「踊り手はカンテを聞け」の奥にあるもの

カンテを聞け、と踊り手はよく言われるが、それはいったいどういう意味なのだろう? 単に「カンテをちゃんと聞いて踊る」、あるいは「踊るための勉強としてカンテを聞く」、ということではないような気がする。カンテを聞けとは、何よりも、まずは常日頃カンテを聞け、だと思う。カンテを聞くことで、フラメンコの美学、こだわりなどが、自然に身体に入ってくるのだと思う。カンテを好きでよく聞いている人と、そうでない人の踊りは、やっぱりどこか違う。

もう22年前になるが、セビージャにいた1年間、La Tonaのレッスンを受け、振付もたくさん教わった。クラスを去る前にトナーは、せっかくたくさん勉強したんだから録画しときなさい、と薦めてくれ、ビデオカメラを持っている友人に頼み込んで、何回かに分けて録画した。その後ヘレスに移ってフラメンコ観が一転し、マドリーの半年間とセビージャでの1年間には蓋をしてしまったので、帰国後も、その8ミリビデオはしまい込まれたままだった。

帰国してしばらくしてビデオで見ると、トナーの踊りは、流石に素晴らしく、特にご主人のモーリーの歌で踊るソレアには、深く胸を掴まれる。今も時々見ては、「オレー!」と言ってしまう。

そう、個人レッスンの時に、何のタイミングだったのだろう、ふと気が向いて、タンゴを一振り踊ってくれたことがあった。それはとっても自然で、私はなんだかこう、ゾワっとした。「今の踊り……、すごく好き!」と言ったら、「モーリーのお母さんがこんなふうに踊ってたのよ。私には無理よ」と、恥ずかしそうに答えてくれた。あの頃、超越技巧を誇るトナーであったが、根っこはここにあるのか、と、一人ワクワクした。

その8ミリだが、ふと思い立ち、業者に頼んでDVDにしてもらった。出来上がりを楽しみに待ち、そしてドキドキしながら久しぶりに見た、のだが……、

いやまあ、とにかく自分の踊りにビックリした。22年前であるということを差し引いても、これはひどすぎる。「ちょっと!私!何やってんのー?」と、映像の中の私の肩を掴みたくなった。

色んなことをこなしてはいるが、それは、フラメンコとは全く別物に見える。
マルカールはマルカールではなく、ただの移動だし、レマーテもジャマーダも、それがどんな役割で、どんな色を持っているかなどには、全く興味がないようだ。歌もギターも、聞いてはいるが、コンタクトするという方法では聞いていないので、申し訳ないことに、踊りのバックミュージックになってしまっている。

思えばあの当時の私には、たくさん振付を覚えて、うまく踊るということしか
頭になかった。

当たり前だけど、フラメンコって、フラメンコを知らないと踊れないんだなぁ。俗にいう「動ける身体」はもちろん必要だけど、たとえ足が早く動かなくても、たくさんの動きが出来なくても、きちんとした基礎と、フラメンコってどういうものかって意識があれば、フラメンコらしいものを踊ることは出来るのだと思う。プロの踊りとか、そういういうことではなく、フラメンコに見える踊り、という意味で。

振り返ると、ヘレスで、カンテを聞かずにはいられないほどカンテが好きになり、アカデミアと自習室の往復のような生活に終止符を打ち、やっとフラメンコに出会ったのだ。もちろんそれまでの、がむしゃらな、ひたすら練習を繰り返した日々も、決して無駄ではない。しかし、フラメンコってこんな感じ、って感じが身体に入って来たのは、カンテに魅せられてからだ。カンテにフラメンコの流儀、美学を教えてもらったのだ。

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