音から踊りへ

フラメンコ舞踊を習い始めたのが27歳と遅いスタートの私は、子供の頃からバレエをやっていた人が羨ましかった。単純にまず、あの方達は軸が安定していてブエルタがうまい。私なぞ、ブエルタ=目が回る、そんなレベルのスタートだった。31歳の時、アントニオ・ガデスの映画にも出て来る、あの古いアモール・デ・ディオスに半年通ったが、出るクラス出るクラスどこでもひどい劣等生だった。

特にパコ・ロメロのクラス!パリージョを打ち、ケブラーダで回りながらスタジオの端から端へ進んでいくのだが、私の場合パリージョはただ装着しているだけ(パリージョを打つ余裕ゼロ)、目標地点に辿り着くことはほぼ皆無で、いつも順番を最後にされた。中間にいると列を乱してしまうからだ。クラスを見学した時、「すごい、超人技だ!」と目を丸くし、次の瞬間には「ここに入って鍛えねば。」と決意した私は、その前にやるべきことがあるという思考回路が、残念ながら不足していた。当時は自分と上手な人との距離を正しく見極めることが出来なかったのだ。なんでもやれば出来ると思いがちな性格も手伝って、全くレベルが合わないクラスに飛び込み、傷だらけだった。

そんなふうに恥をたくさんかきながら、「踊る身体」を作って来た。もちろん今も発展途上。しかし、バレエをやってきた人へのコンプレックスは、いつの間にかなくなっていた。フラメンコに魅せられたことで、100パーセント音楽畑だった私の身体は、踊るということを覚え出した。

そしてフラメンコは、私に「踊る方法」を教えた。ブラソ、マノの使い方、コロカシオン、足の打ち方など、基本テクニックは勉強すべきこととして置いておいて、動きを決める動機づけの部分、何故そう動くかという理由、それが私にとっての「踊る方法」であり、フラメンコが私に教えてくれたことだ。

ポスターが貼られた扉歌、ギター、踊りの三位一体であるフラメンコ舞踊は、先に動きを作ってそれが映える音楽をバックに流す手法や、音楽が先にあってそれに合う動きを作るものとは違う。フラメンコの中には完全に振付された作品もあるが、それでも生の歌とギターがある限り、常に彼らとコンタクトを取りながら、歌とギターを身体に纏わりつけられることが、フラメンコを踊る一つの条件だと思う。

そして、振付されたものをそのまま踊らないことも、フラメンコではとても自然なことだし、私自身も振付を踊ることは苦手だ。ではその場合の動きの動機づけは何かと言うと、それは音だと思っている。声、ギターという聞こえる音への反応と、自分が作りたい音を作ること、どちらも含めて、踊る動機は音と言えると思う。

レトラを踊る場合、歌をものすごく注意深く聞いていると、今動けとか、じっとしてろ、とか教えてくれている(もちろん、レトラの意味ではない)。私の勝手な思い違いかもしれないが、私にはそう聞こえる。オーソドックスなレトラの場合は、そのレトラを知っている方がいいとは思うが、知らなくてもコンタクト出来る、と思う。生きた歌い手が歌っているのだから、レトラの意味より、その人の呼吸の圧のようなものを捉える方が重要だし、同じ人が同じレトラを歌っても、この日にしっくり来た動きが、次の日にはしっくり来ないかも知れない。同じことは二度と起こらないのだ。

歌が入らないエスコビージャの部分は、レトラを踊っている時に比べて、踊り手が舵を取る割合がぐっと増える。自分の中にある音のイメージが、足の音や身体の表情つまり身体の音になっていく。この場合の「音」は、音の循環で生まれる「コンパス」のニュアンスと言えるかもしれない。

「音」から「踊り」へ。そこに行くために、先人達のビデオもかなり見て来た。歌に対して、何故今そのマルカールを、そのニュアンスでしたか、ということを体感したくて、ファルーコのビデオは繰り返し何度も何度も見た。そしてアンヘリータ・バルガス。動き方の秘密を探るために、コマ送りはもちろん、逆回しで見ていたこともある。レトラへの反応を見る以外は、音を消して見ることも多い。一流の踊り手は、動きを見るだけで、その身体から音のニュアンスが聞こえるからだ。電車の中で、イヤホンなしで踊りの動画を見ている私がいたら、きっとニヤニヤしていると思う。小さく「オレ!」と言っているかもしれない。

「その時に聞いた音」が身体を動かすという回路が染み付いた身体は、時に呼吸が深い音を聞くと、フラメンコ以外でも踊りたがった。そんな時は、フラメンコを踊る時に守っている、フラメンコらしさのためにはしてはいけない動きも身体から飛び出してくる。一人のスタジオで、動きを誘う音をかけて、身体を動かす。ただの由紀ダンス。それは、フラメンコどっぷりと思われがちな私のもう一つの自然な姿で、スタイルは違っても、私にとってはフラメンコを踊るのとある部分では全く変わらない行為だった。
空に浮かぶ塔
昨年11月。一人のスタジオから外に出て、他者と由紀ダンスの共有を図るという無謀な試みをした。音が身体を動かす、という動機だけで、ライブは成立したのか。

ではまた次回に、昨年11月のライブのことや、それを経て発見したことなど、お話したいと思います。

アクースティカ倶楽部

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