セビージャの観光名所でもあるサンタクルス街でのペンションでの生活。昔のユダヤ人街ということで、細っこい道が多く、夜遅くなるのはちょっと物騒でもありましたが、タクシーが近くまで入れるところだったので幸いでした。秋になって、念願のアソテアAzotea(屋上)の部屋に変えてもらえたのは嬉しかったです。
隣にあるアルカサルAlcázar(王宮)の城壁がすぐ横に見えました。
毎日夜空の星を眺めながら眠れるので最高でした!
でも台所を借りて自炊などを始めてから、自炊の時間の問題や台所の流しやコンロなどの使い方や
掃除や冷蔵庫の事やらなんやで、どうもペンションのおばさんと口論が尽きなくなりました。
それはほんとに些細なことなんですが、こっちは注意を払っているつもりでも、おばさんにとっては
気になることがあるのです。おばさんは住み込みでペンションの管理をしているので、台所は
おばさんの天下です。誰もいない昼間にちょっと練習したりはOKだったんですが......。
その他にも、トイレもシャワーも共同だったし、カギの問題など何かと不便なことばかりでした。
しだいにペンションでの生活に疲れを感じ、とにかくちゃんと条件のそろっているアパートを探し
はじめました。新聞などで貸家の情報も得られたんでしょうが、そういうことにはまだ慣れて
なかったので、ペンション界隈を歩いて、歩いて、あちこち人伝てに探し回りました。
そして、サンタクルス街の隣のバリオBarrio(地区)にやっと小さなアパートを見付けました。
真ん中に小さなパティオPatio(中庭)がある一軒家の中に、バス・トイレ・キッチン付きのお部屋が
いくつかあって、ちょうど奥の部屋が空いていました。大屋さんの家族も2階に住んでいて出入口が
ひとつなので、あまりプライベートはないけれど、なにかと世話してもらえそうで安心して住めると
思いました。それで、引っ越しを決行しました!ペンションのおばさんは口うるさいけどとっても
いい人。なんだかんだ言っても仲良くしていたので、心が痛みましたが仕方ありませんでした。
さて、新しいアパートでの生活が始まりました。5分ぐらい歩くとメルカードMercado(市場)があって、直ぐ近くにコメスティブレComestible(食料品)小さなお店もあって便利でした。語学学校はメルカードの先にあって歩いて行けましたし、今まで住んでいたペンションもやっぱり歩いて5分ぐらいなのでおばさんにも時々会いに行っておしゃべりできました。大屋さんの家族も明るく、温和な人達で、日本人は初めてということでとても歓迎してくれました。わたしも家族の一員のように付き合ってくれて嬉しかったのであります。
引越して直ぐに2人の訪問客が突然現れました。誰かと思ったら、なんとドアの向こうに立っていたのは中学1年生ぐらいのカップルでした。大屋さんの末息子アンヘルと隣りに住んでいたマリロです。2人は大の仲良しで、いつも一緒に遊びに来てはあちこちに連れて行ってくれてましたっけ。なにしろわたしは言葉がまだまだで、話すと急に幼稚になってしまう(笑い)。背伸びしたがる年代の彼らにとって、丁度いい遊び相手になっていたのかもしれないです。
アンヘル君はとにかく元気いっぱい、お芝居とかが大好きでした。学芸会があるから見に来てと言うのでいそいそ行ったら、なんとパジャッソPayaso(道化師・ピエロ)の格好をして出て来たんです。スペイン人は仮装するのが好きだけど、ちょっと恥ずかしそうだったかな(笑い)。そんなアンヘル君でしたが、ある日突然、ニコニコ顔で自慢げに「フラメンコ、僕ちょっと知ってるよ。」と歌いだしたのです!それは下記のファンダンゴ・デ・ウェルバでした。
Tomate / Qué culpa tiene el tomate / Que está tranquilo en la mata /
"pa"que llegue un tio malaje / Y lo meta en una lata / Qué culpa tiene el tomate
トマト畑にアンダルシアの太陽を浴びてすくすく真っ赤に育っているトマトを想像してください。
なんで悪いおじさんがやってきてトマトの平和な生活を奪い、缶詰にしちゃうの?トマトがいったい何をしたというの? わたしなりの言葉で訳すとこんな感じの意味となります。トマト缶にされてしまうトマトのはかなさと、罪のないトマトをトマト缶にしてしまう大人への怒りを唄っているみたいです。子供らしいレトラ(歌詞)で、かわいいじゃないですか!そして、こんなのもあるよ、こんなのも......って沢山レトラを教えてくれたのでこっちはビックリ、アンヘル君の株が急に上がりました! でも何でそんなに知っているのかなと思ったら、なんと学校で習ったと言うのです。
ヘェー!そうなのか~。やっぱりスペイン!(アンダルシアだけかな?)
実はファンダンゴが大好きなわたしです。それはスペインで初めて身近に感じたフラメンコだったからかもしれません。ファンダンゴと一口に言ってもその種類はいっぱいあって、アンへル君が歌っていたのはウェルバ地方のファンダンゴです。ウェルバのファンダンゴもまたその中にいっぱい種類があって驚きなんです。土地の人はリズムに乗って軽やかに唄います。短い詩の中に様々な気持ちが込められていることが多いです。実はこのトマトのレトラですが、後になってもともとはチリ(国)のフォークソンググループが70年代に歌ってヒットした権力を振るう地主に対する貧しい農民達のプロテスト・ソングの一部だったのがわかりました。それを誰かがファンダンゴ調にして歌ったのでしょう。こういうこともあるんですね。それはともかく、いつか時間ができたらアンダルシアを旅行して、あちこちで土地の人たちが歌うファンダンゴを聴いてみたいものです。
旅行では行っていても初めての長期留学です。あれこれ考えたりしていたんでしょうが、
どうするもこうするも、とにかくスペイン語が聞き取れない、話せないでわからないことだらけ。
さっそくメモ帳を買ってきて書きまくり、そして聞きまくる毎日とあいなりました。
ある時、「これ、どういう意味?」って先輩に聞いたら、「それは私の旦那の名前よー!」って
笑われたことがありましたっけ。(笑い)
それでです!先ずは学校に行ってスペイン語を勉強しなければいけないということで、セビージャ大学付属の語学学校に通いました。クラスメートはアメリカやヨーロッパ、中近東などからの留学生でした。左の写真は試験の後に撮ったのかな?その時のクラスメートと先生のパコです。たった5人の少人数クラスでしたので、授業ではしょっちゅう先生に何か話しかけられ、嬉しいような悲しいような、緊張しっぱなしで蒼白状態のわたしでした。
ある日先生は「エイコは冴えない顔をしている、どうしたの?」と質問してきて、その文が授業内容になってしまったくらいです。(笑い)
また、1年ぐらいクラシックバレエの学校にも通いました。これは先輩の勧めでした。
わたしも必要性を感じていましたので、ちょっと試してみることにしました。
とは言っても、予備知識ゼロのわたしです。
ピアノ音楽に合わせてバレエ用語が次から次へと飛び交い、なんだか訳の分からない世界に入ってしまい、最初の戸惑いは激しかったです。みんなのやっていることを先ずは真似することから始まり、まぁ実に複雑なバーレッスンではあれあれっという間に次に進んでしまい、気が狂いそうなレッスンでした。
たまに先生がこっちを見て何か叫んでいると緊張してしまうけど、ビエンBien!「良し!」という言葉が聞こえてくると安心したり......。それでもなんとかコンセルバトリオ(王立音楽舞踊学院)のクラシックバレエ第1コースに合格しました!
トウシューズを履く前までです。左の写真、恥ずかしながら本邦初公開!でもなかなかそれらしくないですか?
語学学校に朝一で行き、その後学校とは正反対のトリアーナ地区にあるマノロのスタジオへ行って
個人レッスン。その後に歩いてバレエ学校へ行き、みっちりクラスレッスン。
クタクタになって家に戻りお昼ご飯の準備......そんなハードなスケジュールの午前中もありました。
語学学校とバレエ学校、そしてフラメンコのクラスに通う中でいつの間にかお友達もできてきて、
そちらのお付き合いもあり、生活が楽しくなって行きました。そして気が付くと、
学校での友達だけじゃなくって、なんだかんだといろんな友達の輪の中に自分は居たのです。
絵の好きなわたしはある日セビージャ大学の美術学部であったピカソの講演会へ行ったのでした。
その時に知り合ったのがサルスティアーノSalustianoです。略して「サルー」。
わたしは名前を聞いて思わず微笑み「エッ!サル(猿)?」、こっちはとにかく無知なんで、
勝手な解釈で本人幸せだったんですね。サルーってsalud(健康)の方でした。
そこに彼の友人がやってきて、「僕の名前はドミンゴDomingo」と言うのです。
「エッ!ドミンゴ(日曜日)?」曜日が人の名前だなんて面白い!などと感心したり。だいたい
キリスト教の聖人と同じ名前のスペイン人が多いですが、意味が多様だったりもするんですね。
そうこうしているうちに彼らの仲間がわんさか集まってきたのです。とにかくみんなにとって
日本人がとても珍しかったのですね。これを機会にと日本のことをあれこれ聞いてくるので
めまいがしました。宗教だの、産業だの、文化だの、わたしの名前の意味まで...。
しかもスペイン語で説明だなんてわたしには酷な話でした。そして、日本人でありながら
日本という国のことを意外とわかってなかった、忘れていたことに気が付きました!
美大生のサル―達は一つのピソpiso(マンション)に同居していたのでよく遊びに行きました。サル―はちょっと異色で菜食主義だったかな?私の前でフラメンコは嫌いとハッキリ言うし、よく私のスペイン語の間違いや発音を直してくれたので、それは嬉しかったけれど......ある日突然、真面目な顔をして、よく使われるからと教えてくれた表現が、実はタコスTacos(俗語・隠語)だったのです。タコスなんて言葉も知らなかったし、その時意味とか説明してくれたんでしょうがよく理解できず、さっそくメモして、声高々発音練習していたら、周りにいたみんながクスクス笑っているのです。
全くひどいじゃないですか!外国女性がタコスをしゃべっていると面白いんでしょうけど......。
みんなも私の手前、「全くしょうがない奴だ!」なんてサル―を批判。でもまぁ別にいいですよね、
こうやって仲間内で笑いながら楽しく勉強?させてもらえるんですから。
上の写真はわたしのバースデーパーティーです。わたし魚座なんで魚の形のケーキで「フー!」
サル―を通じて他にも色んな仲間ができて、それはそれはあれこれあって忙しい毎日でした。そうそう、スペイン人ばっかりじゃないです。他の外国人や、同じ日本人の方々なども。
どんな留学生でも長く居れば自然にその土地に住んでいる人々との交流が始まるものです。その中で教えてもらえることって沢山あります。そして何かあったら協力してくれます。
わたしはわたしで、みんなに日本料理作ってあげたり、セビジャーナスのクラスやってあげたり、
ゆかた着せてあげたり......etcできる限りのことでお返ししてあげるととっても喜んでくれました。
上の写真はセビジャーナス仲間との2年目のバースデーパーティーです。
こんな風に土地の仲間に混じって日々を送りながら少しずつスペイン生活に慣れて行きました。
さて、次回はもっと小さな可愛い友だちをご紹介したいです。意外な発見があったのです!