから、歌っているんです」


 CD付属の歌詞カードの背景には、山田さん自筆のイラストが描かれている。そのイラストに込められた意味も明かしてくれた。


「こういう絵をなぜ描いたかというと、レトラがその時ダイレクトにわからないから、絵でイメージする。絵として捉えてしまえば、気持ちもちょっと入れられますよね。あとは自分の経験です。例えばトナーの歌詞でも、私の独自の解釈というのがあるんです。
"立ち去る者の無言の叫び"と彩さん(※歌詞対訳者の小里彩氏)は訳してくれています。私にはとにかく、離れていく、というイメージ。これは明らかに、この世から去っていくときのことです。私はまだ死んでないから、それは自分でわからない。私の経験で考えると、見送った人を思うしかない。そうしたら父と母しかないですよね。それをいつも思い描いてしまう。
 そういう風にリンクしちゃうのは自然なことなのか、自分でもわからないですが、だからスペイン語がまだまだわかってなくても、歌うことができると思います。そんな感覚で歌っています」


――ダビが寄せたCD冒頭のメッセージ「もしこちらが偏見を持たずに心を開きさえすれば――現にジャズなどの他ジャンルではすでに起きているように――必ず世界中にフラメンコは拡大するだろう」(抜粋/小里彩氏訳)を拝読しましたが、進歩的考えですね。


「ダビ自身にもフラメンコの今の位置づけは、まだ小さな中にある、まだまだフラメンコを世界に広げていく意識が強くあるんだと思ったんです。そして、私が日本人で、ここまでフラメンコのことを好きで、CDまで作ってしまった今回のこの一つの行程が、一個の小さな壁を、もしかしたら破るきっかけになるかもしれないな、と思ったんです。
 上手なスペイン人が普通に作るCDじゃない。日本人だから。それを批判されることなく、やる意味。フラメンコを目指す日本人は、みんな迷うじゃないですか。スペイン人になれないから。なれないけれどフラメンコが好きですし。そんな中で一緒にこうやって作れたことで、一つ光が見えたんです。私の目指す夢みたいなものが、ちょっとだけ道がはっきりと。
 今までは草原のような、草が茫々と生えているような所を、どこへ進んだらいいのか、という感じだったのが、少し整備されて、ああ、ここに行けばいいんだ、と見えてきたような気がします。
 それは結局ウニコ(ただ一つ)のもの、私にしかできないことじゃないと、多分意味がないと思うので。私なりの勉強の仕方で続けていかなきゃいけないなと思います」


 合計で3時間以上にわたったこのインタビューは、山田さんが高知から上京した今年1月29日、新宿のカフェで行われました。
 ちなみに本コーナーは元来、「アルテと酒の邂逅」と銘打っていますので、最後にちょっと酒がらみのエピソードを。
 山田さんはCD収録が上手くいくよう、セルベッサ(ビール)を飲むのはいちばん最後の日、という願掛けをしていたそうです。「でもあまりもう今は飲まないですよ。若い頃すごく飲んだので。今はもういらないんです」ときっぱり。インタビュー当日もエスプレッソにカプチーノ。さすがでした。

【前編】山田あかりインタビュー!「アカリ・シアンド・エル・カンテ」【I】Entrevista a Akari Yamada de "Akari-Ciando el Cante"

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 本コーナー6年ぶりの今回は、邦人カンテアルバムとして、衝撃的なレベルのデビュー作「Akari-Ciando el Cante」(2019年12月25日発売)を発表したカンタオーラ、山田あかりさんのロングインタビューです。前・後編の2回に分けてお届けします。
 30代からカンテを始めた山田あかりさんは、2008年、日本フラメンコ協会主催の新人公演で奨励賞(カンテ部門)を獲得。その後10年以上の時を経て、念願のヘレス録音の新譜となったのです。
 現在、山田さんは太平洋に面した港町、高知県香南市で中学生の息子さんと二人暮らし。スペインどころか、一番近い大都市の神戸や大阪まで200キロ近く離れた場所に住みながら、一体どのようにカンテの研鑽を積んだのでしょうか。本作のプロデューサーで師匠のカンタオール、ダビ・ラゴスのレッスン法とは?


「絶対ほめなかったんですよ、私の歌を」


 
 1973年ヘレス生まれ、現在40歳半ばのダビ・ラゴスは、昨年サードアルバム「オディエルノ」を発表し、バイレ界の鬼才イスラエル・ガルバンの最新作「恋は魔術師」の専任カンテも担当する、トップカンタオールの一人。そんなスターとの出会いは、地元高知の隣県徳島でのある公演が契機だった。


「一番最初は小島章司先生(2月にヘレスで「Lorca×Bach」を公演した80代の現役フラメンコ舞踊家)が、徳島市のイベントにダビとチクエロといった錚々たるメンバーと来た時です。小島先生は何度か私を新人公演で見て頂いて、『この子はちょっとカマロンみたいな声なんだよ』って言ってくださったんですよ。でも発音とか色々、小島先生が聴かれたら気になる所があったんでしょう。だから『教えてあげてくれよ』とダビに言ってくれたんです。それでダビにホールのロビーで最初のレッスンを受けたんです」


――ホールのロビーで?


「はい(笑)。2014年に。そのダビのレッスンが私には衝撃的だったんですよ。
 それまで当然スペイン人には習ってました。そこではだいたい、私がブレリアとか歌うと、みんな面白がって『日本人が唄ってる、OLE!』って言われちゃうことが多かったんです。あたしは習いたいから必死なんですけど。でも、ダビのレッスンは、初めてガルガンタ(喉)の使い方のテクニカ(技術)を、細かく教えてくれたんです。そして、絶対ほめなかったんですよ、私の歌を」


――スペイン人では珍しいですね。


「もういきなり厳しい。まずソレアを教えてもらった時に『(歌詞の)意味が分かってないだろ』とか。タンゴの時は『ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの歌唱法で、ホタ(J)の発音を入れなければフラメンコにならない』などと、細かいことを指摘されます。あとは『ゴルペ・デ・ボス(強すぎる声)』です。今もずっと言われるんですが、強くしすぎちゃう。『そう聴こえるかもしれないけど、そんなに強く出してない』と、全部指摘されます。エスカラ(音程)、メロディア・デ・エスカラ(メロディ上の音程)、これはこの音だ、と細かくきっちり教えてくれたんですよ。そんなレッスンは初めてでした」


 ダビ・ラゴスの本音の指導に感銘を受けた山田さんは、その後も連絡を取り合い、スペインと高知をつなぐ遠距離インターネットレッスンがほどなくスタートする。パソコンのメールやスカイプ(ビデオ通話アプリ)など幾つかの手段を試した今は、メッセージアプリ「ワッツアップ(WhatsApp)」でのやり取りへと落ち着いた。「ライン(LINE)」とよく似た機能だが、欧米での人気が高く、スペイン人はほとんどがこれを使っているためだ。


「自分が歌った音源をワッツアップでダビに送るんです。それをダビが直して送り返してくれるんです」



――どうやって直すんですか?


「(送ったものの)上から録音するんです。二重録音して、今はワッツアップで簡単にできるんですよ」


 そこでミネーラの修正音源の一部を、レッスン例としてインタビュー中に聞かせてくれた。山田さんの歌う一節一節に「ビエン」「ビエン」とダビの声が小刻みにかぶさるのが、非常に印象的だ。


――ダビの指示がすごく細かいですね。


「そうなんですよ! めちゃめちゃ細かいんです」


"クイダード・コン・ゴルペ・デ・ボス(Cuidado con golpe de voz)"と、録音の中からダビの声が聴こえてくる。



――「ゴルペ・デ・ボスに気をつけて」と言われると、山田さんはどう直すのですか?


「やさしく(声を)出さないといけないんでしょうけど......。だから今回のレコーディングも、振り返ってみると、各パートを別々に録音していたんですけど...」


――あの録音は、別録りをつないでいるんですか?


「そうなんですよ」



CDでは"デサフィナード"は絶対にダメ

 何度も繰り返し聴きながら、それが別録りだとは筆者は全く気付かなかった。勢いに乗ったナチュラルな演唱の数々に「これは一発録りだろう」と、まるで逆を想像していたほど。ライヴ感や即興性を尊ぶフラメンコでは、実際そのパターンも多いのだが......。


「つないであの仕上がりになるのは、ホセ・アモサの腕と技術ですね。ホセは2010年のラテン・グラミーに、ホセ・メルセーのアルバム『ルイド』で、ベスト・サウンド・エンジニアとしてノミネートされているんです。
 実際は全部別録りです。先にギターは録ってしまって、そこに私とダビが6時間、二人でスタジオにこもるんです。そんな日がほとんど15日間続きました」(収録は2019年8月)


――ギタリストが歌伴奏をその場でしていないんですか?


「ギター録音時に私はその場にいます。歌の長さが大事なので、今日はそれを知らせるだけでいい、本録りじゃない、とは言われるんですね。初日の録りのアレグリアスだけ、私が着く前に録ってありました。ホセ・アモサはその時初めて紹介されました。
 ホセが録音ソフトの前で操作し、私がブースに入って録り始めます。アレグリアスはネットレッスンをずっとやってきたし、発表会やライヴでもなるべくそのレトラを歌ってきたので、自信があったというか、そんなに問題なくスムーズに流れるのでは、一番最初の録りがアレグリアスでよかったと思っていたんです。そうしたら、もう全部ダメ出しでした(笑)」



――ダメ出しは誰が?


「ダビです。それをホセが見ていて、『その日は本録りじゃなくて練習だから』と。ダビ自身も録音ソフトを使ってピッチを変えたり、動かしたり操作ができるんです。だから二人でスタジオにこもれたんですね。一発録りはフラメンコの前に経験していましたが、別々に録っての緻密な作業は初めてでした。『明日アレグリアス本録りをやるから、今日注意した所を今晩練習しときなさい』と。その怒り方が、今まで見たことのないような目をするんですよ。
『あかり、エスペクタクロ(ステージ公演)ではデサフィナード(音程を外すこと)は少々はOKだ。CDは絶対に、絶対にダメだ』と言われました。でも私には音を外しても、それがどこかわからない。最後には私があんまりわからないから、『チッ』とか言われて(笑)。目がギロッて。録音スタジオの片隅に、音が確認できるよう古いギターが置いてあるんです。そのギターでダビ自身が『あかりの出している音はこの音、僕が言っているのはこの音』と弾いてくれて」


――やはり耳がいいんですね。


「すごいんですよ。着いたその日から、私は撃沈で打ちひしがれてしまったんですがやらなきゃと思って、一生懸命練習しました」


――スタジオはどこで?


「ダビの家の一角のスタジオです。家の隣にスタジオが立っている。私のための部屋も、自分達が住んでいるピソの一番上の一角を貸してくれてたんですよ」


――合宿みたいな感じですね。


「そうです。朝起きてメルカド(市場)行って朝ごはん買ってきてちょっと自炊して、練習して、録音して、それの繰り返し。それしかしていないんです。だから観光は二カ所だけ。アルカサルとサンティアゴ教会は近かったので。でもそこまで集中できたからよかったとは思いますけど。着いてその日にいきなり練習でしたから。まずメルチョーラと二人で空港に迎えにきてくれたんです」


――奥さんはメルチョーラ・オルテガ(歌い手)なんですね。


「本名はインマというらしくて、インマインマと呼ばれてましたけど。メルチョーラのカンテは昔よく聴いていた『ドゥエンデ・イ・コンパス・ポル・タンゴス』に録音されていて、声は知っていたんですけど、すごく可愛い人なんです。逆に精神的にはメルチョーラがすごく助けてくれた。同じ建物に一緒に住んでいるような状態じゃないですか、階は違っても。
 だから『あかり大丈夫か』って声掛けてくれて。思わずメルチョーラの顔を見るとダビの厳しいのがつらくて、涙出ちゃうんですよ。で、『大丈夫じゃない』って答えると、『今日何してる? ちょっと話しに行こうか』って言って、コーヒー飲みながら話したりしてくれて。そんな風な流れで録音が進んでいきました」


※後編に続きます


【特別篇】ワールドワイドな浮浪者

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 筆者は堀越千秋さんと空港で遭遇する奇縁がある。何年か前は福岡空港の搭乗口前の土産物売り場で。「ドローレス見に来たの?」とは開口一番堀越さん。その時は博多でドローレス・アグヘータのコンサートがあったらしい。筆者はフラメンコとは全然別の仕事で出張していた。

20 ホアキン・デ・ソラ「プリンシピオ」×ハイリキ(黄缶)Joaquín de Sola「Principio」 ×hiLiki(la amarilla)

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 パコが行ってしまった。遺作の「カンシオン・アンダルーサ」の依然ツヤのある音を聴く度に、この世の無常を感じてしまう。しかし、フラメンコの歴史はまだ続く。そのパコの唯一無二の盟友・カマロンの生まれ故郷から届いた、若きカンタオールのデビューアルバムをご紹介しよう。制作発表当時は弱冠25歳、カディス県サン・フェルナンド出身、ホアキン・デ・ソラの「プリンシピオ」(2013)だ。

★★3月1日(土)に延期です★★

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★★お知らせ★★

本日2月8日(土)開催予定の下記の会は、
大雪による交通機関の乱れと、
路面凍結によるご来場者の方々の事故防止のため、
やむをえず延期させていただくことになりました。
次回は
★3月1日(土)19時スタート
場所は同じく
★スペインバル「Olé」
です。
楽しみにして頂いた方には申し訳ございませんが、
何卒ご理解頂ければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
中谷

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名盤エクスプローラーズ
~埋もれた宝を求めて~

★採掘者★ 一部 高場将美(音楽評論家)
          二部 中谷伸一(プーロドランカー)


先にお知らせの通り、今週末2月8日(土)19:00から、スペインバル「Olé」(下記地図参照)にて開催します。
まったく個性の異なるコンビが選りすぐった、キラ星のようなカンテ・フラメンコ(フラメンコの唄)の廃盤・名盤の数々を、
お酒とともにお楽しみ頂ければ、と思います。
当日お時間ある方、カンテをあまり聴いたことがない方でも、
ブラリと気軽に遊びにきてください。
カンテ・フラメンコっておもしろいですよ!
¡ Nos vemos pronto!


とき:2014年2月8日(土)
   19:00~(開場18:30より)

ところ:スペイン・バル「Olé」
    〒169-0073 東京都新宿区高田馬場3-12-27-105
    TEL/FAX 03-3364-3466
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(最寄駅はJR、東西線、西武新宿線「高田馬場駅」です。早稲田口から徒歩5分程度、西友の角の急坂を降りて左折してすぐ)

会費:1,500円 フリードリンク&ちょっとしたつまみ付き
    ※お酒はなくなり次第終了、持ち込み歓迎です!

予約・問い合わせ:
03-3364-3466(スペインバル「Olé」)
nakaya123@hotmail.com
masami-takaba@hotmail.com

名盤エクスプローラーズ~埋もれた宝を求めて~【採掘者】高場将美(音楽評論家)/中谷伸一(プーロドランカー)

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みなさん、あけましておめでとうございます。お正月はいかがでしたか? 私はトルタの訃報を知り、悲しみのあまり日本酒、シェリーを一本ラッパ呑みして、地獄の二日酔いを新年早々から体験しました。何だかスバラシイ一年になりそうです。と、いうわけで今回はお知らせです。

【レメディオス降臨!~踊りの声】“La Voz del Baile” en Tokio

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 エメラルドグリーンのロングドレスに、大ぶりな金貨を連ねたゴールドネックレスは、ダークブラウンの肌によく映える。まさしくヒターナの女王といった風格! 不世出のカンタオーラ、レメディオス・アマジャは、冒頭のシギリージャ・イ・ロマンセでフアン・デ・フアンらと絡んだ後、 3曲目のタンゴでガラリと衣裳を変えて再登場した。

【11月のサンルーカル・ペーニャ情報】VII El Circuito “Ocho Provincia”

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 旧知のペーニャ(フラメンコ同好会)から急ぎの情報が届いたので、この場を借りてお知らせします。今週末の11月1日(金)午後10時から、カディス県の港町、サンルーカル・デ・バラメーダの居酒屋「ラ・ソレア」(住所:C/Siete Revueltas=カージェ・シエテ・レブエルタス)で、ペーニャ・フラメンカ「プエルト・ルセーロ」主催のカンテ・ライヴが行われます。カンテにホセ・ドミンゲス"エル・チェリン"、アナ・セラルボ、ギターはヘスス・ロメーロ"ロメリート"、というソシオ(会員)のメンバーが出演。地域密着のフラメンコの一端を覗けて面白いですよ。この時に現地にいる方はぜひ!

20 レメディオス・アマジャ×VAT69Remedios Amaya×VAT 69

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 フラメンコ音楽ファンのみなさん、お久しぶりです。今週末に上演の「踊りの声~La Voz de Baile」(京都11/3・東京11/4)に、何と、私も大ファンの唄い手、レメディオス・アマジャが登場します! これを機に彼女のディスクとウイスキーを引っ張り出して、前夜祭といきましょうか。

【特別編】マヌエル・リニャンの衝撃!2013年10月12日(土)新宿文化センター「トラスミン」

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三日間続く「フラメンコ・フェスティバル・イン・トーキョー」の初日の舞台は「トラスミン」。素晴らしいバイレに感動したので、山積みの原稿をすべて脇に追いやってお伝えしようと思う。その筆頭がマヌエル・リニャンだ。