高橋英子のスペイン、グラナダ、きもったま

フレッシュ!留学生活スタート


旅行では行っていても初めての長期留学です。あれこれ考えたりしていたんでしょうが、
どうするもこうするも、とにかくスペイン語が聞き取れない、話せないでわからないことだらけ。
さっそくメモ帳を買ってきて書きまくり、そして聞きまくる毎日とあいなりました。
ある時、「これ、どういう意味?」って先輩に聞いたら、「それは私の旦那の名前よー!」って
笑われたことがありましたっけ。(笑い)

amigodeidioma.pngそれでです!先ずは学校に行ってスペイン語を勉強しなければいけないということで、セビージャ大学付属の語学学校に通いました。クラスメートはアメリカやヨーロッパ、中近東などからの留学生でした。左の写真は試験の後に撮ったのかな?その時のクラスメートと先生のパコです。たった5人の少人数クラスでしたので、授業ではしょっちゅう先生に何か話しかけられ、嬉しいような悲しいような、緊張しっぱなしで蒼白状態のわたしでした。
ある日先生は「エイコは冴えない顔をしている、どうしたの?」と質問してきて、その文が授業内容になってしまったくらいです。(笑い)

また、1年ぐらいクラシックバレエの学校にも通いました。これは先輩の勧めでした。
わたしも必要性を感じていましたので、ちょっと試してみることにしました。

balletclasico.pngとは言っても、予備知識ゼロのわたしです。
ピアノ音楽に合わせてバレエ用語が次から次へと飛び交い、なんだか訳の分からない世界に入ってしまい、最初の戸惑いは激しかったです。みんなのやっていることを先ずは真似することから始まり、まぁ実に複雑なバーレッスンではあれあれっという間に次に進んでしまい、気が狂いそうなレッスンでした。
たまに先生がこっちを見て何か叫んでいると緊張してしまうけど、ビエンBien!「良し!」という言葉が聞こえてくると安心したり......。それでもなんとかコンセルバトリオ(王立音楽舞踊学院)のクラシックバレエ第1コースに合格しました!
トウシューズを履く前までです。左の写真、恥ずかしながら本邦初公開!でもなかなかそれらしくないですか?


語学学校に朝一で行き、その後学校とは正反対のトリアーナ地区にあるマノロのスタジオへ行って
個人レッスン。その後に歩いてバレエ学校へ行き、みっちりクラスレッスン。
クタクタになって家に戻りお昼ご飯の準備......そんなハードなスケジュールの午前中もありました。
語学学校とバレエ学校、そしてフラメンコのクラスに通う中でいつの間にかお友達もできてきて、
そちらのお付き合いもあり、生活が楽しくなって行きました。そして気が付くと、
学校での友達だけじゃなくって、なんだかんだといろんな友達の輪の中に自分は居たのです。

絵の好きなわたしはある日セビージャ大学の美術学部であったピカソの講演会へ行ったのでした。
その時に知り合ったのがサルスティアーノSalustianoです。略して「サルー」。
わたしは名前を聞いて思わず微笑み「エッ!サル(猿)?」、こっちはとにかく無知なんで、
勝手な解釈で本人幸せだったんですね。サルーってsalud(健康)の方でした。
そこに彼の友人がやってきて、「僕の名前はドミンゴDomingo」と言うのです。
「エッ!ドミンゴ(日曜日)?」曜日が人の名前だなんて面白い!などと感心したり。だいたい
キリスト教の聖人と同じ名前のスペイン人が多いですが、意味が多様だったりもするんですね。
そうこうしているうちに彼らの仲間がわんさか集まってきたのです。とにかくみんなにとって
日本人がとても珍しかったのですね。これを機会にと日本のことをあれこれ聞いてくるので
めまいがしました。宗教だの、産業だの、文化だの、わたしの名前の意味まで...。
しかもスペイン語で説明だなんてわたしには酷な話でした。そして、日本人でありながら
日本という国のことを意外とわかってなかった、忘れていたことに気が付きました!

amigodebellasartes.png美大生のサル―達は一つのピソpiso(マンション)に同居していたのでよく遊びに行きました。サル―はちょっと異色で菜食主義だったかな?私の前でフラメンコは嫌いとハッキリ言うし、よく私のスペイン語の間違いや発音を直してくれたので、それは嬉しかったけれど......ある日突然、真面目な顔をして、よく使われるからと教えてくれた表現が、実はタコスTacos(俗語・隠語)だったのです。タコスなんて言葉も知らなかったし、その時意味とか説明してくれたんでしょうがよく理解できず、さっそくメモして、声高々発音練習していたら、周りにいたみんながクスクス笑っているのです。
全くひどいじゃないですか!外国女性がタコスをしゃべっていると面白いんでしょうけど......。
みんなも私の手前、「全くしょうがない奴だ!」なんてサル―を批判。でもまぁ別にいいですよね、
こうやって仲間内で笑いながら楽しく勉強?させてもらえるんですから。
上の写真はわたしのバースデーパーティーです。わたし魚座なんで魚の形のケーキで「フー!」

amigodeclase.pngサル―を通じて他にも色んな仲間ができて、それはそれはあれこれあって忙しい毎日でした。そうそう、スペイン人ばっかりじゃないです。他の外国人や、同じ日本人の方々なども。
どんな留学生でも長く居れば自然にその土地に住んでいる人々との交流が始まるものです。その中で教えてもらえることって沢山あります。そして何かあったら協力してくれます。
わたしはわたしで、みんなに日本料理作ってあげたり、セビジャーナスのクラスやってあげたり、
ゆかた着せてあげたり......etcできる限りのことでお返ししてあげるととっても喜んでくれました。
上の写真はセビジャーナス仲間との2年目のバースデーパーティーです。

こんな風に土地の仲間に混じって日々を送りながら少しずつスペイン生活に慣れて行きました。
さて、次回はもっと小さな可愛い友だちをご紹介したいです。意外な発見があったのです!


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高橋英子 プロフィール

フラメンコ舞踊家。スペインに暮らしながら、現地での舞台活動を重ねてきた貴重な存在。81年渡西。83年、セビージャでセビジャーナスコンクールに入賞し話題を撒く。翌年、グラナダを代表する踊り手マリキージャのアカデミーに招かれてセビジャーナスのクラスを開講。以来グラナダに住み、フェスティバルやタブラオ、ペーニャ等に出演。リサイタルも度々開催している。98年にはスタジオ「ラ・カチューチャ」を開設した。一方日本では、ペヌルティモ・コンサートシリーズ、「きもったま鍋」シリーズなどを上演。フラメンコ舞踊独特のペソ(重さ)とコラヘ(怒り、内に秘めた激情)、そして粋なグラシア(愛嬌)に溢れたバイレは高い評価と人気を得ている。現在は日本でも常設クラスを開講し、日西を行き来しながら精力的に活動を続けている。
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