高橋英子のスペイン、グラナダ、きもったま

Vuelta a Japón やっと帰国、スペインでコロナ危機に遭遇の巻⑤


rondres.jpg最初にご報告です! 1ヶ月半の予定が6ヶ月となってしまった今回のスペイン滞在でしたが、忍の一字で切り詰めたスペインコロナ生活もお陰様でやっと終わらせることができ、先週無事帰国いたしました。心配しながら待っていてくれた姉達にも報告しました。母の祥月命日にギリギリ間に合いました。そしてお彼岸となり、今日は父の祥月命日です。昨日お墓で亡き両親にも報告してきました。これで一安心です。
皆さまにはご心配をおかけしましたが、やっとコロナには感染せず日本に戻れてよかったです。励ましのお言葉をいただいた方々、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
感染しないで済んだのかどうかは実際わかりませんが、感染の症状などは出ませんでしたし、帰国にあたってはハイヤーを手配しましたし、長旅も自己衛生管理などに気を付けました。大丈夫です。しっかり不要不急の用事以外は自宅でおとなしくしています。お墓には公共機関を利用できないので自転車で行ってきました。いままでスペインコロナ衛生危機の経過や、グラナダフラメンコ、その中での私のこと等お伝えしてきました。今回は、いよいよスペインを後にすることになった私のドタバタ劇、たいへんでした!


sanfuan.jpg先ずスペインの状況はどうなっているのでしょうか。「新たな日常」になってからの罰則付きマスク義務化で暑い夏の最中もしっかり着用、一時は反対運動なども沸き起こりましたが、街に出れば全ての人がマスクでその光景は定着しました。前回第2波を恐れながらの様子をお知らせしましたが、その後収まることなくじわじわとあちこちのクラスター発生は続き、感染者が増えだして状況は後戻り、アンダルシアも増えてきています。以前のような制限をかける地方が出てきて、つい先日マドリッドでは大々的に規制発令となりました。きっとこんな調子でこれからしばらくは規制をかけたりしながらの闘いが続くのでしょう。どこもそうでしょうが検査をすればするほど感染者が増えます。でも入院してもUCI集中治療室に入るほどではなかったり、犠牲になる人の数は増えていてもまだ少ないです。

8月の中旬ごろから新たな心配事が出てきました。9月は長い夏休みを終えて子供たちの学校が再開しますが、これをブエルタ・アル・コレVuelta al Cole(直訳:学校に戻る)といいます。今年はコロナ影響で親達は衛生準備などでとても緊張、通学するのかオンライン授業も併行するのかなどはっきり決まっていませんでした。実際問題、学校に通うのは感染が心配です。これからまた感染者など増えていくことを皆が懸念しています。

triunfo.jpg学校に限らず夏のバケーションで7月、8月はお休みするところが多いです。でも今年は、ただのバケーションでお休みなのか、コロナ危機で営業できず閉まっているのかわからない...とにかくこの夏の商店街は閑散としたもの、色とりどりのマスクを陳列したお店屋さんがいやに目立ちます。撤去したお店も多い、全体の半分ぐらいはやっていませんでした。コロナ禍の傷跡は深く、スペインは深刻な経済危機に見舞われているのがそんな街の様子を見るだけでもわかります。勿論あらゆる問題で、山と居ると言われている政治家の皆さんはいつでも論議をかわしサンチェス政権を批判しています。でもどこが政権とっても今の状況ってそう簡単に解決できないかもしれないなどと思ってしまいます。EUの援助も満足できる結果じゃないと思うし、失業者が増え、低所得者への援助金などの支払いも遅れている、審査が厳しくてもらえない人もいる...、問題は山積するばかりです。
人々はこの状況に耐えています。繁華街の開いているバルは時間制限で減収でしょうがけっこう賑わってはいますし、若者の集まり野外夜飲み会なども増えているのは問題ですが、こんな普段の明るさを失わずに会話を楽しんでいる光景はまた消えていくのでしょうか。結局知り合いの小さなバルも閉めたままです。友人のタブラオは客が5,6人でもなんとか家族で営業しています。外から観光客が来なくて深刻極まりない観光国スペインの経済は大丈夫?...これから来年にかけて状況は少し回復していくとでもいうのでしょうか、まだまだコロナとの付き合いが続く中、感染者増大報道で国民は動揺している、限りない不安でいっぱいになる...

salobrena (2).jpgでも8月も半ばを過ぎてからは私も帰国準備で本当に忙しくなり、ニュースもゆっくり見ていられなくなりました。また、いざ退散となるとせっかく大変な思いしてスペインにいるのだからと、状況次第でまたいつ来られるかわからないし、やれることはやっておきたい、別れを惜しむ気持ち、あれこれ雑念が出てきました。
考えてみれば「新たな日常」になって、1ヶ月ぐらいは報道も国民元気づけになってきてなんとなく心に余裕がもてる感じでした。私は待っていましたと、直ぐに本来の目的のために動いて8月の初めにはそれも達成、あとは時間の余裕次第でスペインの荷物整理の続きなどをして帰国できる状態になったのはよかったのですが、精神的に落ち着かない中であれこれ大変で長い巣ごもり生活で...、なんだか少し発散したいのに、あまり楽しめない、フラメンコも満足にできない状況だったわけです。欲求不満にもなりますが、こんなことになってしまったのも私のエゴで、自業自得なのです。日本では家族が心配して私の無事帰国を待っているのにスペインと別れを惜しみたいなんて不届きですよね。自分が嫌になりました。
でもそういう気持ちになるのも仕方ないかな、あまり自分を責めても病気になるだけかもしれません。今のスペイン、世界の状況みていても何よりも肝心なことは自国に早く帰ってそれなりの対策練って、そしてなんとか仕事することです。実際これ以上の経済的余裕もないのですし、振り返れば今回のスペインコロナ生活ではいい思い出もあったし、なんだかんだ言っても「私のスペイン生活」の続きができたわけですから...。

salo.png結局のところ、帰国を急き立てられる思いでの帰国準備の中で、なんとかやっと最後の週に海岸地方に住む友人家族に会いに行って海を見てきました。あとサクロモンテのお世話になっている人に会いに行ったかな、今回何故か行ってなかったアルバイシンのお馴染みバルに遅ればせながらちょっとだけ寄りましたっけ...、バタバタとそれくらいです。
前回のブログでもお伝えしたMilnof1922フラメンコフェスティバルの初日と帰る日が重なってしまったのはカチンときましたが、全て諦め、ゆっくり別れを惜しむのは次回までお預けです。いつものグラナダの海ですが、行っただけでも気分がスッキリしました。よかったです。


estacion.png航空券の手配は想像以上に時間がかかりました。心配性な私ですが、今回はかなり慎重になりました。航空便がなかなか決められず、予約は1週間前にしたものの実際航空券を買ったのは出発の3日前、とにかく心配、不安その他で悩みに悩み、あげくの果てにあらゆる情報がごちゃごちゃになり頭が爆発しそうになりました。どこの航空会社も飛行機は減便で少ないですが8月ぐらいから運転再開する航空会社もでてきました。でも、スムーズに行きそうな航空会社や便を探すのが大変でした。
また、スペイン感染者増大でスペインは危険国になってしまい、スペインからの帰国者隔離などのおふれを出した国もあるくらいで、各国の衛生管理が厳しくなっていました。今回は旅行エージェントもあまり頼りにならなかったので航空会社から直でチケット購入したので余計大変でした。あちこち問い合わせるのに手間取りました。電話代もやたら高くつくことが多いので注意、ナビダイヤルでない番号探したり...。おまけにこんな時に限って携帯が2回も故障状態になってしまって参りました。
航空会社も、空港も、大使館も管轄外のことは情報を与えてくれないのです。「どこどこに問い合わせてください」となります。「実際は何が起こるかわからないのが今の状況だ」とか言われてしまいます。飛行機乗り継ぎ国の大使館にまでメールで問い合わせたりしました。ヨーロッパの国では何か書類を提示したり提出したりというケースが多いのです。自国に帰るために航空機「乗り継ぎ」で何時間か待ち時間があるだけでも中東の国では48時間前のPCR検査の結果証明書が必要だったり、英国では入国と同じ手続きをしなければならなかったりとあれこれあるわけです。

もし何かあって面倒なことになったら困ってしまいます。出発までにできる限りの準備はしましたからあとは運を天に任す気持ちで出発しました。 ところがです。
規制が緩くなっているのか何なのか、出発空港も乗り継ぎ空港でも全てほぼスムーズに行き、そんなに心配すること全然なかったのですよ~、気が付いたら手間取った事前手続きの証明書も必要なかったというのがかなりガチンと来ました。拍子抜けです。なんなんでしょう、これって! 人騒がせ、でもまぁいいです。
空港はどこもガラガラでした。今回は安心感が持てるということで久しぶりに日本の航空会社を選びしましたが、搭乗が開始されたらどこからともなく日本人がいっぱい現れてビックリです。えっ、こんなに帰る人いるの? みんな何してたの? 私のようにコロナ危機で帰れなくなった人たちなの?

haneda.JPG羽田に着いて検疫も無事通過、お陰様でなんのことなくブエルタ・ア・ハポンVuelta a Japón できました。
結果的に慎重になり過ぎたようですけど、今回の場合はこれでいいのです。いろいろ勉強しましたし、悪天候とか、突然変更で欠航などもなく無事に帰れたのですから。
しかしこれはただの帰国でなく「帰還」と言いたいですね。今回のスペインは遭難現場や戦場みたいでした。とにかく「スペインでコロナ危機に遭遇」したという私の危機をこれで乗り越えられたということですね。
"たいへんお疲れ様でした!"


ola.jpg1ヶ月半の予定が6ヶ月となってしまいましたので、夏の暑さでムシムシした親から引き継いだ我が家はホコリも溜まっていたりの悲惨な状況でしたが、なんとか雨風、地震に耐えてくれたので助かりました。私もまだちょっとぐたっとしていますけど、なんとか元気です。ありがとうございます。

パンデミックで日本社会も変わってきているようなので大変そうですが、今後のコロナ対策、そしてフラメンコ復帰。仕事の事、家の事などで課題がたくさんあります。これから本拠地の日本でしばらく取戻し、復活のための努力をしないとなりません。どなたもそれぞれの状況で闘っているのだと思います。頑張りましょう、みんなでこのコロナ危機を乗り越えましょう!

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高橋英子 プロフィール

フラメンコ舞踊家。スペインに暮らしながら、現地での舞台活動を重ねてきた貴重な存在。81年渡西。83年、セビージャでセビジャーナスコンクールに入賞し話題を撒く。翌年、グラナダを代表する踊り手マリキージャのアカデミーに招かれてセビジャーナスのクラスを開講。以来グラナダに住み、フェスティバルやタブラオ、ペーニャ等に出演。リサイタルも度々開催している。98年にはスタジオ「ラ・カチューチャ」を開設した。一方日本では、ペヌルティモ・コンサートシリーズ、「きもったま鍋」シリーズなどを上演。フラメンコ舞踊独特のペソ(重さ)とコラヘ(怒り、内に秘めた激情)、そして粋なグラシア(愛嬌)に溢れたバイレは高い評価と人気を得ている。現在は日本でも常設クラスを開講し、日西を行き来しながら精力的に活動を続けている。
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