高橋英子のスペイン、グラナダ、きもったま

セビージャの先生


セビージャでは現地に先に在住していた先輩にあれこれ教えていただきました。
今と違って、在住でフラメンコをやっている方は数えるほどしかいなかったと思いますが、
どこかトンチンカンなわたしを心配して、よく面倒みてくださる先輩がいまして感謝しています。
レッスンは、そのお世話になっていた先輩が一押しの先生、マノロ・マリンのアカデミーに、
ちょうどマヌエラ・カラスコとのレッスンがお休みになった時に通いはじめました。

マノロ・マリンはフラメンコだけでなくスペイン舞踊全般を習得している踊り手でした。
舞踊経験も豊かで、スタジオに若い時の舞踊写真が飾ってありました。
といってもあの頃のマノロは40歳後半ぐらいで、まだバリバリ踊れる歳だと思いますが、
もっぱら教授活動に力を入れているように見えました。マノロの振付やコンパス感覚の良さは
人気があり、多くの若いアーティストが彼の振付でコンクールの賞を獲得しています。
表立って活躍をするようになったのはもっと後のことでした。

普段のマノロはとても踊りの先生とは程遠いイメージ、人柄が気さくな感じ、ユーモアもあり、
楽しくレッスンできました。午後のクラスレッスンは学校帰りの若い生徒でいつもガヤガヤ、
あまり落ち着いてはレッスンできなかったけれど、午前中に週3回ぐらい受けていた
個人レッスンは、いつもたった30分だけだったのですが充実していました。
何故30分なのかって、それも先輩の勧めでしたが、土地の人にとってはそれが普通だったよう。
わたしも急いでいないので、頻繁にスタジオに通って少しずつ習っていくやり方でOKでした。
マノロ先生は、いつも舞踊靴ではなく、普通の靴らしきものを履いていたので、
サパテアードが分かりにくく、それがちょっと気になりました。でも、いつも壁に向かって
バレエのレッスンバーをつかみ、懸命にパソを考えてくださいました。懐かしいマノロの姿です。

manolomarin 1.png

わたしが習っている間にマノロを舞台で観られる機会は殆んどなかったと記憶しますが、一度、
踊りを拝見できる機会がありました。上の写真です。ホタというスペイン舞踊を踊っているので
びっくりしたのでした。そういえばいつだったか、何かの公演のフィン・デ・フィエスタに登場し、
テンポが速すぎる!と、音頭を取り直して踊ったブレリアがとっても面白くて流石なものでした。

manoloestudio.pngマノロにはソレアを習いました。また、関係ないのですが、ビゼーの
「カルメン組曲」の振付も......。でもこれはいったい何のため? 
マノロの豊かな舞踊知識やアイディアに感激し、いろいろ勉強になり、
楽しいレッスンだったけど、いったい何を考えていたんでしょうね? 
きっとわたしのことだから、セビージャでも発表会をやりたかったの
かもしれません、恥ずかしながら......でもまぁ、よくお付き合い
くださいまして、マノロ先生ありがとうございました!そういえば、
わたしの自習のためにスタジオを貸してもくださった。右の写真。
マヌエラのレッスンのために作った涼しいスカートで練習しています。

マヌエラのレッスンはお休みも多く、結局アレグリアスを習っただけで終わってしまったようです。
マヌエラの踊りって、マルカールはシンプルでエレガント、サパテアードもただ機関銃のように
ただ強いのではなく、自然な乗りがあるので見ていて燃えてきます。
そして堂々としたマルカールにそこはかとなく気品が漂います。その気品のもとは、
現在の大御所でいえばマティルデ・コラールが持っているGRACIAグラシアとか、
SALEROサレロたっぷりのセビージャならではの雰囲気です。ちょっとお澄ましした御嬢さん風の
エレガントなブラッソで、優雅に、粋に、フラメンカなアイレたっぷりの動きを見せてくれます。
わたしもあのマティルデ先生の何とも言えぬ上体やブラッソの動きに魅せられたものでした。
ブラッソだけじゃない、手先や、足先にも及ぶ神経の細やかさがみられます。

技術としてある程度習得できることも沢山あるけれど、何気なくやっているように見えて、
厭味のない、味あるアイレ、風情は技術的に習得しきれない何というか、神聖な世界のような。
それを感じられるだけで幸せだと考えたりもしてしまいます。マヌエラが褒めていたのは、
そのマティルデ先生の他、ぺパ・モンテス、アンヘリータ・バルガスなどでしたが、他のあの頃
活躍していたセビージャの踊り手さん達は、みんなそんな系統の気品を兼ね備えていました。
ただ、マヌエラやアンへリータになると、それ以外の良さが先にたってしまいます。 
あの、ちょっとマティルデ・コラールの若い時の映像を見てください。
古き良き時代の踊りって、まさにこんな雰囲気なのでしょう。いいですよ!
このビデオの一部分の流れが気に入りましたが、とても同じようにはできなかった記憶があります。



他に習った先生はラ・トナです。彼女も素晴らしい踊り手でした。彼女の踊りは先に述べた
セビージャの雰囲気とはちょっと違いました。
新宿のエル・フラメンコにも何回か出演していたのでご存知の方も多い筈です。
わたしがスペインに旅立った1981年にもエルフラに出演しました。下の写真。
いつだったか、ビエナル・デ・アルテフラメンコのヒラルディージョ(コンクール)で、ご主人の
唄い手エル・モリのセビージャのTrianaトリアーナ地区の伝統的な唄で、完璧かつ味ある演技を
見せてくださいましたが、賞が取れなかったのは納得のいかない残念なことでした。

tona3.pngトナはグラナダ出身ですが、長くバルセロナに住ん
でいて、セビージャに住むようになったのは、
結婚してからと聞きました。トナの素顔は地味で
穏やかで、とっても女らしい人。
彼女のサパテアードって凄く安定していて強く、
地についています。背が低いのにいつも低めの靴を
履いていましたっけ。
どんなパロ(曲種)も器用に踊り熟し、派手に火花を
飛ばすタイプではないけど、プーロなパロを踊ると
いぶし銀のアイレが充満していて惹き込まれます。
軽いリズミカルなタンゴを愛嬌たっぷりにも踊るし
詩の朗読なども踊りのイントロに入れてドラマチッ
クな構成の踊りもさりげなくやってしまうのは、
普段の彼女からは想像できない世界です。


わたしはアレグリアスとタンゴ・デ・マラガを習いましたが、
きちんとレマーテで決めて行く踊りに説得力があり、とても勉強になりました。

また、ホセ・ガルバンにも習いました。あの偉大なイスラエル・ガルバンのお父さんです。
ホセは小さい頃から舞踊経験が豊富で、その踊りはエネルギィッシュ、なかなかいいのです!
マノロ・マリンを東に、西にはガルバン!若手を育てた2人の功績は大きいです。

josegarban5.pngホセ先生は生徒と一緒にあちこちで活躍、よく
仕事にも連れて行ってもらい感謝しています。
他の生徒さん達とグループに入れてもらい、
老舗のタブラオにデビューさせていただいた
り、これは嬉しいことでした。習いに行って
直ぐに、どういう訳かコンクールに出るように
勧められましたが、そればっかりは自分も
まだまだでしたのでお断りしました。しかし
とても楽しく勉強させていただきました。
左の写真はポルトガルに行った時のスナップ。
仕事といっても勉強のためで、出演料なんて
なかったと思います。それらの経験もそのうち
お話ししますね。レッスンではバンベーラを
習いました。セビージャ生活で、ちょっと
雰囲気を変えたい時期に習いに行ったことも
あって、ダイナミックで力強い振付が新鮮で、
これまたとても勉強になったのでした!


今ではもうどんな振りだったのかとか細かいことはごくわずかしか覚えていないです。
そして、何を勉強したかとかは具体的に表現できませんが、上記のセビージャの先生方に
習ったことで、それが後になってから、いいアイレを吸収できていたのだなとわかりました。
何か、Poco a poco ポコ・ア・ポコ(少しづつ)ですが確実につかんでいたようです。
自然に呼吸するように勉強していく第一歩をセビージャで踏み出せて本当によかったと思います。

では次回から先生とのレッスンだけでなく、実際のスペイン留学生活ってどんなだったのか、
セビージャでの約2年間を角度を変えて振り返ってみたいと思います。


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高橋英子 プロフィール

フラメンコ舞踊家。スペインに暮らしながら、現地での舞台活動を重ねてきた貴重な存在。81年渡西。83年、セビージャでセビジャーナスコンクールに入賞し話題を撒く。翌年、グラナダを代表する踊り手マリキージャのアカデミーに招かれてセビジャーナスのクラスを開講。以来グラナダに住み、フェスティバルやタブラオ、ペーニャ等に出演。リサイタルも度々開催している。98年にはスタジオ「ラ・カチューチャ」を開設した。一方日本では、ペヌルティモ・コンサートシリーズ、「きもったま鍋」シリーズなどを上演。フラメンコ舞踊独特のペソ(重さ)とコラヘ(怒り、内に秘めた激情)、そして粋なグラシア(愛嬌)に溢れたバイレは高い評価と人気を得ている。現在は日本でも常設クラスを開講し、日西を行き来しながら精力的に活動を続けている。
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