高橋英子のスペイン、グラナダ、きもったま

会社を辞めて自由に羽ばたく! (1)


さぁ、我がスペイン青春時代に出発です。
わくわく浮き浮き、やっとタイムマシンが動き出しました!
なんだか淡色系の光が交錯する音のないとても不思議な世界を通過しています。
あれ、何だろう? 何か赤っぽい鮮やかな光が輝き出しました。
わたしはてっきりスペインのあの眩しい太陽かと思いきや、そうではなく、
それは目を真っ赤にして泣いているわたしだったのです。
いったいどうしたというのでしょう?

先ずは、スペインに旅立つ前ってどんな自分だったのか、
わたしはどんな風にしてスペインに旅立つことになったのか、
そんなところから振り返っていきたいと思います。

30数年前の今ごろ、わたしは長年勤めていた会社を辞めてスペインに行くことになり、
あれこれ、バタバタとその準備に追われていました。
わたしはOL出身で、10年間の会社生活を送っているなかでフラメンコに出会いました。
そしてフラメンコを始めてからスペイン行を決意するまでの約6年間は、
会社勤めの傍らそれはもう半端じゃないフラメンコ三昧の日々を送っていました。

レッスン以外に自主練習、公演を観に行ったり、タブラオへ行ったりは勿論のこと、
スペイン旅行に行ったり、ハレオの研究会に参加したり、イベントで踊らせてもらったり、
自らフラメンコショーを企画してお仕事したこともありました。
スペイン語はちゃんと学校で勉強したことはなく、会社のスペイン語同好会に所属したり
大学でスペイン語を専攻し、スペインへも留学したことがある友人からスペイン語を習い、
わたしがセビジャーナスを教えるというインテルカンビオをやったりしていましたっけ。


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そして、フラメンコを始めて1年半ぐらい経った時には、
自分のリサイタルまでやってしまいました!それも銀座のど真ん中のガスホールです。
3月3日のひな祭りに「楽しい夕に」っていうタイトルで、勿論、入場無料。
あちこちでちょこちょこ踊る機会はあっても、
あれこれと習った踊りのおさらい会をやる機会ってなかったからでしょうか......。
きっとリサイタルに憧れていたんでしょうが、先立つものが無かったらできません。
悠々自適なOL生活をしていて資金があったからでしょう。わたしは恵まれていました。


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フラメンコを始めたのは、会社生活4年目のクリスマスからお正月に
会社の友人とスペインに旅行した時のこんなエピソードがあったからです。
セビージャで年越しを迎えました。確か泊まったホテルだったと思いますが、
フラメンコパーティー(フィエスタ)がありまして、引っ張り出された私は
どうしていいかわからなくなり、手足をバタバタ......なんとも恥ずかしかったのです。
こんな楽しい時にリズムに乗れないなんて! と、歯がゆい思いでした。
みんなと踊って唄って楽しめたらいいなぁ~! 

そうなのです。きっかけは単純なのです。
誰でも青春時代は自分が本当に好きになれるもの、打ち込めるものを探しているものです。
わたしもいまどきの言葉で「婚活」ですか?そんな雰囲気全然なくて、
ただひたすらにフラメンコが気になって気になって仕方なくなってしまったのです。 


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旅行から帰って、さっそくカルチャーセンターでスペイン舞踊を習い始めました。
発表会もありまして、ホタや、ジプシー舞踊(サンブラ)なんかを踊ったりました。
半年ぐらいした時、田中美穂先生に出会い、フラメンコの基本を学ぶようになりました。
その頃、会社の友人が結婚することになって、「結婚式で踊って!」って頼まれていたので、
最初のレッスンはセビジャーナスを習うことにしました。
毎週1番ずつ4週で4番まで個人レッスンで習ってマスターしました。
そして、美穂先生が貸してくださった縞柄にバラの花が点在している衣装で、
友だちの結婚式でデビューとあいなりました。


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そんな風に始まって、まあとにかく楽しくって、楽しくって、フラメンコが大好きで、
大好きでしょうがなくなってしまった訳です。まさにマニアックなまでにハマってしまい、
水玉に凝る、髪の毛は伸ばす、耳にピアスの穴は開ける等々、年ごろの娘でしたし......。
そういえば、ピアスの穴を開けた日、着付けの先生だった亡き母に、
「英ちゃん、耳に付いてる小さなものなんなの?」って、叱られるように聞かれまして......。
母には信じられない世界だったみたいで、とっても嘆いていたことも思い出します。
そんな母に、スペイン行を打ち明けた時のことも思い出しました。
「長くても1年半ぐらいじゃないかなぁ~」と遠慮して言っていたわたしですが、
逆に「3年ぐらいは行ってくる覚悟じゃなくちゃダメだね!」って発破を掛けられたのでした。

                                        (続く)

[リサイタルの写真:渡辺亨]

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高橋英子 プロフィール

フラメンコ舞踊家。スペインに暮らしながら、現地での舞台活動を重ねてきた貴重な存在。81年渡西。83年、セビージャでセビジャーナスコンクールに入賞し話題を撒く。翌年、グラナダを代表する踊り手マリキージャのアカデミーに招かれてセビジャーナスのクラスを開講。以来グラナダに住み、フェスティバルやタブラオ、ペーニャ等に出演。リサイタルも度々開催している。98年にはスタジオ「ラ・カチューチャ」を開設した。一方日本では、ペヌルティモ・コンサートシリーズ、「きもったま鍋」シリーズなどを上演。フラメンコ舞踊独特のペソ(重さ)とコラヘ(怒り、内に秘めた激情)、そして粋なグラシア(愛嬌)に溢れたバイレは高い評価と人気を得ている。現在は日本でも常設クラスを開講し、日西を行き来しながら精力的に活動を続けている。
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