さあ、6月のアンダルシアにタイムマシンが到着しました!
梅雨時のジメジメした暑さから一転し、大きな太陽がアンダルシアの乾いた大地を
飲み込むかのように照り付けている。かなり暑いけどスカッとしているなぁ~。
実際の旅立ちは、スペイン語を教えてくれていた友人が一緒に旅行で行きましたので、
友人のグラナダやコルドバの知り合いを訪問し、それからわたしは一人セビージャに向かいました。
そして、フラメンコの友人に紹介してもらったサンタクルス街のペンションに
先ずはしばらく留まることにしました。
今から約30年前のあの頃は、日本人の留学生は少なかったのですけれど、
短期で勉強に来たりしている方はいらっしゃって、ワイワイガヤガヤみんなで
フェスティバルを見に行ったりして楽しく過ごしました。
今はフラメンコを総合的に習える学校もありますが、昔は大きなアカデミーは殆んどなく、
だいたいが好きなアーティストに直接レッスンを受けるという勉強の仕方で皆さんやっていました。
わたしはというと、先輩の方々のお勧めの先生に習うつもりでいましたが、
行ったばっかりの夏の間は成り行きにまかせ、観る方に専念していました。
ある時、マヌエラ・カラスコに習っている方から「とってもいいから」とお誘いを受け、
他のお友達などと個人レッスンを受けるようになってしまったのです。
いきなり「フラメンコの女王」に習うなんて無謀のような気がしましたが、まだあの頃の私は
どんな素晴らしいアーティストがフラメンコ界にいるのかもよくわかっていなかったし、
ただなんか凄そう!という期待だけで、とにかく本物に近くで接するいいチャンスということで、
マヌエラの住む近郊の村までバスで通い出しました。
レッスンが始まりました。わたしは日本から持ってきた
長めの練習スカートでバタバタやっていたら、
「そのファルダは暑苦しいわね!」と言われてしまいました。
早速、次の日に安い水玉の化繊生地を買ってきて、ペンションの
おばさんのミシンを借りて、せっせと膝ぐらいまでの短い
テレテレの練習スカートを作ったのでした。そして次の日、
「そう、それなら涼しそうでいいわ!」とOKが出ました!
レッスン中のマヌエラはとにかく舞台で見るマヌエラと同じで、
気品があり、堂々としていて、ゆっくりと穏やかな口調。
とにかくとても一生懸命で、何回も踊ってくれました。
なんだか凄くラッキーな気分でレッスンが続きました。
幼いサマーラ(マヌエラの愛娘)がよくスタジオにやってきては、
ちょこちょこ走り回り、怒鳴り散らす場面もありましたよ。
わたしはアレグリアスを習ってみました。
今ではどんな踊りだったのか全然思い出せないですが、思い付くままにあれこれと、次はこれ、
次はこれっていうふうに、とにかくパソの羅列といった感じで、エスコビージャに到っては、
なんか永遠に苦手なサパテアードが続きそうだったのであります。
ちょっとこの足、大変!ということで、ペンションに帰ってきては台所のセメントのような
床の上で復習の毎日。足の苦手な私には好都合ではありましたが、台所の硬い床での練習は
さすがにちょっときつかったのであります。
エスコビージャが終わって、いよいよ楽しみにしていたブレリアになりました。
特に何ということもない振りが続いたように思います。ですが、気が付くとエエッ!
何、これ!といったあのマヌエラの雰囲気に全然合わない、滑稽な動きをしてくれたのです。
やっと出ました! 面白いパソ!わたしにピッタリのパソがあったのです。
これはヒットでした。そのパソを、その後わたしはわたし風にアレンジして
今でも思い出しては踊っているのです。
レッスンを受けることにより、普段の素朴でやさしいマヌエラと近くで接することができて
とても幸せでした。ある日、写真を見せてもらいました。整理なんかしてないらしく、
バラバラに散らばっている写真をかき集め、「好きな写真をあげるから選んで」と言うのです。
私はみんな素敵でどれにしていいか迷いましたがなんとか選びだし、
「これとこれがいいです。」って言ったら、さらっと、
「何枚もあげられないわ、私も持っていたいから。」って言われてしまいまして......。
当たり前ですよね。欲張りな自分が恥ずかしくなってしまいました。
でも、嫌な顔もせず、丁寧にサインしてプレゼントしてくださいました。
さて、マヌエラのレッスンも終わり掛けていた頃、こんなことがありました。
お土産物屋さんにフラメンコの観光絵葉書が売っています。
その中で素敵な踊り手さんを見付けまして、
ギターを抱えて椅子に座っている姿が決まっていました。
裏に「マリキージャ」と書いてある。
この人は誰なんだろう?って、気になっていました。
それで、ある日レッスンの後に隣りのバルで休んでいる
フォアキン・アマドール(マヌエラのご主人)と
お話しするチャンスがあった時に聞いたんです。
「マリキージャって知ってますか?」すると、
「エエッ!?」とクスクス笑い出して......。
日本で言うオカマのことをスペインの俗語でマリキータ
などと言いますが、どうも勘違いされてしまったよう。
わたしはきょとんとしてしまいましたが、
少しマリキージャの情報を聞き出せたという訳です。
おかしな話になってしまいましたが、少し経ってマリキージャとの出会いの時が来ました。
彼女はグラナダのサクロモンテで生まれ育ちましたが、
その当時はマラガ県トレモリーノスに住んでいて、トレモリーノスの中心街にある
タブラオ「ハレオ」のオーナー兼フィグーラ(スター)だったのです。
グラナダの近郊の村オヒハレスのフェスティバルで踊るというので、どうしても見てみたくなり、
一人はるばるグラナダまで見に行ったのです。
パンタロン姿でさっそうと登場し、曲は多分アレグリアスじゃなかったかな?
椅子に座ってタンゴを歌い、踊り、最後にはおでこにヘアバンド、
身体には大きなマントンだけを巻き付け、なんだかあの頃にしてはモダンなアイレ!
バラエティに富んだショーを見せてくれました。とにかくとっても早くて強いサパテアード!
レマーテを決めて見せる会心の笑顔がたまらないのでした。
興奮したわたしは、終わった後、聞いたのです。
「クラスやってますか?」すると、
「毎日タブラオで踊っているし、小さい子供が3人もいて時間がないわ!」
そうか~残念!いつか習いたいなぁ~そういう訳でその時は諦めました。
マリキージャとはその後、縁があり、わたしをグラナダに呼び寄せたのも彼女なのですが、
彼女にとって「ハレオ」は自慢のタブラオでした。パコ・デ・ルシアをはじめ多くの
一流アーティストが「ハレオ」を訪問したり、働いていたりしたのよと、
ニコニコしながらよく話しています。そしてマヌエラもまだ小さい頃に踊りに来て、
マニキュアを唇に塗ってしまうような場面もあったとかで、エッ、本当かしら?
マリキージャはマヌエラに衣装を2つもプレゼントしたらしいですが、
少女時代のマヌエラ、さぞかし可愛かったんでしょうね!
★マリキージャについては私のホームページでもご紹介しています。