最初にご報告です! 1ヶ月半の予定が6ヶ月となってしまった今回のスペイン滞在でしたが、忍の一字で切り詰めたスペインコロナ生活もお陰様でやっと終わらせることができ、先週無事帰国いたしました。心配しながら待っていてくれた姉達にも報告しました。母の祥月命日にギリギリ間に合いました。そしてお彼岸となり、今日は父の祥月命日です。昨日お墓で亡き両親にも報告してきました。これで一安心です。
皆さまにはご心配をおかけしましたが、やっとコロナには感染せず日本に戻れてよかったです。励ましのお言葉をいただいた方々、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
感染しないで済んだのかどうかは実際わかりませんが、感染の症状などは出ませんでしたし、帰国にあたってはハイヤーを手配しましたし、長旅も自己衛生管理などに気を付けました。大丈夫です。しっかり不要不急の用事以外は自宅でおとなしくしています。お墓には公共機関を利用できないので自転車で行ってきました。いままでスペインコロナ衛生危機の経過や、グラナダフラメンコ、その中での私のこと等お伝えしてきました。今回は、いよいよスペインを後にすることになった私のドタバタ劇、たいへんでした!
先ずスペインの状況はどうなっているのでしょうか。「新たな日常」になってからの罰則付きマスク義務化で暑い夏の最中もしっかり着用、一時は反対運動なども沸き起こりましたが、街に出れば全ての人がマスクでその光景は定着しました。前回第2波を恐れながらの様子をお知らせしましたが、その後収まることなくじわじわとあちこちのクラスター発生は続き、感染者が増えだして状況は後戻り、アンダルシアも増えてきています。以前のような制限をかける地方が出てきて、つい先日マドリッドでは大々的に規制発令となりました。きっとこんな調子でこれからしばらくは規制をかけたりしながらの闘いが続くのでしょう。どこもそうでしょうが検査をすればするほど感染者が増えます。でも入院してもUCI集中治療室に入るほどではなかったり、犠牲になる人の数は増えていてもまだ少ないです。
8月の中旬ごろから新たな心配事が出てきました。9月は長い夏休みを終えて子供たちの学校が再開しますが、これをブエルタ・アル・コレVuelta al Cole(直訳:学校に戻る)といいます。今年はコロナ影響で親達は衛生準備などでとても緊張、通学するのかオンライン授業も併行するのかなどはっきり決まっていませんでした。実際問題、学校に通うのは感染が心配です。これからまた感染者など増えていくことを皆が懸念しています。
学校に限らず夏のバケーションで7月、8月はお休みするところが多いです。でも今年は、ただのバケーションでお休みなのか、コロナ危機で営業できず閉まっているのかわからない...とにかくこの夏の商店街は閑散としたもの、色とりどりのマスクを陳列したお店屋さんがいやに目立ちます。撤去したお店も多い、全体の半分ぐらいはやっていませんでした。コロナ禍の傷跡は深く、スペインは深刻な経済危機に見舞われているのがそんな街の様子を見るだけでもわかります。勿論あらゆる問題で、山と居ると言われている政治家の皆さんはいつでも論議をかわしサンチェス政権を批判しています。でもどこが政権とっても今の状況ってそう簡単に解決できないかもしれないなどと思ってしまいます。EUの援助も満足できる結果じゃないと思うし、失業者が増え、低所得者への援助金などの支払いも遅れている、審査が厳しくてもらえない人もいる...、問題は山積するばかりです。
人々はこの状況に耐えています。繁華街の開いているバルは時間制限で減収でしょうがけっこう賑わってはいますし、若者の集まり野外夜飲み会なども増えているのは問題ですが、こんな普段の明るさを失わずに会話を楽しんでいる光景はまた消えていくのでしょうか。結局知り合いの小さなバルも閉めたままです。友人のタブラオは客が5,6人でもなんとか家族で営業しています。外から観光客が来なくて深刻極まりない観光国スペインの経済は大丈夫?...これから来年にかけて状況は少し回復していくとでもいうのでしょうか、まだまだコロナとの付き合いが続く中、感染者増大報道で国民は動揺している、限りない不安でいっぱいになる...
でも8月も半ばを過ぎてからは私も帰国準備で本当に忙しくなり、ニュースもゆっくり見ていられなくなりました。また、いざ退散となるとせっかく大変な思いしてスペインにいるのだからと、状況次第でまたいつ来られるかわからないし、やれることはやっておきたい、別れを惜しむ気持ち、あれこれ雑念が出てきました。
考えてみれば「新たな日常」になって、1ヶ月ぐらいは報道も国民元気づけになってきてなんとなく心に余裕がもてる感じでした。私は待っていましたと、直ぐに本来の目的のために動いて8月の初めにはそれも達成、あとは時間の余裕次第でスペインの荷物整理の続きなどをして帰国できる状態になったのはよかったのですが、精神的に落ち着かない中であれこれ大変で長い巣ごもり生活で...、なんだか少し発散したいのに、あまり楽しめない、フラメンコも満足にできない状況だったわけです。欲求不満にもなりますが、こんなことになってしまったのも私のエゴで、自業自得なのです。日本では家族が心配して私の無事帰国を待っているのにスペインと別れを惜しみたいなんて不届きですよね。自分が嫌になりました。
でもそういう気持ちになるのも仕方ないかな、あまり自分を責めても病気になるだけかもしれません。今のスペイン、世界の状況みていても何よりも肝心なことは自国に早く帰ってそれなりの対策練って、そしてなんとか仕事することです。実際これ以上の経済的余裕もないのですし、振り返れば今回のスペインコロナ生活ではいい思い出もあったし、なんだかんだ言っても「私のスペイン生活」の続きができたわけですから...。
結局のところ、帰国を急き立てられる思いでの帰国準備の中で、なんとかやっと最後の週に海岸地方に住む友人家族に会いに行って海を見てきました。あとサクロモンテのお世話になっている人に会いに行ったかな、今回何故か行ってなかったアルバイシンのお馴染みバルに遅ればせながらちょっとだけ寄りましたっけ...、バタバタとそれくらいです。
前回のブログでもお伝えしたMilnof1922フラメンコフェスティバルの初日と帰る日が重なってしまったのはカチンときましたが、全て諦め、ゆっくり別れを惜しむのは次回までお預けです。いつものグラナダの海ですが、行っただけでも気分がスッキリしました。よかったです。
航空券の手配は想像以上に時間がかかりました。心配性な私ですが、今回はかなり慎重になりました。航空便がなかなか決められず、予約は1週間前にしたものの実際航空券を買ったのは出発の3日前、とにかく心配、不安その他で悩みに悩み、あげくの果てにあらゆる情報がごちゃごちゃになり頭が爆発しそうになりました。どこの航空会社も飛行機は減便で少ないですが8月ぐらいから運転再開する航空会社もでてきました。でも、スムーズに行きそうな航空会社や便を探すのが大変でした。
また、スペイン感染者増大でスペインは危険国になってしまい、スペインからの帰国者隔離などのおふれを出した国もあるくらいで、各国の衛生管理が厳しくなっていました。今回は旅行エージェントもあまり頼りにならなかったので航空会社から直でチケット購入したので余計大変でした。あちこち問い合わせるのに手間取りました。電話代もやたら高くつくことが多いので注意、ナビダイヤルでない番号探したり...。おまけにこんな時に限って携帯が2回も故障状態になってしまって参りました。
航空会社も、空港も、大使館も管轄外のことは情報を与えてくれないのです。「どこどこに問い合わせてください」となります。「実際は何が起こるかわからないのが今の状況だ」とか言われてしまいます。飛行機乗り継ぎ国の大使館にまでメールで問い合わせたりしました。ヨーロッパの国では何か書類を提示したり提出したりというケースが多いのです。自国に帰るために航空機「乗り継ぎ」で何時間か待ち時間があるだけでも中東の国では48時間前のPCR検査の結果証明書が必要だったり、英国では入国と同じ手続きをしなければならなかったりとあれこれあるわけです。
もし何かあって面倒なことになったら困ってしまいます。出発までにできる限りの準備はしましたからあとは運を天に任す気持ちで出発しました。 ところがです。
規制が緩くなっているのか何なのか、出発空港も乗り継ぎ空港でも全てほぼスムーズに行き、そんなに心配すること全然なかったのですよ~、気が付いたら手間取った事前手続きの証明書も必要なかったというのがかなりガチンと来ました。拍子抜けです。なんなんでしょう、これって! 人騒がせ、でもまぁいいです。
空港はどこもガラガラでした。今回は安心感が持てるということで久しぶりに日本の航空会社を選びしましたが、搭乗が開始されたらどこからともなく日本人がいっぱい現れてビックリです。えっ、こんなに帰る人いるの? みんな何してたの? 私のようにコロナ危機で帰れなくなった人たちなの?
羽田に着いて検疫も無事通過、お陰様でなんのことなくブエルタ・ア・ハポンVuelta a Japón できました。
結果的に慎重になり過ぎたようですけど、今回の場合はこれでいいのです。いろいろ勉強しましたし、悪天候とか、突然変更で欠航などもなく無事に帰れたのですから。
しかしこれはただの帰国でなく「帰還」と言いたいですね。今回のスペインは遭難現場や戦場みたいでした。とにかく「スペインでコロナ危機に遭遇」したという私の危機をこれで乗り越えられたということですね。
"たいへんお疲れ様でした!"
1ヶ月半の予定が6ヶ月となってしまいましたので、夏の暑さでムシムシした親から引き継いだ我が家はホコリも溜まっていたりの悲惨な状況でしたが、なんとか雨風、地震に耐えてくれたので助かりました。私もまだちょっとぐたっとしていますけど、なんとか元気です。ありがとうございます。
パンデミックで日本社会も変わってきているようなので大変そうですが、今後のコロナ対策、そしてフラメンコ復帰。仕事の事、家の事などで課題がたくさんあります。これから本拠地の日本でしばらく取戻し、復活のための努力をしないとなりません。どなたもそれぞれの状況で闘っているのだと思います。頑張りましょう、みんなでこのコロナ危機を乗り越えましょう!
今年はコロナ衛生危機に見舞われた全世界、スペインでは今、第2波との闘いが続いています。この夏のスペインフラメンコ、やっているのかどうなのかと気になる方もいらっしゃるかもしれませんが、カンテ・デ・ラス・ミーナスのフェスティバルもありましたし、セビージャのビエナールフラメンコも始まっているようです。そしてグラナダでも事態が収束し始めた6月下旬からは毎年恒例の催物が開催されています。ただし、いくつかの公演はオンライン興行に変更になったり、会場に行けても席の数に制限があったり、マスク着用義務があったりで例年と違った様相を呈しています。またコロナ影響で急遽変更や新たに開催されたコンサートなどもありました。そして状況回復の願いを込めた素晴らしい公演が多く、コロナ禍にあえぐ人たちの心を癒しています。今回はグラナダ夏の恒例フラメンコフェスティバル(6月~9月)等をいくつか観たものの感想も交えてご紹介します。
*********************************************
Festeval de Granada (グラナダ国際音楽舞踊祭)
fex (併行音楽祭) 6月下旬~7月上旬
もう69回も続いている由緒あるこの国際音楽祭は、世界各国からオーケストラ、音楽家、舞踊団などが参加する音楽舞踊全体が対象の格調高いコンサートが多い。今年、フラメンコではオンラインでギターのカニサーレス、歌のロシオ・マルケスやニーニョ・デ・エルチェ、舞踊ではバレエ・ナショナル前監督アントニオ・ナハーロ作品の公演などがありました。
併行して行われるエクステンシオン(FEX)は街の公共施設や広場、道でやったりもする入場無料の公演、第一線で活躍するアーティストの公演ではなく、参加するための公募があり、選ばれた人、団体などが参加できるようなシステムになっているという。入場無料なのは嬉しいのですが、早く行かない席がなくなるので、私も1時間前から並んで2つの公演を見てきました。
●LaboratoriA Flamenco - Y perdí mi centro 7/24
パラシオ・デ・キンタ・アレグレ Palacete de Quinta Alegre
ラボラトリオって最近よく聞きます。アーティスト以外のフラメンコセミプロやアフィシオナード等も参加して実験的な試みをする催し物なのでしょうか?フラッシュモブ的に街中で突然やったりするものもあるようですが、今回のグラナダフェスティバルに参加したラボラトリア・フラメンコというチームの作品は1時間半ぐらいの娯楽フラメンコといった感じで生活の中の存在するフラメンコな場面、考え方、表現などをフラメンコの音楽舞踊で振り付け舞台化したものでした。フラメンコのプーロな名詞を現代風突飛な振付で始まり興味をそそりますが、その後も数々の意表をつく面白いアイディア、ユーモアがいっぱいでよくまとめてあると感心しました。例えばフラメンコの歌を逆さになった体で歌ったりというサーカス的なシーンなどもありました。バルセローナからやってきた4人の女性が歌ったり、ギター弾いたり踊ったり、例えばラ・カーニャ等のパロも入れ込んでいました。一般的な意味でフラメンコ性は薄いですが、それなりにフラメンコの多様性を生かして豊かな感性を感じさせる作品で、衣装は作業着みたいなものを着用、一風変わった趣でそれなりに楽しめました。
●Raúl Alcover: La voz de Federico - 7/26
パラシオ・デ・キンタ・アレグレ Palacete de Quinta Alegre
ラウル・アルコベルはグラナダのシンガーソングライターです。フラメンコアーティストとも親交があって、90年代のザンブラ復興活動でも活躍、一役買いました。その作品にも素敵なヒット曲があります。今回はロルカの作品群を自分風にまとめて作品を上演し、ラウルの率いる音楽隊がそれぞれの楽器、ピアノ、ギター、フルート、パーカッション、カスタネット...etcで盛り上げ、観客と一体となったFEXの最終日のグランイベントになりました。
Festival de la Guitarra(7/27~8/7)
このフェスティバルはまだ新しく、今年で4回目です。ギターが主ですが関連した音楽が楽しめます。今年はマノロ・サンルーカルに捧げるフェスとなりました。初日のクラシックスペイン音楽ギターの名ギタリスト、ぺぺ・ロメ-ロのコンサートから始まって、最終日のファドなどを歌うDulce Pontes以外の公演は全て入場無料、場所もアルハンブラ宮殿の中庭、カルロスⅤ、カテドラル前広場、支役所中庭...など厳かで落ち着くスペースで嬉しいことです。
フラメンコではカンテ・デ・ラス・ミーナスで昨年ギター(ボルドン・ミネーロ)賞に輝いたホセ・フェルミン・フェルナンデスや、同じくすでにボルドン・ミネーロ賞獲得者のフォアン・アビチュエラ・ニエト(写真)などのコンサートがありました。フォアンの赤いギター目立ちますね~。踊り手はサライ・フェルナンデス「ラ・ピティータ」、彼女はイバン・バルガスと11月にガルロチ出演が決まっていましたが、ガルロチ閉店で残念ながら中止になりました。これまたピカっと光る踊り手さんです。いつか日本行きが決まるといいですね。
Lorca y Granada ロルカとグラナダ(7月下旬~8月下旬)
フェデリコ・ガルシア・ロルカはグラナダが誇る芸術家、毎年8月の1ヵ月間アルハンブラのヘネラリッフェ公園内の野外劇場で行われる。いつもは1つの選ばれたロルカ関係の作品が毎日上演されますが、コロナ影響で今年は4つの公演が急遽上演されました。
●エストレージャ・モレンテの「Tesela」
●マヌエル・リニャンの「VIVA!」
●カルメン・リナーレス、アルカンヘル、マリーナ・エレディアの「Tempo de luz」
●エバ・ジェルバブエナの「Carne y hueso」
この中で「これは見逃せない!」と勇んで見てきたのがマヌエル・リニャンや日本でも人気のマヌエル・べタンソ、ミゲルアンヘルの出演する下記の作品です。
¡VIVA! ビバ!とってもいい公演です。とにかく歌もいいですのでフラメンコをいろんな角度から楽しめます。ホモセクシャルの男性ダンサー達の意欲的な公演なのでパワーが半端でないのです。あっという間の2時間でした。ちょっと長いといえば長く、もう少し短くすることは可能なのですが、出演者それぞれのアイレをたっぷり吸収できるので得した気分、今のままでもいいと思いました。
夢の世界から現実へ、異をつく感動的な終盤の構成はちょっとドギツイともいえるでしょうか、私は目が潤んでしまったけれどマヌエル・リニャンの挑戦的な試みにオレ!です。来年4月の日本公演が決まっているそうです。実現すればいいですね!
La Caña Flamenca カーニャ・フラメンカ
この催しものはグラナダの海岸の村Almuñécar アルムネェーカルで開催されます。今年は5つのコンサートがありまして、人気アーティストが参加。トマティート(7/18)、ディエゴ・カラスコ(8/8)、グラナダからはエストレージャ・モレンテ(8/16)、マリーナ・エレディア親子、クーロ・アルバイシン(8/28)など。
昼間は海水浴、夜はコンサートで楽しむ。車があれば日帰りでもグラナダから行けますよ!
LIVE 360° ライブ360°7月~9月
地方のコンサートなどを主催しているディプタシオン・デ・グラナダDiputación de Granadaでは、今年はちょっとモダンなタイトルでパンデミックでの景気喪失を取り戻そうという試みで、7月、8月に90種類のコンサートをグラナダの各村々で行っています。その催し物は実に沢山、音楽芸術関係全般でどんな人でも楽しめます。ジャズ、フラメンコ、シンガーソングライターの歌、伝統的音楽、ロック、フォーク、世界の音楽、クラシック、演劇、人形劇、舞踊、サーカス、マジック、ユーモア、映画...etc 村々の住民向け夏祭りといった感じで、気軽に見に行けるのがいいですね。
Festival de Cante Flamenco de Ogíjares
フェスティバル・カンテフラメンコ・デ・オヒハレス 9月4,5日
これはペーニャ・フラメンカが主催する恒例のカンテ・フェスティバルです。グラナダ近郊の村、オヒハレス Ogíjaresのカンテ・フェスティバルは、長い歴史があり例年大物アーティストが出演、ハレオが飛び交って盛り上がり、かなり大規模です。今年はソーシャルディスタンスを考えて前代未聞の2日公演となりました。チケット数も例年の半分に減らしています。
残念なのはアーティストが分かれてしまうこと、2日間車で見に行くのもしんどい、チケット代も高くつく...などはありますが、ポスターを見てみるとやっぱり2日見に行きたくなりますね。やっぱり中止せずに何とか続けたいという主催者側の努力にオレ!、応援しなくちゃいけないです。
その他の催し物など
愛好家の集まるペーニャフラメンカはささやかに可能な限りのコンサートをやったところもありました。プラテリアでは7月の毎週金曜日に野外テラサでカンテコンサートをやっていました。これは会員のためです。春のコンサートは全て中止になったので急遽決まったようです。写真はグラナダの中堅といってもなかなかいい味を持っているプーロなカンタオール、フォアン・アンヘル・ティラードと名ギタリスト、ルイス・マリアーノです。
市内の各地区でも夏祭りフィエスタなど例年はありますが今年は中止が多いです。また、8月18日はフェデリコ・ガルシア・ロルカの命日、Visnalビスナルでは慰霊祭などあったりします。自主的なロルカファンで例年集まるフィエスタなどは中止になりましたが、ビスナルVisnal主催でカンテフェスティバルがであり、ランカピーノ・チコとホセ・フェルミン・フェルナンデスのコンサートがささやかに行われました。
Milnoff 1922 - Granada Siente Flamenco ミルノフ1922
9月13~17日
グラナダはフラメンコを感じる(直訳)。これはアビチュエラ一族のカンタオール、ペペ・ルイス・カルモナが先頭に立って企画されました。1922年のコンクルソ・デ・カンテホンドを振り返り意識を高める目的で6月に開催される予定でしたが、コロナ影響で9月に変更になりました。グラナダ市主催で、日程変更後はパンデミックの影響下であえぐフラメンコ復旧の意図もあり、9月はグラナダフラメンコ花盛りです。出演はグラナダの中堅アーティストが中心、グラナダ音楽祭FEXのように街中でやるものがほとんどで入場無料ですが、でももうINVITACION(チケットの代わりに主催者が配る)は無くなりました。入場制限などもあるのですが何千枚かが配り始めて4時間で無くなったそうです。でも公園や寺院前広場などで昼間からやるものも多く、INVITACIONがなくても近くに行けば見られる、聞けるとは思います。椅子に座れないだけです。来年も続けられればいいですね。
*********************************************
ざっとこの夏のグラナダフラメンコ状況をまとめました。スペインからフラメンコが無くなることはありません。こうしてみるとどのフェスティバルもなんとか続けています。ただ、恒例の大きなフェスティバルはまだ予算があるでしょうし、夏は屋外で行われるので少し救われます。ですがこれから秋に向けて、ただでもコロナ影響で外国観光客がいないので、フラメンコを近くで見ることができるタブラオや、ライブスペースなど室内で行われる小さな興行の問題が深刻化しています。多くの中堅アーティストに仕事がありません。でもこればっかりはしばらくの間、我慢するしかないということになってしまう、寂しい限りです。また日本の皆さんも行きたくてもスペインにはなかなか行けない状況で残念なことですが、来年の夏、または2年後とかにはこれらのフェスティバルを観に行く計画が立てられるように状況が回復することを祈っています。
引き続き第2波に脅威を感じている毎日です。7月になってますます暑くなり、みんなが海に行ったり、涼しくなる夜間に外出し...、特にディスコのように踊って発散できるところなどが賑わっています。街中ではみんな健気にマスクをかけていますが、先週より多くのクラスター(BROTEブロテ)がスペインの各地で発生しています。みんな解放感を求めているのでこういうことになるのは予想できることでした...ちょっと心配です。もっと自粛して欲しいですが、あの警戒事態の後のこの暑さです..。感染がこのまま増えるとヨーロッパ諸国もスペインへの観光自粛とか、スペインからの帰国者を隔離したりの処置をするようになるのですね、イギリスが突然予告なく隔離を決定したので帰国者が困っているなどと今日のニュースで伝えていました。またスペイン側は沢山消費してくれるイギリス人のバケーション客が減ってしまうと嘆いています。
すいません、伝えたいと思うと切りがない状況です。第2の故郷スペインでコロナ危機に遭遇してすっかり予定が狂ってしまった私ですが、突然一部を除く社会生活を中断し、ただひたすら人命救助、保護に明け暮れ、コロナと闘うという国全体の緊急警戒事態を経験して、スペインという国を見直すことになりました。今のスペインの抱える問題がいろいろ見えてきて、もっと調べてみたくなりました。コロナ禍が心配なスペインですが、でもちょっとここで頭を日本に切り替えて行かないとなりません。
警戒事態法令が解かれてから今回の目的達成に向かってかなり前進することができました。お陰様で帰国の見通しも立てられるようになりました。とはいえ、第2波が襲ってきているヨーロッパで飛行機探すのも一苦労、移動中も警戒、日本に帰ったら隔離、ああ~~、まだ安心できません。1~2ヶ月の予定がもう4ヶ月半経ってしまったので、日本のことも心配です。そして、帰っても日本社会の「新たな現実」が待っているので厳しいです。今はとにかく、日本に帰れる日までの間にスペインも日本も事態が悪化しないことだけを祈って帰る準備を進めています。
過去3回に渡って私の目で見たコロナ衛生危機と闘うスペインの様子を、おおまかですがお伝えしてきました。皆さんここまで読んでいただきありがとうございます。こちらはグラナダ国際音楽祭がやっと終了したところですが、夏のグラナダ恒例フェスティバルなどもこれから開催されます。次回はフラメンコのことをまとめてお便りできたらと思います。
ここで個人的なことですが、ちょっと聞いてくださいませ。
こちらの警戒事態が解けた6/21にスペイン生活39年の記念日を迎えました。ということは来年までの1年間は40周年ということではないですか?来年は丸40年になるということです。あまりの長さに圧倒されますが、それだけです。記念公演→とても無理、自分としては考えさせられることではあります。でも今は日本で片づけないとならない問題が山積していますし、コロナ禍などによる「新たな現実」の中でしばらく闘っていかなければなりません。強くならないとダメです。このブログ①の「Resistiré」です。よってネガティブにはならず、ポシティブに行きたいです。あまりこだわらずに健康維持に努めて片付けして...、でもちょっとだけ急いで行きたいです。フラメンコに関しては明るい胸騒ぎもします。これからも私のフラメンコをお届けしたいです。よろしくお願いいたします。
しかし本当にしばらく踊っていないと体がムズムズしてきますね。外出禁止中はストレッチやったり、軽い筋トレしたりして体を動かすようにはしていましたが、部屋でバタバタできないので踊ってないですが、ある時、突然ブレリアのパタイータ(ひと振り)が出たりして、一時的ですがとても爽やかな気分、一人でオレ!と盛り上がったり。
そんなある日、もう2ヵ月以上前ですが友人で舞踊団を率いて頑張っている岡本倫子さんから連絡がありまして未来につなげるバトンリレーのバトンを受け取りました。そのバトンリレーとは今年設立30周年を迎えた日本フラメンコ協会(ANIF)のプロジェクトPUENTE de SEVILLANAS「セビジャーナスつなぎ」のことです。
ANIFでは4月にPUENTE de SEVILLANASイベントを企画していましたが、コロナ影響で中止せざるを得なくなったのはとても残念でした。でも代わりのこんな素敵な企画ができたことを知り、ANIFの熱意に感服しています。個人的にはこの企画に参加したことで、厳しいスペインの警戒事態時でも一時的に自分を取り戻すことができて感謝しています。素敵な企画をありがとうございます。2020人の参加を目指して今も進行中です。
ちょっとあれこれ動いていたら、誰でも気軽に踊れるセビジャーナスの振りが湧いてきまして携帯でビデオに撮り、ちょっと簡単な編集をしたりして久しぶりにYouTubeにアップしました。セビジャーナスって、うまく踊るのは意外と難しいのでちょっと遊んでみました。説明を加えるともっと皆んなに楽しく踊ってもらえそうなので、これを機会にビデオ講座でも...等と考えたりしているんですよ。
このビデオは、ややメルヘンチックな仕上がりで、とても年金生活者には見えないかもしれません、苦笑いです。上手く踊れているわけでもないですが、狭い場所での全体構図が気に入っています。スペインコロナ危機での産物です。「Adiós Primavera Triste悲しかった春よ、さようなら」...、ちょっと元気をいただきました。
やっぱり踊っていないといけません。長年踊ってきたわけですから...。
●セビジャーナスのYouTube映像はこちら
じっと家に籠ってテレビやネットにくぎ付けの3ヶ月半が過ぎ、やっと事態が一段落しました。もうすっかり夏です。私はちょっと疲れが出てきた感もありますが、「やらなければ!」と元気を絞り出し、今はこの春出来なかったことを順に片づけている毎日です。ただ、全くこの悪夢のような春を乗り切れたとはいえ、まだ予断を許さない状況は続いています。しばらく見過ごしたりしていたニュースも、このところまた見るようになりました。毎日の新しい感染者に関する報道が気になります。
スペインはEstado de Alarma「警戒事態」という法令が6/21に解けてNueva Normalidad「新たな日常」になりました。もともと感染者などが少ないガリシア州、カナリア諸島のように、6/21以前に新たな日常に入った州もあります。アンダルシア州とその他の、規制緩和の最終段階フェーズ③になって規定の2週間を予定通り終えた州と違って、マドリッドとバスク、カンタブリア、カタルーニャの3州はまだフェーズ②のままでした。ですからフェーズ③になっていないので「新たな日常」になるのが遅れるのかなと思っていたらそうではなく、スペイン全体が21日から「新たな日常」になりました。フェーズ③になっていなかった3州はいったいどうなるのかと思っていたら、先ず、マドリッド以外の州は「新たな日常」になる直前18日にフェーズ③になり、アンダルシアとその他の州と足並み揃えて「新たな日常」にはいり、フェーズ③をだいぶ端折って終わらせているようにみえます。とにかく犠牲者の多かったマドリッドは規制緩和の一環ではなく「新たな日常」の一環として2段階の規制緩和を設けたということです。「新たな日常」では今後の様子を見ながらの各自治体管理体制に入りました。
ここはアンダルシア州、なにはともあれやっとたどり着いた「新たな日常」になって1ヵ月になります。新型コロナウイルスと共存し、第2波感染を防ぐため慎重な構えで普段の生活を再開し、経済を回復していくという「新たな日常」ですけど、このアンダルシア州では独自の緊急体制レベルがあってそのレベル②というのになると聞きました。そしてスペイン政府の名付けた「新たな日常」とは言わずNueva Realidad「新たな現実」なのだと説明していました。そしてあらゆる分野で400ぐらいの細かい規律が定められていてとてもややこしいですが、この体制を来年春まで続けていくらしいです。きっとコロナ第2波様子を見ながらそれなりの対策をとっていくのでしょう。
それで人々の様子はどうかといいますと、長かった警戒事態から逃れられた解放感が先に立ってか、慎重さが欠けてしまう傾向があるようです。ちょっと要注意です。第一に衛生管理でありますが、いつの時代にもそれらは守られる傾向の日本と違って、スペインの場合はちょっと厳しいのではないかと心配してしまいます。どこに行っても消毒剤は置いてありますし、ソーシャルディスタンスとして入場人数制限と床に距離シール等は貼ってあります。また、こちらでの挨拶はBesoべソ(キス)が主流ですが、それはできません。その代わりにCodoコド(肘)での挨拶などをしています。これもスペイン人にとっては寂しいこと、そしてとっても暑い「スペインの夏」でもあり慣れないマスク着用はかなり辛いこと、難しいです。
「新たな日常」では公道、室内などで6歳以下の子供以外はマスク着用とソーシャルディスタンス2mが義務付けられています。健康上の問題でマスクをかけられない人や、その他特別な理由でかけられない人、家族など同居者同士の会合、外食などの場合も例外です。野外のテラスなどではソーシャルディスタンスを保っていれば着用しなくていいことになっていました。
問題は、レストラン、バル(飲み屋)のカウンターなどでの飲食、立ち飲みで、マスク無しでかなり接近しておしゃべりに夢中、全然守ってないです。食べたり、飲んだりするので当然マスクを外します。でもその後そのままでいます。頑固なマスク反対派もけっこういますし、野外のテーブルでもマスクしなくてもいいので距離のことも忘れています。警戒事態の最中、制限生活で規制を守らなかった場合の罰金の徴収額は相当なものだったようです。新しい日常になってもそれなりの罰金制度が続いていますが、あまり警官を見かけませんでした。コントロールしきれないですよね、問題でした。
新たな感染者がにわかに増えています。アンダルシアでも新たな日常になってから600人ぐらいになっています。一度下がった数字がまたちょっとずつ増えています。まだ重症者や死者はあまりないようですが、3月の初めに感染者が増え始めた頃の状態になっているようで怖いです。ただ感染者数は直ぐわかる抗体検査が主のようでPCR検査もやっていますが、アンダルシアの場合は直ぐに結果がわかる抗体検査で陽性で症状がでていない人も数に入れているということです。グラナダとマラガ、そしてアルメリアなどがアンダルシアの中でも数字が多いです。先日のニュースでグラナダの海岸地域のディスコで束になって騒ぐ若者集団の姿が報道されましたが、またまたグラナダで全く恥ずかしいことです。きっとディスコは沢山の罰金を取られていますね。大騒ぎが好きな若者たちにも困ったもので、他の都市でも多発しています。気の緩みというより、症状がすぐ出るわけでも全ての人に出るわけでもないところが自分は大丈夫的に軽く考えているのではないでしょうか、ああ~~、そしてとうとう先日(15日)からアンダルシアもマスク着用の完全義務化が決定されました。
とは言ってもマスク着用は前から義務化されているのに何でまた大声で発令しなおすのかとちょっと戸惑いましたが、要するに更に厳しくして再度徹底するということなのですね。室内、室外(野外のテラスも)全ての場所で例外者以外は1,5mのソーシャルディスタンスとマスク着用が義務で、守らないと100€の罰金と厳しく明言しています。アンダルシア政府の担当幹部は同居家族などでない場合の会食会合などでは、食べたり飲んだりする以外の時間もマスク着用することを推奨すると言っています。着用しなければいけないとは言っていませんので、そこまで義務化はしてないです。だからでしょうか、やっぱり飲んだり食べたりするためにマスクを外したら、そのままの人が多いので私は心配です。少なくとも人との間隔を考えたいですが、実際問題、距離間隔を保つのは難しいです。声の小さい私にとっては接近して話せないのは辛いです。マスク掛けていると言ってることが聞こえないとか言われてしまう時があって、いつも大声でハッキリ話さないとならないのでちょっと疲れます。マスクも、できたらフィルター付きの自分から人にも、人から自分にも感染を防げるタイプのもののがいいですが、今のところ普通のマスクで間に合わせていますから心配と言えば心配です。そういえば今月末から65歳以上の人に毎月3個のマスクが配給されることになったと報道されています。せめてご老人にだけでもと、もう随分前にアンダルシア州のモレーノ知事もテレビで言っていましたがまだ実現していませんでした。私も自分の保険カードでもらえることを薬局で確認、援助金などはちょっと無理そうなのでマスク3個でももらえるっていうことは嬉しいです。
マスク義務化で、罰金制度を徹底しなければ規則を守られない実態であることは遺憾ですが、これも仕方ないかもしれません。6月下旬には北のアラゴン州で農業従事者の新たな感染者300人が出て規制緩和のフェーズ②に後戻りした例もあります。引き続きアラゴン州、ここ数日はバルセローナなどのカタルーニャ州も集団的に感染が増えだしていて後戻りしています。グラナダも最近集団的に感染が出た郊外の地域があります。全国あちこちでクラスターが発生しているのです。油断はできません。いまでもウイルスは無くなったわけじゃない、この数字がまた急激に上がっていかないように努力しなくちゃならないです。場合によっては2回目の警戒事態もありうるわけで、それは絶対に避けないとならないです。
全く考えると不安、心配は収まりません。毎日ニュースを聞いていると落ち着かないです。それにしても夏は暑いです。人々は小さなバケーションでも実現したいところですが、とにかく仕事復活がうまくいかないケースも多いのでそれどころでなく穏やかではない人たちいっぱいいるでしょう。特に観光業に携わる人たちは国境封鎖が解けてもこの夏は例年の外国人観光客は望めないでしょう、死活問題です。徐々にスペインにやってくる飛行機は増えているようですが、実際のところは私もよくわかりません。せめてスペイン国内の観光客でもと、アンダルシア州ではAndalucía Segura(安全なアンダルシア)、Destino Andalucia(アンダルシアに向かって!)、Quédate en Andalucía (アンダルシアに留まろう!)Disfruta Andalucía(アンダルシアを楽しもう!)...一時は数々の文句でこの夏は素晴らしいアンダルシアに来てくださいとテレビで盛んに宣伝していました。
友人知人でお土産品店をやっていたり、タブラオ、クエバ等のフラメンコショーを見せる商売の人がいっぱいいますが、お店は再開してもお客さんは少ないので本当に頭を抱えています。ただでも7月、8月は真夏で連日40度以上の暑さ、観光客は海岸の方に流れます。どちらかというと9月からのがフラメンコを見せるタブラオなどはシーズンになりますので本当に厳しいです。でもサクロモンテの洞窟フラメンコショーは営業再開しています。入場制限があるのでアーティストも減らすしかありませんが、出演者は頑張っています。こういう時だからこそ土地の人も「地元のフラメンコ」を見直してほしいものです。海は海で、海岸での整備補助員が増員されてそれなりの警戒態勢です。海の中に入っている時以外はマスク着用なので窮屈、のびのびできませんが、この夏は我慢するしか方法ありません。
ところで、警戒事態の間、国民へのあらゆる援助がありました。貧困者救済はこの危機で充実した結果を生み出したようです。その中の一つ、アンダルシアでも最低限必要な食料、衛生用品、生活必需品などを買うことができるタルヘタ・モネデーロTarjeta Monedero「おさいふカード」とでもいいましょうか、そういうのが与えられることになり、このカードでただで買い物できるのは嬉しいこと、コロナなどの影響で更に困っている人達、家族は申請できます。勿論使える額は決まっています。カードは実際使えたり使えないスーパーやレジなどがあって結構面倒らしいですが、そういうことは我慢するしかありませんね。これはクルス・ロハCruz Rojaが担当し運営しています。クルス・ロハCruz Roja(スペインの赤十字社)はNGO(非政府組織)に含まれ、スペインでも昔からおなじみでしたが、主に食料配給でコロナ危機では活躍しています。緊急事態時に限らず、貧困者への食料配給はいつでもあるのだと聞きました。コメドーレスComedores Sociales(写真)という場所は街でよく見かけますが食料の配給場所となっています。食料の配給ではその他フードバンクBanco de Alimento(バンコ・デ・アリメント)などが活躍していました。他にも非営利団体、民間援助団体などいろいろと地域ごとにあるということですが、そういうところで食料配給の手伝いしたりのボランティア活動をしている人達も沢山いるということです。彼らの自主的な活動には頭が下がります。
びっくりしたのは、フラメンコアーティストの関係でも積極的に困窮者等に食料等の配給をしているグループがあるというのです。マドリッドで始まり、グラナダにも広がりました。私も困っているなら対象者になれるかもしれないと優しい言葉をかけられました。皆が団結して繋がって助け合う、そういう暖かいシーンがあちこちでみられた今回のコロナ衛生危機です。社会で生きる私たちはいつでも、団結、連帯、相互扶助などの基本精神ソリダリダSolidalidadを忘れてはいけないと思いました。
コロナ衛生危機は今も世界で続いています。多くの犠牲者を出し、多くの人々に影響を及ぼしたパンデミック、スペインよりもっと悲惨な状況になってしまっている国もあって心が痛みます。普通の生活に戻ろうとすると第2波、第3波がやってくる。日常の衛生対策や密集を避けることなどをしっかりとっている限りはウイルスに一時の猛威を振るわれなくて済むと思いますが、ウイルスとの共存社会はこれからいつまで続くのかわからない。その中で生きていくことを余儀なくされてしまった私たち、新たな現実社会と果敢に闘っていくことが要求されるのですね。負けずに頑張るしかありませんが、早くワクチンができて欲しいものです。
●今回は2回に分けてお伝えすることにしました。後半はタイトルを変えて近日アップしなおします。「スペインでコロナ危機に遭遇の巻④」お楽しみに!
このところ街の景色が変わりました。いままでは人の気配がなかった街も、5月になると約2ヶ月半振りに商店などが営業を再開できるようになり人々が中心街に繰り出し始めました。前と違うのはみんながマスクをかけていること、パトロールの警官があちこちにいることでした。そして6月になり、街はコロナ感染が始まる前の姿に戻り始め、活気を帯びてきました。昼間は警官をあまり見かけなくなりましたが車で巡回しています。テラスでお茶したり、ビールを飲んだりしている人以外はほとんどの人がマスクをかけています。
前回お伝えしましたが、4月下旬から国民が年齢によって3つの時間帯を決められて散歩に出られるという「準備段階」を皮切りに、合計4つの段階(フェーズ)を経て平常な社会生活に戻すという規制緩和が始まりました。今回は、その流れを振り返ってみたいと思います。
5月は第2週から、だいたいの地域がフェーズ①になる筈でしたが、まだスペインの一部の地域はフェーズ①に進めない状態でした。アンダルシアではグラナダとマラガが取り残されました。被害者が多い2つの都市ではありますが、グラナダは数字的な問題より、衛生規則を守らない人たちが目立ちました。例えばアルバイシン地区のサン・ニコラス広場に集まった若者たちはマスクなし、友人同士がアルハンブラ宮殿を眺めながらコロナウイルスを全く無視で寄り添っておしゃべりしている...、そんな光景がニュースでも報道されてしまいました。全く恥ずかしい話です。眺められていたアルハンブラ宮殿はさぞかし嘆いていたことでしょう。こういう一部の不届きな人達のために1週間新しいフェーズに進めなかった、そんな訳で怒りの声が聞こえたりしました。
でも1週間待って第3週(5/18)からグラナダ、マラガともフェーズ①にめでたく進むことができました。お天気も前の週の曇りがちで時々雨の肌寒さから一転して青空、陽も差す暖かい春日和となりました。喫茶店やバル、レストラン、小売店などが時間や入場制限付きですが営業開始できるようになりました。とはいってもまだ全部ではありませんし、お客さんを少ししか店内に入れられないので商売にならない、まだ少し様子を見るなどでまだ開けていないところのが多かったです。全体的に用心深く、慎重に対処している感じでありました。
葉書を出しに郵便局に行きましたが少し行列がありました。銀行も行列です。2mの距離を守らないとならないので行列は長くなり、最後尾を見つけるのが大変。外出禁止中のスーパーもいつも行列でしたが、郵便局が午前中しか開いてないのに比べるとスーパーは7時ぐらいまで開いているので、昼食時間(2~4時ぐらい)に行くと行列はかなり短かったです。
5月の中旬を過ぎる頃から1日の感染者数が10人にも満たない状況になりました。グラナダとマラガは1週間遅れでフェーズ①になったとはいえ、数字的には全く問題ないので、第4週の5/25からはフェーズ②になるのがほぼ確定でしたが、結局のところフェーズ②に進めないことが決まった時はみんながっかりしました。えっ、何故? 政府は、たとえ数字的によい傾向でもとにかく専門家の意見を尊重するので、もともと決めた「1フェーズ14日間」という規定に従っていただくしかない、ということでした。これでまた不満の声がでましたが、
6月になってやっとフェーズ②に進むことができました。
街の樹木も青々と茂ってきて中心街のグランビア通りも蘇りました。病院のコロナ患者も数十人、新たな感染者なし、死亡者なし等と嬉しい状況になってきました。一時の緊急事態はやっと収束に向かっていきました。フェーズ②になって、お役所などの公共機関の一部は予約すればオフィスで手続きなどできるようになり、私も早速一つの懸案事項を終わらせることができたのは良かったです。デパートもいままでは食料品売り場だけ開いていましたが、他の売り場も営業を再開しました。
そして6月第2週(6/8)からはグラナダ、マラガも他のアンダルシアの県と足並みそろえて、めでたくフェーズ③に進めました。フェーズ②と③の大きな違いはアンダルシアの他の県に移動できることで、グラナダから例えばセビージャに住む親戚に会いに行くことができるようになったわけです。バルや飲食店もテラスなどの他に、ショッピングセンターも、劇場も、スポーツジムも...だいたいの施設がOKになり、老人、大人、子供の区別なく自由に誰でも好きな時間に散歩できるし、友人知り合いなどの家にも遊びにいけます。ただ、衛生ルールを守ること、入場制限、使用制限などがあるのみです。
衛生管理は個人も、どのお店も、どの施設も徹底して守ることとなっています。わかりきっていることですが、
安全距離(Distancia de seguridad)を保つ、マスク着用、メインはこの2つです。安全範囲を示す表示などが街のあらゆるところに貼り付けられています。
マスク着用は公共機関では必須でしたが、5/21に大幅に義務付けられました。アンダルシアもだんだん暑くなってきてちょっとマスクはきついです。マスクは不足していたからいままでも義務付けてはいなかった、というのが国の説明でした。対象は6歳以上です。その時はマスクを付けていなくても罰金の対象にはならないということでしたが、フェーズ③では100€までの罰金を要求されると聞きました。マスクの習慣は今後しばらく続きますね。公道,屋外スペース,人の集まる屋内空間などで,各人が1,5~2m間隔を保てない場合はマスクしていないとダメです。まぁいつでも持ち歩いている必要がありますね。家族の多い家庭はお金かかります。薬局でもスーパーでも子供用マスクを売っていますが、自家製のマスクを付けている人も多いです。ファッション化している感もあり、スペインらしくカラフルで、とにかく色んなマスクを見かけます。スペイン人にマスクをかける習慣ってなかったので画期的なことです。
さて、このフェーズ③の2週間が終わると「平常」に戻るということなのですが、でもその平常はパンデミック以前の市民生活、社会とは違います。ですから「Nueva Normalidad新しい(新たな)平常」と呼ばれています。
スペインのEstado de Alarma警戒事態は、最終的に6/21までということになりました。マドリッドなどいくつかの地方を除くスペイン全土のフェーズ③が2週間で終わる日付になります。6回も延長され、合計3ヶ月と1週間という長い期間でした。外出禁止、段階を追って進めてきた規制緩和もこれで終わります。そして、新たな平常になってからの規則なども発表されました。
7/1からだった国境封鎖解除もEU諸国に対しては6/21からに繰り上げられました。「警戒事態」が発令されたままだと暗いイメージが続きますから、嬉しいことです。スペインは他のヨーロッパ諸国に比べると慎重すぎる感もあったようですが、ほぼ足並みを揃えて国境封鎖が解除できるようになってよかったです。ただ、これから人の移動が活発化されるなかで感染が再び広がる心配もありますから、完全終息するまでは用心深く慎重に取り組まなければならないです。
この3ヶ月間、ほとんど毎週サンチェス首相の状況説明や新たな対策に関する演説、記者会見がありました。こういう非常事態のなかですから政府もしっかりしてないとその真価が問われてしまうのではないでしょうか。言葉も慎重に犠牲者を悼み、国民に理解と団結を求める。皆で努力しよう、私たちならできる、でもそれなりの覚悟で立ち向かおう、時間はかかる、来年は立ち直ろう......etc. 流石に一国のリーダーですから話も上手いのだと思います。政治のことはさっぱりわからない私ですが、今のスペインが少しわかりました。でも全て理解するのはとても大変です。初めはテレビの前に座り込み、録音したり、写真撮ったり...わからないことだらけ。おまけに40年前のスペイン語辞典しか持ってないので、出ていない言葉がいっぱいあるのです。
それはそうと、スペインも今回は勉強させられることがいっぱいあったようです。スムーズにいかなかったり、失敗もあったりでサンチェス首相もよく批判されています。5月中旬ごろでしたか、いつも2週間ずつ延長してきた警戒事態を1ヶ月ぐらい延ばしたいと発言したりもしましたが、よく野党の激しい攻撃を受けています。その頃は首相の辞職などを求めて一部の野党や国民の間で自然発生的に起こったマニフェストが盛んになりました。3月8日の国際女性デーでマクロなデモやイベントで大騒ぎしたこともスペインの感染を一気に伸ばしたのは明らかですし、マドリッドの養老院で大量に死者が出たのはいったい何が起こったのかとか、コロナ犠牲者も実際は4万以上いたとかも言われています。一時の混乱が収まった今になって浮上してきた問題が多くありますが、サンチェス首相は頑として自分の意思を曲げずに周囲をかわしながらやっています。問題は、衛生危機をなんとか乗り越えたとはいっても、この2ヶ月で経済危機に陥ってしまっていることです。経済回復は長い目でみないとならず、今の状態ではすぐに解決できないので、このまま失業者が増える一方だと本当に困ったことになる、にっちもさっちも行かない状態で国民の不安は募っていくばかりです。
最近は国民救済の新しい対策が打ち出されてきています。5月中旬過ぎにスペインの貧困度は高い、スペインの受けた傷跡は深い、困窮に直面する多くの家庭と子供たちを救わなければならないとサンチェス首相は恵まれない家庭に援助金らしきものを支給すると発表しました。EU(欧州連合)からのコロナ援助もあるので可能なのでしょうか。条件などありますが、日本円にすると月5万~10万ぐらいを出してもらえるようです。条件に見合う家庭を持つ人たちにとっては嬉しいニュースで、いままでも警戒事態の間、給料の無くなった人のために色々な支払い期限を延長したり、社会保険料を免除したりの企業や小規模経営者などを援助する対策などが取られていると聞きました。でも、そういう恩恵を受けられない更に貧しい労働者も沢山いるので心配です。他にも各州自治体に助成金を出したり、数々の経済回復プラン等が打ち出されているようです。ただ、日本のように国民全てに一時的な給付金が出るとかいう話はないようで残念です。
ところで、スペインは観光国、外国から毎年8,000万人以上の観光客が訪れるそうです。スペインは外国からの旅行者が来ないと経済の活気は取り戻せないです。観光業、飲食業の受けた打撃は大きいです。でもやっと7月になると国境が解禁されます。ホテルなどの宿泊施設も営業を再開し始めていますし、アルハンブラ宮殿も再びその門を開きました。因みにアルハンブラ入場は新しいシステムになって、チケットは無くなり、身分証明カードやパスポートを見せれば入場できるそうです。航空券みたいですね。今はEチケット発行しますけど、カウンターでパスポートの提示すればそれでOKですから。
しかしこれから空港の封鎖が解ければ経済回復には繋がりますが、本当に第2波が心配になります。スペインはとにかく例年のように沢山の観光客に来て欲しいので安全な受け入れ態勢を確立しようと頑張ってますが、しばらくは観光客、あまり来ないんじゃないでしょうか...開けてみないとわからないですね。
かなり暑くなる7月、8月はせめて海、山にもでも行って暑さもしのぎたいし、この3か月のストレスも発散したいものですが、皆この夏のバケーションどうするのでしょう。きっとそれどころではない人も多いのではないでしょうか。人々はとにかく衛生危機をほぼ乗り越えてホッとしているところですが、今後の見通しが立たなくなってしまった人々も多いのではないでしょうか。街を歩いていても、「賃貸」のチラシ広告が貼ってある店舗が目立ちます。コロナを機に店を閉めたところも多いのです。
それにしてもこの春は宗教行事やお祭りがことごとく中止になりました。セマナ・サンタ(復活祭)、セビージャの春祭り、十字架祭、コルドバのパティオ祭、ロシオの巡礼、闘牛全滅...全く寂しい涙の春でした。
先週は宗教行事の「コルプス・クリスティ」があり、グラナダのお祭りでした。ですがこれも中止。ただ、寺院でのミサなども人数制限などありますができるようになりましたので、宗教行事ではいつも街を行進したりもするところをカテドラル(寺院)の中だけで済ませたり、市役所前で恒例のTarascaタラスカ(女性偶像)、Carocasカロカス(漫画風に絵にかいたその年の社会風刺、川柳のようなもの)などを展示したりして、せめてできる範囲のことだけでもやりたいという姿勢、異例のコルプスとなりました。グラナダの国際音楽祭は今月末から開催されます。勿論、入場制限付きではありますがチケットももう売り出されました。
そんな訳ですが、問題はフラメンコですね、気になります。警戒事態になると同時にフラメンコ界もコロナ危機に襲われています。全く悪夢のようです。劇場の公演も中止、観光客向けのタブラオ、クエバ(洞窟)のショーなど、そして教室、クルソなどのレッスンもできなくなりました。外出禁止が始まってから、クラスはオンラインで続けたり、ネットコンサートなんかをやるアーティストも見かけました。フラメンコ界への国からの援助を嘆願する動きなどもありました。そんな中、新しくUNIÓN FLAMENCAウニオン・フラメンカという組合みたいな団体ができました。リーダーはエバ・ジェルバブエナです。スペインの代表的芸術フラメンコの保護、発展や、主にアーティストの保障などに関する法的な手続きなどの情報も与えてくれるので、入っていると色々助けてもらえそうな組織ですね。アーティスト同士の協調も大切でしょう。いままでアーティストはそれぞれの個人、カンパニーなどの活動をしていても、いざという時、今回のコロナ危機のようにフラメンコ界全体が危うくなった時に団結して闘える組織というのはなかったのだと思います。今後どのような展開があるのか興味深いです。
深刻なのはタブラオ、クエバなどのアーティストさん、観光客が来なくなったスペインでどうやって生きていくのでしょう。規制緩和で音楽関係のライブなど、小さな小屋でもできるようになったとはいえ、お客さんはキャパシティの半分しか入れられないし、まだ再開しているところはほとんどないようです。これから夏場のフェスティバルなどチケットを売り出したりしていますが、タブラオ、クエバのように小さな空間の密室では当分営業再開は難しそう、何とか生き延びてほしいです。
このように規制緩和が進み、やっと来週から「新たな日常」が始まります。ここでひとつお伝えしたいことがあります。
警戒事態になって直ぐに始まったAplauso(拍手)の習慣、それも無事に終了したことです。正確に言うと5/17(日)です。ちょうどアンダルシアがフェーズ①になる前の日でした。なぜか寂しい気もしますが、コロナの第1波が収まったと考えると本当に嬉しいことでありました。
医療現場で働いている人達に応援と感謝の拍手を送り続けたこの2ヶ月間でしたが、感染者も犠牲者も、病院にいる患者も減ってきて、治癒した人の数だけが増えているという嬉しい状況になってきていました。因みに5/18、グラナダでは警戒事態になって初めて一人の感染者も犠牲者もいない日だったとニュースで伝えていました。
規制緩和が始まってからは人々が散歩に出られるようになって街も少し息を吹き返してきた感があったので、時々ご近所さん達も丁度夜の大人の散歩時間(8時~11時)と重なるためか、バルコニーに出てこない日もあったりで、なんとなく「いつまで続くかなぁ~」などと思ったりしていたところでした。バルコニーで拍手のあと歌っていた「Resistiré」も、口ずさむ回数が減ってきていました。
やっと衛生危機という事態収束の兆しは見えてきたとはいっても、この間に経済危機に陥ってしまった人たちも沢山います。それぞれが、自分のこれからを考えなくちゃならないです。やはりこの辺で、医療関係の人たちからの「応援ありがとう」という感謝の声とともにAplausoの習慣も終了する時期に来たということで、これで国民も一つの達成感を持って次に進むことができると思いました。
病院の集中治療室で必死に看病してきた女性看護婦さんが、最後の治癒者の退院の日に、今日で集中治療室には誰も居なくなったと感動の涙を浮かべて語っているのをニュースで見ました。本当におつかれさま、よく頑張ってくれました。目が潤みました。応援の拍手の中に、この衛生危機を皆で乗り越えようという一致団結した新鮮な息吹がありました。これがとても懐かしいです。
天を仰ぎ、祈るような気持ちにもなった2ヶ月間のAplauso、私にとって忘れられない思い出の一つになりました。
少しづつ書いてきたことをまとめています。また続きを後日アップします。
スペインでコロナ危機に遭遇の巻③ お楽しみに!
今日は雲が消えて青空、気持ちいいです。心地よい加減の太陽で暖かく、花粉がふわふわ飛んでいます。冬が終わって春になると普通は心うきうきしてくるものですが、今年はさんざんなことになってしまって憂鬱です。ですがちょっとご紹介したい歌もあるので、久しぶりに「カチューチャ便り」をお届けします。
ご存じのように新型コロナウイルスによるパンデミックで、このスペインも3月14日にEstado de Alarma(警戒事態)となり、国民に外出禁止令が出ました。こんな時ですけど、私は前々からの変えられない予定があってグラナダに戻っています。実は、この厳しいおふれが出たのは私が到着した翌日だったのです。スペインの若きリーダー、ペドロ・サンチェス首相のテレビ放送があり、第一声が"A partir de hoy, única autoridad es el Gobierno de España" 今日からすべての権限はスペイン政府にある、そんな感じでしょうか、こんなことを旗の前に立って言われちゃうと、ビクっとします、戦争でも始まるみたいな緊張感となり、えーっ、なんということに!...想定外の事態に愕然としました。
日本でも「緊急事態宣言」ができるような法案が出ていて、そうなる前にスペインに行った方がいい、向こうのが安全かも、などと軽く考えていましたが、さすがに出発の2,3日前あたりからスペインも感染者数などが急に増えだし、おまけに出発の前日には世界保健機関のパンデミック宣言もありました。家族の反対や忠告を受けて私の心も揺れ動き、とても悩みました。でも目先のことに拘り、とにかく今回は用事だけ済ませ早く帰ってこようと、結局飛行機に乗ってしまったわけです。
警戒事態発令時点ではスペインの感染者数は約4千人、亡くなったのは100人以下でしたけど、その後急激に増えました。数字って怖いですね。1日に4千、5千人、一時はもっと多く感染者が増え、病院は対応で大変なことになってしまいました。全国民が不安いっぱいになりました。テレビは見るな、と言われましたけどやっぱり心配でくぎ付けとなりました。しだいに感染は勢いを増して世界に広がり始めました。私の乗った飛行機も最後のスペイン行の便となり、次の日から飛ばなくなったのを後から知り、複雑な心境になりました。
こういう時でも必要不可欠な職業の人しか働けないので、限られた機関やお店しか開いていません。春の行事やお祭りも全滅、友達にも会いに行けない、社会生活が中断されて何もできなくなってしまいました。途方にくれました。外出禁止ですから家に閉じ込められました。うっかり許可なく出歩いてしまったら罰金が601ユーロ(約7万円)も取られるのです。警察がパトロールしています。食料とかの買い物なら近場に出られるのでそれがせめてもの救いです。でも感染しないように気を付けないとなりません。
とにかくどこもかしこも閉まってしまい動きが取れません。私の予定は宙ぶらりんとなり、観念して様子を見ながらじっとしているしかありませんでした。家の中でできるストレッチや筋トレ、ちょっと踊りの振りを思い出したり、突然襲ってきた時間の空間の中で、ではそれを生かして少しはたまり溜まったパソコン作業などもやってしまおう、などとも考えましたが、実際はニュースを見て状況を理解するのに政治用語などのスペイン語をいっぱい勉強しなければならず、それでもどうなっているのかわからないこともいっぱいで頭が混乱しました。ただでも心穏やかでない状態の中ですので、うまく気分を変えられず、自分がやりたいこともろくにできません。とても落ち着かない日々を送ることになってしまいました。
そんな調子で6週間経ちましたが、なんと感染者は20万人を超え、亡くなった方も2万人を超してしまいました。いままで3回延長された警戒事態体制は一応5月9日まで続くことになっています。また延長されるかもしれません。職を失った人々は困っていますし、経済に影響するいろいろな問題が出てきて政府もあれこれ対策に追われています。
でもこのところ、感染者数は増え続けているとはいえ、外出禁止の効果が出てきたのでしょうか、一時の勢いはなくなってきました。治癒者も増えました。事態収束の兆しが見え始めた感があります。あまり規制が長く続くと経済問題がさらに深刻になります。国民の外出禁止による精神状態も考えなければなりません。政府も3回目の延長ではやっと外出禁止などの規制を少しずつ緩めていく決定をしました。
最近は他の国でも制限を緩めはじめています。スペインも平常な社会に戻していく段階に入ったということです。5月は徐々に経済回復が始まるのです。しかし、これって凄く難しいです。相手はウイルス、感染症です。感染が収まったようでもまた広がらないようにしないといけません。私たち個人の、感染しない、感染させない、そのための深い認識も必要です。感染が怖いからまだ外には出ないと言っている人も多いです。サンチェス首相も用心しながら、くれぐれも慎重にやっていかなければならないと繰り返し言っています。
因みにグラナダは南部のアンダルシア地方で、アンダルシア地方はマドリッドやカタルーニャ地方に比べると感染者などはかなり少ないです。ですが政府は地域別に警戒事態を発令していくのではなくて、一気に全国を対象にしてしまったのですね。アンダルシアの中でもウエルバやアルメリアは、感染が少ないです。でも感染症の非常事態ですから国の決定も仕方ないかもしれません。このグラナダはマラガ、セビージャに次いで3番目に感染者や犠牲者が多いです。人口約90万で、感染者数が約2,600人です。亡くなった方が約240人です。犠牲者が多い中心部の地方ほどは深刻さが少ないですが、やはり感染症となるとみんな心配ですから、おとなしく政府の命令に従っています。ですから規制緩和はとっても嬉しいことだと思います。
それで、どのように規制緩和が始まったかと言いますと、先ず先週の日曜日から(4/26)から子供の一時外出ができるようになりました。子供は本当にかわいそうです。家に閉じ込められてオンライン授業でしっかり勉強させられるけど外で思いっきり遊べない、公園も進入禁止になってしまったわけですから。ただし、14歳までの子供で、親とかの大人同伴、1㎞以内で9:00~21:00の間の1時間以内、勿論2mの距離を保つ、手洗いをする、マスクも推奨等。これは大切なことです。油断できません。
これで何も問題がなければ、1週間後の5/2からは子供の外出だけでなく、老人や、成人は夫婦での外出、個人スポーツができるようになるとか最初は報道されていました。そして、11日からは一般商店の営業再開、25日にはバル(一杯飲み屋)やレストランも再開とか、ということは友人たちともバルで間隔置いてですけど乾杯できるということですね、待ち遠しいです。個人のスポーツってジョギングとかでしょうか、時間帯は朝早く、夜遅くとか、これは子供の外出時間外でやってほしいと考えているのでしょう。その他少しずつ緩和の対象が増えていくということでして、細かいのでちょっとややこしくなりそうだなと思っていました。警察のパトロールも厳しくなるのか...
そうこうしているうちに、一昨日(28日)に政府の規制緩和のプランが正式発表されました。それは、5/4からの⓪準備期間、その後①5/11~、②5/25~、③6/8~の各段階、2週間ごと(子供外出が始まってから5/3までの1週間も準備期間とすれば2週間となる計算)の合計4段階の緩和を経て新しい平常な日常生活に戻していくというものです。ただし、公共医療、社会、経済面などの影響を考えた基準があって、それをクリアしないと次の段階に行けないそうです。よくわかりませんが、状況によっては次の段階に進めないこともあり得るわけで、問題なく順調にいけば6月下旬には平常にもどせるということです。長いですが仕方ないです。スペインの一部の地域では最初から①段階が適用されたりしています。
バルとかは開いても最初は全体面積の30%、その後50%というふうに収容人数などに制限がでてきたりするんですね。ちょっと細かいので私もまだよくわかっていません。それに今日また発表があって、5/2からの散歩、個人スポーツなどの外出許可は、市民が14歳未満と14歳以上、70歳以上の老人等の3つのグループに分けられてそれぞれに時間帯が決められることになったというのです。これは外出禁止の緩和による人の密集を避けるためで、子供の外出可能時間が修正されて短くなりました。これによると14歳以上のだいたいの大人は朝6~10時、夜8~11時しか出られないです。これでは私には無理ですね。しばらくは今まで通り買い物行くだけで我慢したいです。私にとっては官公庁の窓口がいつ再開するのかが問題です。今回、市役所ともう一つのオフィスが開くのを待っていますが、再来週ぐらいになりそうです。はやく自分のことで動けるようになりたいです。また、いつになったら友人の家に遊びに行けるのか、そこのところがわかりません。
でもまぁ、これからはいままでの死んだような街が少しずつ活気づいてくるのでしょう。本当に事態が後戻りしてしまわないよう、各個人がモラルをもって行動し、規則を守らないといけないです。ちゃんと皆は守れるか...、心配もあります。
ということで、警戒事態が終わるのはまだまだ先ですね。でも今は一つ前進、普段の社会や生活が戻るまでのゆっくりの長い道のりを我慢強く歩いていくことになりますが、ちょっとずつ状況は回復に向かっていると信じて、手洗いして、人との間隔忘れず、マスクも付けて辛抱です。みんなカラフルマスクを作ってやっていますよ~。そしてこんな状況がスペインだけではないし、もっと死活問題な国もあるようですから、これからこのパンデミックの一刻も早い終息をただただ祈るのみです。
目先のことに拘って飛行機に乗ってしまった自分、エゴイスティックな行動だった、失敗、家族にも心配かけてしまった。でも後悔しても始まらない、これも一つの試練と考えたいです。第2の故郷スペインです。スペインでの長い歴史がある私です。晴れて卒業となる前に「コロナ危機」に遭遇してしまったなんて運命的な感じもします。色々面倒なことになり、予期せぬ出費もあり、その上今回の目的も達成できなくなったとしても、それはそれで受け入れるしかないです。私だけじゃありません。みんなが影響を受けています。犠牲者も沢山でています。とにかく早く無事に帰ることが大切です。ただ、今は日本に移動するのもままなりません。もう少しヨーロッパの状況なども見ないとなりません。ちょっと長期戦になりそうですが、やむを得ません、自業自得です。我慢です。
この1ヵ月以上スペイン国民がそれぞれに不安や心配を抱えながらもMal tiempo, buena cara(直訳:悪い時でもいい顔で)でユーモアを忘れず、明るさを失わずポシティブにやっている様子をテレビで見てきました。何はともあれ、「がんばれスペイン」ですね、フラメンコが生まれ育った国ですし、こっちも元気ださないと。
実は、夜8時(とはいってもまだ明るいです)になるとバルコニーに出てAplauso拍手をしています。誰におくる拍手かと言いますと、それは、このコロナ衛生危機のなか患者の世話をしている医療関係の方々とか、その他国民生活を維持するために、国を守るために懸命に働いている人たちにおくる拍手です。屋上でも、テラスでも、バルコニーや窓からでもいい、その時ご近所さんたちと遠くからですが顔を合わせ、みんなで応援の拍手というわけです。緊急事態になってすぐに、ワサップWhatsApp(スペイン人の大半が活用しているSNS)で呼びかけられ、自然に国民の間で広まりまして、今や恒例の日常アクションとなっています。
全ての人が毎日遂行しているわけではないですが、こうやって応援して感謝して「みんなで、この危機を乗り越えよう」と頑張っています。ですから私も参加しています。実は私にとって、思いっきりPalmaパルマ(フラメンコの手拍子)を叩ける貴重な時間でもあります。ただし拍子はつけません、純粋なる拍手です。でもこの時、拍手し始めて1分ぐらい経つと音楽をかけるVecinos(お隣さん)がいて、この音楽がかかるとどうしても4拍子になってしまいます。
冒頭でご紹介したい歌があると言いましたが、それはこの歌なのです。気軽に歌えるCanción(歌)です。ちょっとテンポは速いですがリズミカルでいいです、叫べます! ゆっくりでもそれなりに素敵に歌えます。試してみてください。今のみんなの状況にピッタリだからでしょうか、いままで1ヶ月聞いていながら聞き流していましたが、最近は私も歌いだしました。YouTubeのビデオを見てください。色んなミュージシャンが出てきて楽しいです。フラメンコのアーティストも出てきます。
曲のタイトルはResistiré 「レシスティレ」って言います。どんな意味かって言ったら、まぁこれは「耐えるさ、がんばるぞ~」みたいな感じでしょうか。歌詞付きですので、皆さんも歌ってみてください、4拍子でしっかり音頭をとってくださいね。踊ってもいいですよ、元気になります、Vamos!
●Resistiré2020 Video Oficial
YouTubeでの映像はこちら
●他に、こんなのもあります、きれいです!
スペイン国歌‐SOS COVID19 CORONAVIRUS
YouTubeでの映像はこちら
今年は歩きだして70年、70アニーバーサリー、プラテリアにとっては嬉しい1年です。6月14日には記念フェスティバル"Fiesta 70 Aniversario" が、Auditorio Manuel de Fallaマヌエル・デ・ファジャコンサートホールで開催されました。グラナダのフラメンコ界を担っていく期待のアーティストや中堅のアーティストが一同に会しました。プラテリアの70年の歩み、そのシーンを5つのパートに分けて華やかに繰り広げたそう、グラナダらしくフィン・デ・フィエスタはタンゴで、見応えあったということです。
(Foto: Gilberto González Vázquez)
プラテリアはグラナダのアルバイシン地区にあり、その構えはとても格調高く立派です。アルバイシンならではのカルメンという大きな庭付きの家で、目の前にアルハンブラ宮殿が見えます。1階には一般の人も入れるバルやレストランがあり、アーティストの出入りも多く楽しい交流の場となっています。また、デコレーションもステキな舞台では毎週フラメンコのライブがあります。土曜日は会員向けのライブ。グラナダ内外のアーティストが自慢の演技で熱演します。木曜日には入場料を払えば一般の人も観られる「木曜フラメンコJuevesFlamenco」があります。この木曜フラメンコはとてもヒットしています。ペーニャの活動と言えば、勿論フラメンコを観る、聞く、それがやはりメインですね。時には終わってからフィエスタになったり...でもそれだけではありませんので、もうちょっと中を覗いてみたいと思います。
ペーニャは会員制で、会員Socioの中から選ばれた役員が運営しています。プラテリアは現在300人以上の会員がいるそうですから、実にマンモスペーニャですね! 会員になるには入会金や会費を払わなければなりませんが、それだけのメリットがあります。木曜、土曜のフラメンコライブを両方とも無料で観られますし、会員向けの催し物も楽しめます。グラナダ名物料理の食事会とか、会員の日(Dia de socio)の集いなど。それらも無料です。食事会は会員でない人でも料金を払えばOKです!(写真はペドロ・エル・グラナイーノ)
プラテリアにはフラメンコ関係資料(音源、写真映像、本、プログラム、ポスター...etc)などの記録物も保管されています。それを借りて見たり聞いたりすることも可能です。ペーニャでは各種の集まり、例えばフラメンコの絵画や彫像などの美術展覧会や、本のプレゼンテーション、その他フラメンコ関係イベントなどに、その小劇場やサロンを提供したりしています。夏にはテラサ(庭)がグラナダの国際音楽祭Festival internacional Musica y Danzaの野外会場になったりもします。
また、フラメンコの講習会などを企画することもあります。スタジオは無いので、大掛かりなことはできませんが今後そのような機会もまたあることと思います。
それから、プラテリアはフラメンコだけでなく闘牛との結びつきが強く、多くの有名な闘牛士が訪れるのもチェックしたいところです。
(写真は今年の70年記念フェスティバルのポスター)
またアンダルシア各州のペーニャとの交流会も不定期にやっていますので参加できます。インテルカンビオIntercambioと言います。 それはどのようなものかと言いますと、例えばヘレスのあるペーニャを訪問する場合、プラテリアのメンバーと選ばれたグラナダのアーティストが団体バスを借りてヘレスに出向きます。そして夜の宴では、プラテリア側の同行アーティストが自慢の演技をします。そして別の機会にヘレスのペーニャがグラナダのプラテリアに出向き、同じようにヘレスのアーティストが自慢の演技をするのです。アンダルシアの旅行も兼ねてのまさにフラメンコ満喫ツアーですね。
(写真はマリオ・マジャがモデルのステキな絵画、舞台のあるSalaサラ、小劇場に飾られています)
さていかがでしたでしょうか、こうやって覗いてみるとプラテリアって貴重な場所ですね。フラメンコを思いっきり楽しめて、たっぷり勉強できそうです。1年以上グラナダ留学する方には会員になることをお薦めしたいです。これからもスペインの由緒あるペーニャの名に恥じないような、そしてペーニャの見本となるような活動に期待したいものです。
(写真は今年1月にあった食事会 Olla de san Antonオジャ・デ・サン・アントンです。私もいただきました。)
日本でもフラメンコ通、愛好家たちは沢山いますね。カンテファンも年々増加してそういう人達が集まるペーニャという会が存在しますが、本場スペインでは流石に沢山のペーニャが存在し、多くの人が会員になって皆でフラメンコを楽しんでいます。でも大半の人はカンテ(歌)が好きなのです。ですからカンテが第一なのですが、ギターやバイレも勿論忘れていません。ペーニャは様々な活動をしながらアーティストを育て、フラメンコ繁栄の一役を担っています。
スペインに数あるペーニャの中でもグラナダにはその模範のような由緒あるペーニャがあります。「スペイン最古のペーニャ」と言われているペーニャ・ラ・プラテリアです。個人的にはこのペーニャで数回踊らせて頂いたりしてとてもお世話になっています。このプラテリアなしに我がフラメンコ史は語れない、そんな親愛なるペーニャです。私見もありますが、是非この機会にプラテリアについて書いてみたいと思います。
ペーニャ・ラ・プラテリアは1949年に設立され、今年創立70年を迎えました。その歴史をたどってみると、設立当時は地元のフラメンコ好きが集まる単なる会合(Tertuliaテルトゥリア)だったということです。時代的にはスペイン市民戦争が終わってフランコ体制になって10年経った頃ですが、グラナダではマヌエル・サラマンカという銀細工職人(Plateroプラテーロ)の工房(Plateríaプラテリア)にフラメンコ仲間が集まりはじめ、そのテルトゥリアが後にペーニャとなりました。マヌエル・サラマンカ(創立者)がプラテーロだったこと、彼のプラテリアに集まっていたことから「ラ・プラテリア」と名付けられました。
プラテリアが現在のアルバイシンにある立派な建物に移ったのは設立から20年経った1969年頃です。自分たちの公式な場所をやっと確保できた経緯には、プラテーロ達の限りない情熱とたゆまぬ努力があったのです。新しい陣地での出発、きっと希望に燃えていたことでしょう。
とはいえまだフランコ時代で、人々が集まることは禁止されていたということですから、警察の人なんかがいつも偵察に来ていたようですね。いったいどんなふうだったのでしょうか? 70年のペーニャの歴史って、そう思うと興味深いです。
実はこの70年の歩みがドキュメンタリー "Platería 70. Una historia flamenca."になり、この5月に劇場で試写会がありました。ペーニャ発足からの貴重な記録や、発足当時からペーニャを維持し発展に貢献したプラテーロ達の語る面白いエピソード泣き笑い?なども収められているそうです。面白そうですね。
そんなペーニャ・ラ・プラテリアですが、新居を構える前のペーニャはそれこそ映画を観ないとわかりませんが、70年代からは徐々にペーニャらしい活動が始まったのだと思います。最初の大きな催し物とみられるのは1972年の「コンクルソ・デ・カンテ・ホンド、50年祭」という記念行事です。
グラナダでは1922年に「コンクルソ・デル・カンテ・ホンド」というマヌエル・デ・ファジャやフェデリコ・ガルシア・ロルカ他著名人が主幹となって開かれた歴史に残るフラメンココンクールがありました。グラナダの愛好家たちはこのコンクールは意義深く、グラナダが誇るフラメンコ界最大のイベントとしてとても重要視しています。そんなこともあってか、その後も1979年より何年かの間同じようなイベントを催しました。そのステキなポスター群は今もペーニャのサロンにバーンと飾られています。常にこの1922年のコンクールを意識した活動をしてきたのです。今後100年祭などの行事もあることでしょう。フラメンコの歴史に華を添えたこのコンクール抜きにペーニャの歴史も語れないようです。
さて、最初にペーニャ・ラ・プラテリアはスペイン最古のペーニャと言われていると書きました。おそらくテルトゥリアらしきものはいたるところにみられたのがあの頃のアンダルシアかもしれない。でもその中でも、設立からの歴史が今に語り継がれ、常にフラメンコに敬意を払い、限りない愛情を持って意欲的な活動をしてきたペーニャって殆んど知られてないのかもしれません。セビージャやカディスはどうなのでしょう? 少なくともグラナダのペーニャ・ラ・プラテリーアを語る時、フラメンコ界の信頼を得て、明らかに格付けされているものがあると思います。謂わば「お墨付き」、スペイン最古と銘打つにふさわしいペーニャといえるのではないでしょうか。
(つづく)
毎年夏7月下旬から8月末まで、グラナダのアルハンブラ宮殿内のヘネラリッフェ野外劇場で「ロルカとグラナダ」という、主にフェデリコ・ガルシア・ロルカの詩や戯曲をテーマにした作品の公演があることを前回のブログでお伝えしました。毎年新しい内容で、いいアーティストも出演しますので毎回楽しみにしてはいるものの、私自身は「ロルカを踊る」っていうことにあまり関心がありませんでした。私の舞踊生活を振り返ってみると、11年ぐらい前の生徒発表会で「ソロンゴ・ヒターノ」、7年前のチュンベーラ公演(グラナダ)で「カフェ・デ・チニータス」を踊っただけです。どちらもグラナダ色のある曲を踊らなければ、ということで急遽振付けて舞台に立ったのでした。
グラナダで生活し、活動していた私ですので、グラナダを踊ってみたいという気持ちからロルカ関連演目を踊ることはやってみたいこと、やらなければならないことの1つではありました。同様にサクロモンテのサンブラもその1つでありますし、他にもグラナダを踊るための演目いくつかあります。ただ、これらはちょっと私にはやっかいな世界で、あの感じは自分には向いていないとか、難しい...などと思っていて後回しになっていました。ですがサンブラや他の演目は10年前の公演(DVDで見られます)でもまぁなんとか納得のいく感じでまとめましたし、それはさておき、このところ、残るロルカ演目もそれなりの雰囲気を探して踊ってみたい、やってみよう、そんな気持ちになってきました。そして今、じわじわその魅力に惹きつけられて来ています。考えてみれば、ロルカの作品:ロマンセーロ・ヒターノ(ジプシー歌集)や、ポエマス・デル・カンテ・ホンド(カンテホンドの詩)、その他ロルカが世に出したアンダルシア古謡など、もう随分前から日本でもお馴染みで、歌われ、踊られてきました。それだけロルカは心打つ素晴らしい作品を生み出したのです。さぁ私も頑張らなくちゃ、振付、振付!
とはいっても何曲かをまとめるだけで、とてもヘネラリッフェ野外劇場でやっているような素晴らしい作品なんて無理な話ですが、それでもいい、わたしなりにまとめられれば嬉しいです。
ところで、今年はロルカが亡くなって82年になります。ロルカはスペイン市民戦争が勃発した1936年の、8月16日に捕えられ、18日の未明に同じように囚人だった3人とともに銃殺されました。彼らのような市民戦争の犠牲者は、グラナダ墓地に埋葬されただけで2,000人以上、実際はもっと多かったというから悲しいことです。銃殺されたのは、アルファカルとビスナルという2つの村の中間ぐらいのところだったそうです。アルファカルにはロルカ名のパルケ(公園)があります。このパルケはフェデリコが銃殺されたとみられる泉(フエンテ・グランデ)の近くに造られ、円形の広場の壁はロルカの詩の一節などが書かれたセラミカで装飾されています。毎年ロルカが銃殺された日に、「ロルカと全ての市民戦争の犠牲者に捧げる」コンサートがあり、今年はマリオラ・カンタレーロというソプラノ歌手、スペイン古謡などを歌ったということです。
写真は今年のカルテル(ポスター)
また、ビスナルの街道沿いにあるバランコ・デ・ビスナル(崖のようなところ)はフェデリコたちが埋葬されたとされている場所で、毎年命日にはロルキアーノ達が集まりロルカを偲ぶフエルガとなります。
パルケにもバランコにもロルカの記念碑はありますが、お墓はありません。遺骨が見つかってないとか(?)1986年にパルケがつくられた時、何人かの遺骨が発見されたようなのですが......。
ロルカのことはもっと知っておきたいですね、作品だけでなく、どんな人だったのかとか、あの頃のスペインとか...。
先日、昔グラナダで知り合った友人がある絵本を贈ってくれました。それはロルカ入門書みたいな絵本。とっても心温まる、ほんわかする、ロルカのことがよくわかって、もっと彼のことを深く知りたくなる、そんな絵本なのです。ロルカって誰?と気になっている方とか、フラメンコファン、研究生にお勧めです。それでちょっとここでもご紹介させていただきたいと思いました。ロルカ研究の第一人者として知られるイアン・ギブソン氏と世界的評価の高い絵本画家であるハビエル・サバラ氏がつくり上げた美しい絵本で、ロルカ研究者で詩人の平井うらら氏が訳しました。
『フェデリコ・ガルシア・ロルカ 子どもの心をもった詩人』
(影書房) 詳しくはこちら
Para Niños(子供向け)なのですが、大人向けでもあります。童心に戻れる温もりある絵本です。心こもったやさしい日本語で訳されていてとてもわかりやすいし、スペイン語のオリジナルも掲載されているので、スペイン語の勉強にもなります。シンプルでステキなイラストレーションの数々が心に響いてきます。
ロルカって、素朴でやさしい心を持っていたんですね。また貧しい人々の味方で正義感が強かった!編集部が補足した「ロルカ・ミニ辞典」は読みごたえがあります。ロルカの生い立ちから38年間のビオグラフ―、あの頃の政治的な状況もわかって、スリルがあります。
また、ロルカを愛するギブソン氏や、平井うららさんのメッセージもジーンときます。
こういう本が出るのは嬉しいです。偉大な画家ゴヤとか、誰だったかなぁ~他にも偉大な芸術家や、人に限らず、例えばアルハンブラ宮殿なんかも、このような子供向けにやさしく書かれた絵本がスペインでいっぱい出ています。そう、フラメンコでもPara Niñosってあります。DVDとか出てますし、舞台でも子供向けのやさしくフラメンコがわかる公演などやっています。フラメンコの学校って少ないですから、こういう子供向けのものって以外と役立ったりします。それに何といってもかわいいっていうのがいいですね。身近にとらえられて親しみが湧いてきます。
ちょっと話が逸れましたが、きっとロルカもこの絵本の日本語版発売を天国で喜んでいることでしょう。なんだかロルカに会いたくなります。¡Hola,Federico! って。ロルカの死は本当に悲しいけれど、こうやって彼とともに生きている私たちにとって、かけがえのない存在として輝いているなぁ~と感慨深く思います。
とっても暑ーい夏ですね!
連日の猛暑、まだ7月なのに40度を超えちゃいました。西日本大雨の被災地では復旧作業もこの暑さでは本当に大変なことと思います。心からお見舞い申し上げます。
さて、グラナダも連日かんかん照りでみんな干上がっていることでしょう。
でもアンダルシアのいいところは湿気がないことで、カラッとしている、これは大きな違いですね。温度は軽く40度以上になりますが、日陰に入れば涼しい、サクロモンテの洞窟の中なら天然のクーラーで快適! 昼間は家でおとなしくしていて、遅い夕方から夜遅くまで野外のテラスで夕涼み、ビールやティント・デ・ベラーノ(赤ワインの炭酸割りみたいなもの)などを飲みながらのおしゃべり、いいですよ! 玄関先に椅子を設置してどっかり腰を下ろしたおばさん群が扇をバタバタさせながらご近所さんと世間話...というのもアンダルシア夏の風物詩のひとつじゃないかな。そんなアンダルシアの夏、何といっても楽しみなのはカンテフェスティバルです。
これはいいです!グラナダでも郊外のプエブロ(村々)でフェスティバルがあります。バリオ(市内の地区)でもアソシアシオン・デ・ベシーノス(町会)主催の小さなフェスティバルも盛んです。ボカディージョ(食パンでないスペインパンに生ハムやチョリソ等を挟んだサンドイッチ)やワインを持参で合間にパクつけるのもいいです。何よりもカンテファンがノリノリになるのでハレオが飛び交いアーティストもリラックスしている、真夏の夜のカンテとギターは星空に響き渡ります。ただ、プエプロでのフェスティバルは終わるのが早くて2時とか3時、帰りが大変です。気の合った仲間と車でワイワイ行くのがいいですね。
夏のカンテフェスティバルはフラメンコファンには嬉しい催し物、でもグラナダはそれだけじゃありません。ちょっとおしゃれで高尚な雰囲気、そして内容もいいフラメンコの野外公演があるのでご紹介したいです。
ヘネラリッフェの野外劇場
グラナダの有名なフェスティバルといったら、6月~7月初にグラナダ国際音楽祭がありますね。これはもう60年以上続いているグラナダの由緒あるフェスティバルで期間は2週間ぐらい、主な会場はアルハンブラ宮殿の中の仮設会場です。クラシック音楽やクラシックバレエ、その他音楽ジャンルは色々あってフラメンコの公演も必ず2,3あり、関連公演(FEX)、講習会(Curso)等もあるのでかなり大々的です。
そしてその後、7月の後半から8月末まで1ヶ月以上も同じ出し物で続く公演があります。会場はアルハンブラ宮殿のヘネラリッフェ庭園野外劇場で、「ロルカとグラナダ」という催し物です。ロルカとはグラナダが誇る詩人で劇作家であるフェデリコ・ガルシア・ロルカです。2002年から始まって今年は第17回、グラナダならではのおススメ公演です。毎年内容が変わり、振付も舞台も斬新で、出演アーティストもいいので見逃せません、チケットもいろいろ割引料金があって嬉しいです。
フラメンコでもロルカの詩を歌いますが、それらの詩、劇作品のこと、また、ロルカ、ロルカ風なとかをロルキアーノって言います。日本のフラメンコ界でもお馴染みで、多くのアーティストがロルカの作品を演じています。ロルカが採集したアンダルシア古謡のアンダ・ハレオやタララ等はタブラオのクアドロで歌ったりしますね。その他ソロンゴ、カフェ・デ・チニータス......etcとかも。他にマンサニータが歌って大ヒットしたベルデとか、カマロンがロルカを歌った「ラ・レジェンダ・デル・ティエンポ」などは画期的なレコードで大ヒットしました。他にもいっぱい、いっぱいロルカの作品は歌われたり、朗読されたりしているのです。沢山の有名なアーティストが歌ったロルカの作品が一度に聞けるCD「ロスヒターノス・カンタン・ア・フェデリコ・ガルシア・ロルカ」も出ていますのでそれを聴くとエー!凄い!って思ってもらえると思います。
FLAMENCOLORQUIANOフラメンコロルキアーノ(7/19~9/1)
バレエ・フラメンコ・デ・アンダルシア(舞踊団)
それで今年のプログラムなんですが、ロルカの作品群をいままでの観念を打ち破った超現実的な世界で演じるみたいなのです。何だか面白そうです。昨年からバレエ・フラメンコ・デ・アンダルシアのDirector芸術監督はラファエル・エステべス。舞踊団員は、世界各国からの若き応募者200人のから選ばれた優れた若手舞踊手ばかりだそうです。この作品は彼のアイディア、それにバレリアーノ・パニョスという方が加わって振付、作り上げたそうです。なんとアルカンヘルやマリア・テレモトも参加するというので、これは凄いです!でも個人的にもっと凄いと思うのは新しい監督ラファエル・エステべス、素晴らしいアーティスト、振付師、異色です!
もう随分と前なのですが、フィエスタの仕事でこの方とご一緒した時のことを思い出します。グラナダ近郊の豪華ホテルで、プライベートなフィエスタ。他にも沢山マドリッドから若いアーティスト達が来ていてワイワイ楽しかったのですが、彼は人気者で、ちょっと学者風でした。ノートとボールペンを持ち歩いていてなんやらメモっていました。帰りのバスの中で、私がうっかり口が滑って、あの頃覚えたてだったのか、あるスラングが出てしまったのですが、そんなことまでノートに面白く書いてみんなに即発表!それで大爆笑になったので忘れません。
全く恥ずかしい話しですが、そんな思い出のあるこの方を何年か前に舞台で見る機会がありました。モダンでクラシック、目を引くアイディアとテクニック、まさに前衛的なステージでびっくりしました。秀でた才能を持つだけでなく、好奇心も強くいろいろ研究熱心、やはり普段からこういう方はどこか非凡なのですね。
そんなこともあって、私にとっては興味ある今回の公演。日本にいるので観られないですが、きっと素晴らしいでしょう。この夏グラナダにいらっしゃる方はラッキー、是非ご覧ください。
今年の公式ページ(チケットも買えます)こちら