私は、まだあの力を持ち合わせていないじゃないか!
あの力とは、
私がフラメンコに夢中になったきっかけになった力。
悲し過ぎて立ち上がれなかった22年前に
カンテフラメンコから感じられた
雑草のようなたくましい生命力のこと。


私は探し始めた。
あの力を私に教えてくれるところを。
踊りのグループレッスンの中にはなかった。
個人レッスンの中にも
カンテレッスンにも
ないような気がした。
迷った末に
思い切ってフラメンコからいったん離れてみることに決めた。
踊り手として人前に出て踊ったり、
練習生としてレッスンを受けることを全てやめてみた。
数か月間の休憩の予定が
1年経ち、2年過ぎ、、、。
そして、
ついに見つけたあああ!!!!
あの力は
実は私の中にすでに存在していたということを!!
自分の内側にこそそれは存在していたとは
今までフラメンコに関わってきた何年もの間
もう全くもって気が付いていなかった。
だから、他の人に力の作り方を教えてもらおう、
なんなら分けてもらいたい、
と考えていていつも外へ外へと探していたのだ。
なるほど、見つけられなかったはずである。
私の捜索先はまるっきり見当違いだったのだから。
私はすでに持っていた!
(そして、生きているもの全てが持っていた!)
あまりにも当たり前なこの結論だが
すとんと腑に落ちてきたのは初めてだったのだ。
これを知ったときの感覚は
迷子が母親を見つけたときの、
あの泣きたくなるような安堵感に近かった。
灯台下暗し、とはまさにこのための言葉だ。
私は、自分の中のパワーに光を当てることがなかったのだから。
さてさて、
とにかく長年の探し物は見つかった。
だけど、それでめでたしめでたし?
見つかったからといっても
私のそれはかなり錆びついていた。
使ってなかったものだから萎縮して小さく、固くなっていた。
この力が本来の輝きを放つようになるためには
使ってあげて育てていくことが必要最低条件だ。
小さな種に例えてみよう。
その種は暗いところで休眠していた。
発見者の私が次にすることは
見つけた種を丁寧に懐に埋め、
毎日毎日水と光と栄養を与え続けること。
その中でも一番大事で、
しかも私にしかできないことは
種に(自分に)光を与えること。
つまり、私の種(生きる力、エネルギー)を意識すること。
人にかっこよく見せるための、あんな消費電力の高いスポットライトは必要ない。
私さえ見えていればいいのだから、小さな豆電球の灯りで十分十分。
だけど、大事なポイントがある、
それは決して消さないこと。
これ、簡単そうでけっこう難しい。
コンプレックスに悩むとき
落ち込んだとき
自己嫌悪に陥ったときでも
絶対に消さないようにするのは難しいのだ。
逆にピンポイント的に照らすのはかなり簡単。
人から褒められたとき
ラッキーなことがあったとき
世間に評価されたとき
恋したとき?
もしくは、外部からの作用で無理に覚醒させたりしたとき。
カフェイン飲んだり、栄養ドリンク飲んだりして
一時的に明るく照らすのは簡単でお手軽なのだ。
だけど、私の種が発芽するために必要なのは
日々の温かい地味な光。
暑過ぎることなく、強過ぎることも眩し過ぎることもない
たんたんとそそぐ、私自身への優しい愛の光。
さて私、
挑戦してみたわけですよ、
力強い緑の芽が出ることを期待して!
毎日の退屈で繰り返しな日常生活という人生舞台の中に自己表現の場を移し
生活のこと、ひとつひとつにフラメンコ的な力を意識するというところからね。
料理、洗濯、そうじ、買い物、食事、排泄、睡眠、パートナーとの関わり、自然との関わりなど。
あらゆる場面で、今ここにすでに在る、自分の生が放つエネルギーを感じて行動する。
今の私が今の私のままでできることを
ゆっくりと時間をかけてやるだけ。
他人とは比較せず、
あえて評価をするならば、あくまでも
自分がどこまで今に生きたかの一点のみ。
それと、
ステージで踊る前には集中して
アレグリアスなら喜びの感情を
ソレアなら悲しみの感情を
シギリージャなら苦しみの感情を探して思い出し
踊り(身体の動き)と連結させるようにするじゃない?
それを普段からやるのです。
自分の実直な感情と行動がいつでも結びついているようにする。
すると、種の水や栄養の吸収力が高まるみたいで
自分自身があげる養分はもちろんのこと、
他の人がくれる栄養も吸収しやすくなるみたい。
「Maki コレ オイシイネ」
「でしょう!?」
「maki 今日キレイジャナイ」
「でしょう!?」
ってな感じにね(笑)。
種は、うそとか体裁とか見栄などは嫌いみたいで
そういう人工的な栄養は吸収されずじまい。
だけどもし間違って受け入れちゃうと
懐という土壌が化学成分で汚れてしまう。
結局、また生命力ある有機な土に戻すために
デトックスとか必要になっちゃったりして
余計な時間がかかっちゃうよ。
それで、
私の種はというと
いつのまにか芽が出ていた。
気付いたら出ていた。
そして、
また気が付いた。
種発見した!芽が出た!っていう出来事も
過ぎてしまえばそんなに大変じゃなかったような、、、。
それよりも、枯れない強さに仕上げるまでが大変なんだってね。
(プライベートごとで失礼!
一生懸命頭使って言葉を考えてる今の自分が滑稽に見えて、思わずひとりで爆笑中!!!もう今日はこれ以上説明しないね。)
だってもう、どこにいたってスタートの地点であり
どこにいてもプロセスなのさ!!!
眠ってる種あり、
起きた種あり、
発芽した種あり、
葉をつけた種あり、
つぼみや開花やそれが散るときも
「今」という時間から見れば
いつもスタートであり同時に過程。
つまり私の種の成長がどの段階にあろうが関係なしに
私はすでにフラメンコなのです!!!!!
もちろん!これ読んでるあなたもよ!!!!!
私たち、生きてる限り生命の力ってのがあるのだから。
1月に企画しているワークショップ形式のクラスでは
自分はすでにフラメンコだと自覚した私がリードしていくけれど
あなたのフラメンコはあなたにしか発見できないし育てられない。
私ができることは、
あなたと一緒にその経験を共有することだけ。
きっかけになるかもしれないワークをいくつか仕掛けていくけど
それを有効に活用するかしないかはあなたしだい!!
今回すでに日本滞在2週間を超え
いろんな友達の話を聞いているうちに
日本の社会の生きづらさが予想以上に大きいことを実感。
日本の社会人ひとりひとりの我慢や忍耐の賜物である穏便な平和社会。
波風立たないこの平穏な水面に石を投げ込むような私の価値観は
いたずらにこの平和をかき乱す不必要な存在なのでは?
とちょっと迷いも出てきたのが正直な感想。
答えのない八方塞がりの状況に生きるには
あばれるよりも、見ない、出さない、言わないが一番。
そうなの?
それでいいの?????????????
ここで、もう一度質問。
「なぜフラメンコなの?」
th_DSCF3805.jpg
セビージャで受けた「自尊心向上のためのフラメンコ」ワークショップの様子。
参加者のほとんどがフラメンコ未経験者だったけれど、みんなったらもう恥知らず!笑。
まあ、踊ること踊ること踊ること!
この人たちにこれ以上自尊心向上させていいのかしら!!!

アクースティカ倶楽部

アクースティカ倶楽部イメージ
アクースティカ倶楽部は、仲間とともにフラメンコの「楽しさ」を追求する、フラメンコ好きのためのコミュニティです。