昨年の10月にフラメンコフェスティバルin Tokyo(10/12,13,14)という催し物がありました。「いろいろとフラメンコ三昧の秋」の幕開けはこの公演でしたが、書きかけのまま、あっという間に3ヶ月以上も経ってしまいました。遅ればせながら、あの時のスター達との簡単な思い出話などを混ぜて振り返ってみたいと思います。
第1日目、最近著しい活躍が目立つマヌエル・リニャンと偉大なアーティスト、マリオ・マジャの血を引くベレン・マジャ。わたしにとって同じグラナダ縁のこの2人の公演、観に行かない訳には行きませんでした。
ベレンのお父さん、マリオ・マジャとはよくご一緒させていただく機会もありましたが、ベレンとは全然なくて今回初めてその人柄に接し、あのカラッとした雰囲気がとても気に入りました。踊りは、本人もちょっと嘆いていましたが、何かが気になって引きずられるような重さが動きに見られたような感じがしないわけではありませんでした。
今回の出し物は「トラスミンTrasmín」、それって何?きっと「Transmisión伝えること」から来ている言葉じゃないですかね?ベレンは父のマリオ、マヌエルはグラナダのアイレなど、という風に単純に考えていました。確かに、ベレンは父マリオへのオマージュ(オメナッヘHomenaje)の意味でマルティネーテを踊ったということです。パンタロンでイスに座ってサパテアートから始まり、彼女の想い入れが十分感じられました。そういうこと以外、この作品は深く考えなくても、何か息があったマヌエルとベレンが、2人で壮麗なフラメンコのスぺクタルを見せてやろうではないか!といった意気込みで、取り組んだ舞台だったように思います。それはそれとして、何といってもマヌエルの演技が多くの観客を楽しませ、圧巻でした。マヌエルの演技は幸い昨年の夏に観るチャンスが数回ありましたが、この作品では皆さんもご存じのように出だしにバタ・デ・コーラで登場!カンティーニャスをベレンと踊りました。
実は私奴、マヌエルを13年前に自分の公演に招聘しました。アレグリアスをやはり出だしに2人で踊ることになっていて、マヌエルがその合わせ練習にグラナダの私のスタジオに来た時のことです。彼はまだ17歳でした。マヌエルはわたしがちょっといないすきにわたしの練習用のバタをちゃっかり着て、ヒューヒューとコーラを振り回して踊っていました!何の抵抗もない様子、ただただ好きなんだということでして......でも、それが立派なさばき方なので感心してしまったのであります。好きこそ物の上手なれ、まだあどけなさが残っていたマノリージョ君でしたが、今は立派なアーティストに育ってくれて嬉しい限りです。
マヌエルのバタさばきは今回が初めてではないようですが、今回は、男性用衣装のままのクエルポで、下だけがバタ・デ・コーラ(全部女装はしない)なんとも不思議な雰囲気が漂っていました。近年は男性がバタを着て踊るのを見かけるようになりました。ショー的に魅せる目的なのか、何なのか?マヌエルの場合、きっと彼の中に何らかの必然性があってのバタの着用なのだと思いますが、これもまたひとつ彼の特技として賞賛したいです。それから、他の踊りもいいとこだらけでしたが、タンゴで見せた古のアイレ!これは誰もに受けましたね。サクロモンテのおばさん達を彷彿とさせるあのマルカール、腰の動き、表情......オレ!でしたね。因みにそのサクロモンテのおばさん達もだんだん減って来てしまいました。もうマヌエルが今回見せてくれたようなアイレをもったおばさんは殆んど現存していません。だから、トラスミン、意義ありました。楽しめました!
(続く)
フラメンコ舞踊家。スペインに暮らしながら、現地での舞台活動を重ねてきた貴重な存在。81年渡西。83年、セビージャでセビジャーナスコンクールに入賞し話題を撒く。翌年、グラナダを代表する踊り手マリキージャのアカデミーに招かれてセビジャーナスのクラスを開講。以来グラナダに住み、フェスティバルやタブラオ、ペーニャ等に出演。リサイタルも度々開催している。98年にはスタジオ「ラ・カチューチャ」を開設した。一方日本では、ペヌルティモ・コンサートシリーズ、「きもったま鍋」シリーズなどを上演。フラメンコ舞踊独特のペソ(重さ)とコラヘ(怒り、内に秘めた激情)、そして粋なグラシア(愛嬌)に溢れたバイレは高い評価と人気を得ている。現在は日本でも常設クラスを開講し、日西を行き来しながら精力的に活動を続けている。