1996年に、フラメンコ留学でスペインに来てから15年が過ぎ、南スペインのヘレス デ ラ フロンテーラという町に落ち着いてからは13年。フラメンコの踊りを練習しなくなってからも、すでに7年になる。
今私は、43歳。「Soy slow-flamenca (ソイ スローフラメンカ)」
スローフラメンカ?スローフラメンコな女?
それっていったい何?


「スローフラメンコ」6年くらい前から、自分が発信して行くフラメンコをこう呼ぶことにした。
スローといっても、ゆっくり踊るという意味ではないの。普通の人が日常生活の中で楽しんでいる、生活に根付いたヘレスのフラメンコから私が学びとった、競争じゃなくって協調のフラメンコ。そして別に踊らなくても、歌わなくても、スローライフから出て来た自己表現はみんなスローフラメンコと呼ぶ(と私が決めた、笑)。
じゃあ、スローライフって?
人と、そして自然との関わり、繋がりを大切にした生活だと私は思う。何かと関わるって時間がかかる。はやくできない。例えば「ファーストフード」は、店員とお客が関わる時間をいかに短縮するか、ハンバーグとなる動物も生き物ではなく工業製品のように手をかげずに育てあげるってことでファーストになった。対して、最近よく耳する「スローフード」は、季節のめぐりを尊重した地産地消が基本で、食材にも料理にも時間がかけられている、つまりスローな食べ物となる。
近年ヘレスでも、アメリカ流の大型スーパーやショッピングセンターなどが次々にオープンした。これらは私たちにファーストライフを要求してくるんだ。とはいえ、まだまだヘレスにはスローライフがあるよ。日曜に店は閉まるし、平日に3時間もシエスタ(昼休み)をとる。これらの生活習慣がファーストライフの進展にブレーキをかけているんだね。
スローライフから出て来た自己表現をスローフラメンコと呼ぶって言ったけど、具体的にはどういうこと?
例えば、私は天然酵母でパンを焼く、家庭菜園で野菜を作る、個人商店で買い物をする。どれもこれも、時間がかかる。めんどくさいと言ってもいい。パンも野菜も、なんでも揃う大きいスーパーで一度に買えば、節約した時間を踊りの練習にあてられるのに?
そういうフラメンコもあるでしょう、っていうかここ数年はそういうフラメンコばっかりって感じがするんだな。私が見たい、感じたい、伝えたい、育てたいフラメンコは、たとえ練習する時間を節約できずとも、実生活という人生舞台で日々表現している「あなたマーク」のフラメンコ。だってフラメンコは、練習スタジオって四角い空間生産じゃなくって、その人の人生っていう空間制限のないとこからの生産物であって欲しいの。
いくらなんでもパン作りはフラメンコっていえないでしょうって?
ふむふむ、世間がそう言うのもよく分かる。
だからさ、こういうスローフラメンコが存在しないならば、私たちで創ちゃえ〜ってことよ。
スローフラメンコは、人との、自然との繋がりを重視して、「我」が「他」と共に楽しむ生活アート。
スローフラメンコは、エゴではなくエコ。そしてそのコンパスは、「わ」(和/輪/環/話)とえん」(縁/円)なのだ。

3つの壁の乗り越え方

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フラメンコ(カンテ/踊り/ギター/他)が難しい...
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