高橋英子のスペイン、グラナダ、きもったま

会社を辞めて自由に羽ばたく! (2)


スペインに行く前のレッスンは、美穂先生に1年半ぐらい習った後、美穂先生のお勧めで、
その頃スペインから帰って来られた小島章司先生に習うようになりました。
この2人の先生にはレッスン以外にも同じ舞台に立たせていただいたり、
スペインでのお話を伺える機会もあって、楽しく充実した6年間を送ることができました。

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スペイン行を決意したのは、「来る時が来た」ということでしょうか。
やっぱりスペインに行かなければ話にならない、旅行じゃダメだ!
本場の様子をもっと探って、根本から勉強しなくっちゃダメだ!
などと思い始めてしまい、その想いから逃れられなくなってしまったのです。
会社に務めながら趣味でやって行く方がいいのでは......とズーっと悩んでいましたから、
わたしにとってはまさに一大決心だったわけです。

もう安定した生活は戻ってこないけど、スペインには行かなければならない!
そう思って涙ながらに会社生活を諦めたのでした。
さすがに会社生活最後の日のお別れ会では感極まりまして、
思い出の写真には目と鼻を真っ赤にして涙潤ませる自分が写っているのです。

決心してからのわたしは、スパスパ行動できました。
スパスパって、いったい何したかって、これがまたわたしらしいことなのですが、
会社生活最後の半年で8ミリ映画を作ったのです。題して「赤いファルダ」。
ドキュメンタリーが好きだった私が、とうとう自分で作ってしまったドキュメンタリーです。
「赤いファルダ」は、スペインへ行く前のフラメンコ一途の生活や楽しい日々を追ったもので、
20代後半の初々しい自分を振り返ることができるのです。
8ミリ映画の最後には赤地に白の水玉の衣装でアレグリアスを踊っているのです!
懐かし~い!わたしにもこんな時代があったのかっていう感じです。

この8ミリ映画は念入りにシナリオを作って色んなシーンを撮影しました。
でもある日、監督さんがニヤニヤしながら、どうもロマンスがないと面白くないって言うんです。
それで、レコード屋さんで知り合ったところの、フラメンコが昔好きだったという私と同年代の
ステキな感じの友人がいたので、ちょっとお願いしまして、写真で出演してもらったんです。
すいません!別になんのロマンスもなかったんです......でも、
フラメンコに夢中なわたしに貴重なレコード貸してくれたり、
色々フラメンコのお話ししてくれまして、とっても嬉しかった思い出があります。
しかしあの方は今どこでどうしているんでしょう?
考えてみれば、どこにいるのか分からなくなってしまっている思い出の人って沢山いますよね。

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話がそれましたが、とにかくこの8ミリ映画製作では、
色々な方に協力していただき、そして、
ご迷惑もおかけしてしまいました。
全く今考えると恥かしい話ですが、その時はもう、
とにかく一生懸命だったのです。
何か決まりを付けたかったのだと思いますが、
若気の至りということでしょうか。


スペイン出発前には、日本としばらくお別れということで記念ライブをやりまして、
その時この8ミリ映画を上映したのです。このライブのタイトルは「スペイン行の片道切符」。
でももう帰って来ないつもりではありませんでしたが、いつ帰ろうとか、
将来の計画とかを立てていた訳でもなく、ただただもう「行くんだ!」という気持ちと、
自分の人生の転換をするだけで大変で、他のことを考えている余裕はありませんでした。

むしむしする梅雨時の、小さな六本木自由劇場の舞台にベニヤ板を敷いて、
開場直前にできあがって来た8ミリをなんとか上映し、そして最後の舞を......。
今振り返るととっても、とってもほんわかしたライブでした。
終わって挨拶しようとしたら、感激で胸が詰まり、目が熱くなってきて、言葉にならず......。

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目を真っ赤にして泣いていたわたしって、
会社生活最後の日のお別れ会で感極まったり、
出発前のこのライブの挨拶の時に、
目が熱くなり、
溢れ出る涙を堪えきれなくなってしまっていた
自分の姿だったんです。
決して悲しくて泣いていたわけじゃありません。
感動の涙です。皆さんが
「頑張れ!」って応援してくださってくれて、
有り難くって嬉しくて凄く、凄~く
幸せな自分がそこにはありました。


そうして、1週間後に、髪の毛をバサッと切って、
全ての期待と全ての不安とを胸に、
成田からスペインへ出発したのでした。


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高橋英子 プロフィール

フラメンコ舞踊家。スペインに暮らしながら、現地での舞台活動を重ねてきた貴重な存在。81年渡西。83年、セビージャでセビジャーナスコンクールに入賞し話題を撒く。翌年、グラナダを代表する踊り手マリキージャのアカデミーに招かれてセビジャーナスのクラスを開講。以来グラナダに住み、フェスティバルやタブラオ、ペーニャ等に出演。リサイタルも度々開催している。98年にはスタジオ「ラ・カチューチャ」を開設した。一方日本では、ペヌルティモ・コンサートシリーズ、「きもったま鍋」シリーズなどを上演。フラメンコ舞踊独特のペソ(重さ)とコラヘ(怒り、内に秘めた激情)、そして粋なグラシア(愛嬌)に溢れたバイレは高い評価と人気を得ている。現在は日本でも常設クラスを開講し、日西を行き来しながら精力的に活動を続けている。
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